10 兄、王都にて好敵手と出会う
王都に着いたのは、新年を迎える3日前。
アルダートン公爵家の中心都市カランドを出てから2日後だった。
加速効果と振動緩和の魔道具が使用された特別製の馬車でも途中休憩を挟んで1日8時間程かかった。
なお、お付きの者達が乗った馬車はいずれも加速効果のみであったようで、休憩の度に青い顔で外に出ていた。
ミシュリーヌは良いとしても、あの両親とずっと同じ空間に居るのはさぞかし苦しいかと思ったのだが、意外や意外。
上位古代語の物語について、話が弾んだ。
夕食の時、父は領内の苦労話と平民を蔑む話を、母は館を訪れた貴族との社交の話とやはり平民を蔑む話ばかりなので身構えていたが、馬車の中では物語に隠された意味や言葉の謎を純粋に楽しんで語らう、普通の親子でいられた。
心無しか両親の表情も普段より自然で柔らかいようで、ミシュリーヌも嬉しそうだった。
と、思ったのもつかの間。
一日目に宿をとった、アルダートン公爵領で王都に最も近い町であるシーレでは、応対した代官の男爵の僅かな落ち度を責め立て、即座に解雇してしまった。
目端の利く、だがどこか小悪党的な雰囲気を放つ代官補佐を臨時で代官に任命すると、すぐさま元代官の男爵を屋敷からたたき出すという早業である。
ミス・マリーに教わったのだが、このアルフェトーゾ王国において所謂本物の貴族と言われる、自治領を有するのは子爵まで。
男爵は、公爵・侯爵・伯爵家の領地の代官として仕える立場だそうだ。
勿論、失策がなく運もよければ親子何代にも渡ってその都市と地域を治め、雇い主もおいそれとは解雇できない土地に根ざした貴族の風格を得ることもある。
だが殆どは所詮雇われの身に過ぎず、雇い主の虫の居所が悪ければ放逐されても何もできないという立場なのだ。
男爵の下につく騎士階級も同様かそれ以下の立場で、いくつかの村をまとめている。
父上と母上は一家族を路頭に迷わせた事を何ら気にした風もなくシーレの町で一晩を過ごし、翌朝にはまた馬車の中で俺とミシュリーヌを相手に楽しいお喋りに興じた。
この2人と価値観を共有することの難しさを痛切に感じつつ、それでも安易に切り捨てることのできない親子の情を意識する旅になった。
そうしてたどり着いた王都。
我が家の公都カランドも国内屈指の大きさだが、やはり王都は圧巻だった。
何重にも囲まれた城壁。
それをいくつもくぐり、中心である王城に近づくにつれて街並みはどんどん華やかになっていく。
大通りは流石に入口から整備されていた。
しかし城壁の外側には浮民のスラムがあるだろうし、壁の内側でも外縁部に近づくにつれて貧しい暮らしの人は多い。
大通り近くに寄せ付けないようにしているだけで、物乞いや浮浪者、孤児はいるのだ。
この王都にも、我が公都にも。
進むに連れて目に入る光景は荘厳華麗になっていくが、俺の心は曇っていく。
「樹が見えてきたので、そろそろお屋敷に着きますわ!」
最近来たミシュリーヌは建物を覚えていたのか、声を弾ませる。
俺が最後に来たのは3年ほど前なので、印象がはっきりしない。
だが、屋敷街には不釣合いな程大きいあの大樹は覚えていた。
王城に最も近い城壁の中は公爵及び侯爵家の屋敷街になっており、意匠を凝らした館がいくつも建っている。
その中には我がアルダートン公爵家の王都別邸も構えられており、俺達家族はそこで旅の疲れを癒した。
別邸を管理するのはハウス・スチュワードのイウン。
館に着いて初めて迎えられた時、なぜ公都にいるはずのハウス・スチュワードのイアンがここにいるのかと驚いたが、聞けばイウンは双子の弟との事だった。
たまに入れ替わっていると言われたら即座に信じるレベルでそっくりである。
いくら双子とはいえここまで同じとは、凄いものだ。
前回来たときも居たはずなのだが、当時の俺は違うということに気付かなかったようだ。
着いたその日はもう夕方だったので、一休みしてから入浴、食事。
自覚はなかったが、いかに魔道具で揺れを抑えているとはいえ馬車で旅は疲労を蓄積させていたらしい。
ミシュリーヌは食事の時から既に眠そうな目をしていた。
