第一話 -3
トントン――
巧がベッドで横になりながらマンガを読んでいると、不意にドアをノックされた。
「はーい」
冷静を装って返事をしながらも、急いで、かつ静かに机へと移動する。
机の上には開かれた教科書とノート。
勉強勉強とうるさい親への、ささやかな抵抗である。
「巧、お客さんよ。瑞穂ちゃん」
ドアを開けると同時に、巧の母親が声をかける。
そこには瑞穂の姿もあった。
「ゆっくりしていってね」
「はい、ありがとうございます」
瑞穂が部屋に入り、母親がリビングへと戻った。
「……巧ちゃん、ほんとはマンガ読んでたでしょ?」
「えっ!?な、なんで!?」
「あ、図星?ほらね~、巧ちゃんのことなら何でもわかるんだから」
悪戯っぽく笑う瑞穂。
巧は自分の行動を見透かされたのがちょっと恥ずかしく、目線を外して頭をぽりぽりとかく。
「ところで、急にどうしたの?」
「ん?いや、まぁ何となくね。
久しぶりに巧ちゃん家に遊びに行ってみようかと思って」
昔は2人でよく遊んだのだが、中学生になった頃からか、一緒に帰ることはあっても遊ぶということはなかった。
「それにしても、家に帰ったのに何でまだ制服着てんの?」
「ん?ん~…まぁ今日は制服気分なんだよ」
「…あれ?なんか目赤くない?」
「あー、さっき目こすっちゃったから。そんなことより、何もない部屋ですが座って座って」
「いや、僕の部屋だからね……」
小さなテーブルのところに腰を下ろす瑞穂。
お菓子やジュースを準備して巧も近くに座り、他愛のない話に華を咲かせた。
トントン――
ガチャリとドアが開き、そこには巧の母親の姿が。
「夕食の準備始めるけど、瑞穂ちゃん一緒に食べてく?」
2人で時計を見る。いつの間にかかなり時間が経っていたようだ。
「あ、いえ、私これから塾がありますから」
「あら、そう」
母親がキッチンへと向かい、瑞穂はバッグを持って立ち上がる。
「急に来てごめんね」
「大丈夫だよ」
巧も立ち上がり、瑞穂に続いて部屋を出る……つもりだったのだが……
「?」
瑞穂は、部屋の入り口で立ち止まっていた。
「どうしたの?」
「……もし……もしね……」
「?」
瑞穂は巧の方を振り向かず、うつむいたまま、
「今夜泊めてって言ったら……泊めてくれる?」
「……へっ!?」
唐突なお願いに、巧は頭の中が真っ白になった。
瑞穂の言葉を理解すると同時に、顔が熱くなるのを感じる。
小さかった頃、たまに泊まりにきたり、逆に巧が瑞穂の家へ泊まったりしたことはあったが、それとはワケが違う。
もうお互い高校生なのだ。
「あー……えっと……」
顔を赤くし、おろおろしている巧。
瑞穂が振り返る。
「……なんてね」
瑞穂はそんな巧を見て楽しそうに笑った。
「んじゃ、また明日ね」
意表をつかれたような顔をしている巧にそう声をかけ、瑞穂は早歩き気味で玄関へ向かう。
「お邪魔しました~」
巧は追いかけるが、瑞穂はすでに玄関の外だった。
「まったく……巧の勉強の邪魔をして……」
玄関の方を覗き込むように顔だけ出して母親が愚痴る。
巧の母親は、かなり教育熱心な人なのである。学校から帰ってきた巧を部屋に軟禁するほどに。決して悪い人ではないのだが……
「夕飯の準備できたら呼ぶから、それまで少しでも勉強進めてなさい。来年はもう3年生なんだから」
「…………」
母の聞き飽きたセリフに、巧は無言で部屋に戻った。
「瑞穂ちゃん………」
部屋に戻った巧は、さっきまでのことを思い返していた。
数年ぶりに突然訪問してきた瑞穂。目が、泣いたあとのように赤かった。
そしてなにより、帰り際に瑞穂が振り向いて笑顔を見せるまでの刹那、瑞穂が今にも泣きそうな、真剣な眼差しで自分を見つめたのを、巧は見逃していなかった。
「なにか…あったのかな……?」
参考書の問題と違って、考えてもわかるわけもなく、ただ時間だけが過ぎていった――