前日のシーレの町に泊まった時もそうだったが、ベッドに入ると同時に眠りに落ちた。
翌朝。
やはりかなり疲れていたようで、珍しく朝寝坊をしてしまった。
といっても別に時刻でやらなければいけないことはないので気分的な問題だが。
俺が起きた気配を察したらしく、ドアがノックされる。
「ああ、入ってくれ」
「おはようございますマルセル様。疲れは取れましたか?」
部屋の外に控えていたロイが入ってきた。
自分もあの馬車旅で相当疲れているだろうに、タフである。
同じく同行していたカナはかなり参っていた様子だったが、きちんと仕事をこなせているだろうか。
「こちらは本日のお召し物になります」
ロイが服を渡してくる。
「ありがとう。朝食の用意は出来ているか?」
「はい。お着替えをなさって降りる頃にはできるよう、カナを厨房に行かせました」
とりあえず、寝込んでいるということはないようだ。
「うむ、それと、この近くで走れるような場所はあるか、別邸勤めの者達から聞いておいてくれ」
訓練を欠かしたくないので、俺は今回の荷物に運動用の服と木剣を入れておいたのだ。
しかしながらこの別邸、庭はあるのだが流石に公爵領の館程の敷地面積はない。
どこかに広場のようなものでもあればいいのだが。
「昨晩聞いておきましたが、ここから歩いて15分程度の所にある大樹の広場が適しているかと」
流石はロイ、仕事が早い。出来る従者である。
俺は早速朝食を食べると食休みをし、ロイに木剣を持たせて広場へ向かった。
訓練用の木剣とはいえ自分の武器は自分で持ちたかったのだが、ここはそこら中が公・侯爵家という土地柄。
そこで、主人が荷物を持って従者が手ぶらというのは外聞が悪い。
本当は走った後用の果実や飲み物の入ったかごを持っているのでロイは手ぶらではないのだが、それでもやはり主人に荷物を持たせる訳にはいかないのだそうだ。
両親の耳に噂という形で入ったらと考えると恐ろしいので、素直に運ばせることにした。
なお、そもそも住宅街の広場で剣の訓練をしていいのだろうかと思い当たってイウンに聞いてみたところ、剣の腕を磨くのは男性貴族の義務であり嗜みであるので、褒められこそすれ咎められはしないとのことだった。
実際、王都に滞在し俺と同じ考えになった貴族が大樹の広場で訓練をしていることもあるらしい。
先達が既に居るというのは心強い。
これで安心して訓練に励めるというものである。
ちなみに、ミシュリーヌは流石に誘わなかった。
公爵家令嬢が息を切らせて走っていいのは、流石に館の訓練場のような閉鎖空間だけであろう。
そんなわけで、ミシュリーヌは朝から別邸の上位古代語の本を読んでいた。
姿が見えなかった両親はそれぞれ、同じく新年祝いのパーティーのために王都に来た貴族達との茶会に出かけているそうだ。
そうこうしているうちに、大樹が視界に入り、歩を進める度にどんどん大きくなっていく。
そうして辿り着いたのは、大樹を中心として直径6~70メートル程の円を描いた広場だった。
石畳の歩道が3つ、これも円を描いており、更に八方の入口から中心の大樹に向けての大きな歩道ができている。
まずは大樹の元に行ってみようと、入ってきた入口から真っ直ぐ進んでいく。
ちょっとした丘のようになっており、中心への歩道はゆるい上り坂になっていた。
「遠目にも大きかったが、近くで見ると圧巻だな」
大樹の幹囲は10メートルはあろうかという程で、樹高は50メートル程。
前世でいうところの御神木と言った雰囲気をまとっていた。
更に根の部分が特徴的だった。
浮き根とでもいうのか、地面から根の部分がまるで地面を持ち上げるように露出していた。
この木が地面を引っ張って丘が出来たと言われたら信じてしまうかもしれない。
この不思議な根は、記憶にあった。
前に王都に来たときも、俺はこの広場を訪れていたようだ。
俺は思わず頭を垂れた。
何だか無性に、ありがたいと思ったのだ。
「さて、挨拶も済んだし、始めるか」
一番外側の円を描く歩道のところまで戻り、俺は軽くストレッチをする。
目算だが、1周200メートル程と仮定し、目標を15周と決める。
「じゃあここで待っていてくれ」
俺はロイにそう言うと、走り出した。
ふむ、石畳というのはやや走りづらいな。
どうしても凹凸があるので、よく見て走らないと引っ掛けて挫いてしまうかもしれない。
慎重に行こう。
そうして走り続けると、ちょうど反対側の入口の辺りに、貴族の従者らしき格好の青年が控えているのが見えた。かごと、布に巻かれた木剣らしきものを持っている。
俺と同じようなことをしている貴族がいるのだろうか。
通り過ぎながら、そんなことを考えた。
だとすれば、走っているうちに会うだろう。
きちんとした夜会では話しかける順番まで作法で定められているが、ここは広場でお互い貴族の義務として訓練に励む身、普通に話しかけても問題はあるまい。
というか、この辺りは公爵家と侯爵家しかいない。
公爵家の人間ならば同格。
領地の規模や実際の力的には侯爵家の方が上だが、礼法上は公爵家の方が上。
なので、余程おかしな対応さえしなければ相手が誰だろうと大した問題にはならないだろう。
俺はそう考えて走るのを続ける。
そこから5周するが、謎の貴族(仮称)とは会えない。
背中も見えないし、後ろから来る気配もない。
もしかすると、速度がほぼ同じなのだろうか。
この広場に来たときは走っている人は居なかったようだから、殆ど同じタイミングで走り始めたのかもしれない。
面白い偶然もあるものだ。
そうして10周目に入って走っていると、視界の端に人影が見えた。
燃えるような赤い髪。
背丈は遠目でよくわからないが、俺と同じくらいの子供であることは判別できた。
赤髪の貴族はちらりと後ろを見ると猛然と走り始め、視界から消えた。
……もしかして、勝負と思われたのだろうか。
面倒ごとにしたくはなかったが、習慣とは恐ろしいものできっちり3キロ走らずに止めることに抵抗を感じた。
「まあ大丈夫だろう」
そう楽観的に考えると俺はそのまま15周を走り終え、スタート地点で汗をぬぐい、水分補給と果物を食べ始める。
「マルセル様、既にお気づきにかと思いますが、反対側を走っている御方がいらっしゃいました」
「ああ、気づいていた。赤髪の奴だろう?」
「はい。私はここで控えながら何度も姿を見たのですが、服の紋章と赤髪から考えるにランベルト侯爵家の御方だと思われます」
赤髪で、ランベルト侯爵家。
王都に来るのだから可能性はあったが、ついに現れたか攻略対象。
ガスパール・ランベルト。
王国でも屈指の領地と兵力を有するランベルト侯爵家の長男で、原作ゲームでは俺様系キャラだ。
主人公の1つ上の歳なので、俺より1つ下か。
確か、実は小動物好きだがそれを隠しているという設定があったような気がする。
捨て猫に餌をやる不良的なイメージだろうか。
とはいえベースは俺様系。
このままでは確実に会う。
しかし慌てて帰るのもおかしいので、俺はガスパールとの接触に身構える。
そこに、カーブを回って赤髪の人影が見えた。
来たかっ!
…………………。
……………………………………。
………………………………………………………。
中々来ない。
いや、来てはいるのだが、その進みが遅いのだ。
赤髪の少年は、大汗をかき、ふらふらとした足取りで一歩一歩踏みしめるように進んでいた。
いかにも満身創痍といった様相だが、目だけは強い光を失っていない。
これ、前世の記憶的にはあれだ、限界ギリギリ状態の駅伝のランナーだ。
唖然として見ているとガスパールはついに俺の前に到達し、
「おれのっ、はぁっ、勝ち、っだっ!」
こちらを向いてそう言うと、ついに膝から崩れた。
「ちょ、おいっ!」
俺は慌てて、タオルを広げてランナーを抱きとめる大学関係者のように、ガスパールの体を支える。
「ガスパール様あああああああああああああああ!!」
中央の道から、従者の青年が大慌てで走ってきた。
これが、俺とガスパール・ランベルトの出会いだった。
10話にしてようやく原作ゲームでの攻略対象が登場しました。
ゆっくりとした歩みですが、よろしくお付き合いください。
※感想を受け、後書きを一部修正いたしました。
修正前 ようやく攻略対象が
修正後 ようやく原作ゲームでの攻略対象が