墓標都市
遠くで、電子音が連続して鳴っているのがかすかに聞こえる。・・・・・眠い。まだ、眠っていたい。しかし、電子音はだんだんと音量を強めていく。いや、ボケていた聴覚がやっと目を覚まし始めたと言った方が正しい。
十九歳の少女は・・・・少なくとも、眠りについた時に十九歳だった・・・・うまく開かないまぶたをゆっくりと持ち上げる。明るい、という事は分かる。しかし、蛍光灯までではない。
目の表面が乾いているのだろうか、なんだか目がしばしばする。まだ、まぶたを閉じていたい。少女はそう思った。
彼女がコールドスリープに入ったのは、二十二世紀のことだ。試験段階からやっとのことで実用化にいたったこの装置の最初の客は、世界中からの応募の中からたった九人しか選ばれなかった。装置は十台しかなかったのだ。残りの一台は、彼女のためのもの。日本科学技術研究所の、所長の実の娘のためのものだった。
コールドスリープに入る前に、何年後に目覚めるかを設定するのだが、彼女はそのときに、次の目覚めは百五十年後がいいと申し出た。もちろん、目が覚めたときに、家族も、友達も、誰一人として自分のことを知っている人間は生き残ってはいないことを知りながら。
そして、今がその、百五十年後だ。彼女が目覚めたと言う事は、百五十年の月日がたったか、機械のエラーか、そのどちらかしかない。
だんだんと、視界がクリアになってくる。眠る前までは真っ白だった天井は、いまやくすんで灰色になっていた。目だけを動かして、高い天井を眺める。パネルがところどころはがれて落ちていた。
「・・・っ!」
腕に刺さっていた針が、機械的に引き抜かれた。これは眠っている間に、そして、目覚めた時にある程度活動できる程度の栄養を注入するためのものだ、と、聞かされた覚えがあった。
本当だったら、厚いふたの開いた装置の周りには、研究所の職員が待機しており、その後すぐに健康診断だ、とか、心理テストだ、とか、いろいろやらされるはずだった。が、今は誰も居ない。少女は、ゆっくりと体を起こした。部屋の床からは、背の低い、網状脈を持った雑草がところどころに生えている。
これは何かあったに違いない。どう見てもここは・・・・・・廃墟だ。彼女はそう思って身震いした。自分が眠っている間に、一体何があったというのだろうか。そうだ、他の人はどうなっただろう。少女は、自分の眠っていた装置の右側に並んでいる九台のコールドスリープ装置に目をやった。そのうち三つはふたが開いていて、残りは閉じたままになっていた。もしかしたらその三人は自分よりも本の少し早く目覚めて、それで、研究員はその三人の対応にあたっているために、今ここに誰も居ないのではないか。しかし、それは現実ではないと言うことがすぐに分かった。ふたの開いた三台は、中にも埃がたまっていた。
少女は無性に外に出てみたくなった。だが、裸で外を出歩くわけにはいかない。その前に、服を探さなければ。
装置から降りる。床の冷たさが、足の裏を伝わってくる。缶詰に入った服が、装置の下にしまってあるはず・・・あった、これだ。缶詰の表面はさびていたが、きちんと密封されていたようで、中の服やら下着やらは新品同様だった。缶詰の中には、厚手の白いワンピースと、清潔な下着、それからサンダルが入っていた。一応、これで外には出られる。
少女が眠っていた部屋は、すぐに外に出られるようなつくりになっていた。ガラスで出来た自動ドアの向こうには、廃墟同然の建物が見える。これはこれは、もしかすると自分が眠っている間に第三次世界大戦でも起こったのではなかろうか。まあ、もしそうだったとしても、もうどうしようもないことだ。
彼女は、久しぶりに動かす・・・・本人としては、『昨日』もしっかり使っていた・・・・体を引きずるように、ゆっくりゆっくりドアの方へ歩み寄っていった。外がこんな様子では、きっとこの扉も自分で開けなければならないだろう。そう思って扉に手をかけようとした途端、それは壊れそうな音を立てながら、いつもと変わらない速度で開いたのだった。
この自動ドアが生きているという事は、町全体にも電気が通っていると考えてよさそうだ。町外れのエネルギー炉は、メンテナンスさえ行き届けば永遠に電気を生み出せると言う話を父親から聞いたことがあり、そのときはまさかそんな事はあるわけは無いだろうと思っていたのだが、どうやらそれは本当の話だったようだ。現に、自分は目を覚ました。電気はこの百五十年間、絶え間なくこの街に通っていたのだ。
研究所の面している大きな道路に出る。今は夏のはずだが、昔よりも遥かに涼しい。時折吹き抜ける風が、冷たくて心地よく感じられる。
すこし、歩いてみた。人は、誰も見当たらない。見渡す限りの廃墟。近くにあった、フロントガラスの無くなった廃車の運転席には、ぼろ切れを纏った骨が座っていた。
ああ、この町は、私がのんきに眠っている間に死んでしまったのだ、彼女はそう思った。きっと核爆弾が使われて、ここの人たちは被爆して死んでしまったのだろう。彼女はそう思い込むことにした。だったら自分もかなり危ない事になる。しかし、もうどうでもいい。とにかく、この町は、この世界は、当の昔に終焉を迎えていたのだ。道路の至る所から、研究所の床から生えていたのと同じ様な種類の雑草が生えている。なぜか分からないが、背丈が五センチ以上あるような草は、一本も生えていない。
ふと、少女は今の時間が気になった。太陽はちょうど頭の上に来ているが、とにかく気になった。たしか、研究所の、コールドスリープ装置に時計がついていたはず。踵を返して小走り。が、二十メートルも進まないうちに息が上がる。もともと体力はない方だったが、さすがにここまでではなかった。眠っていたせいで体力が落ちたのだろう。これはきっと骨ももろくなってるんだろうな、そう思った。
壊れそうな自動ドアをくぐり、また自分が寝ていた装置まで戻る。装置の脇にすえつけられているモニターはしっかり埃を被っており、それを払ったら右手が真っ黒になった。画面は、まだ生きている。現在時刻は十二時半過ぎ、らしい。日にちは、自分が眠った日にち・・・・まるで昨日のように感じるが・・・・から、ぴったり百五十年経っていた。
そのとき、ふと、他の人たちは一体いつ目覚めるのだろう、と言う思いが少女の頭をよぎった。よし、確かめてみよう。まだふたの空いていない装置に近づき、モニタの埃を払う。画面は真っ黒だった。画面が壊れてしまっただけならまだ望みはある。しかし、もし今、この装置に電気が流れていなかったら・・・・。突然、鳥肌が立つ。ぞっとした。自分もこのようなことが起こり得たのだ。目覚めることが出来たのは、ただ、運が良かったから。それだけだ。コールドスリープ装置は、知らないうちにベッドから棺桶に変化していた。
それから二つ向こうの機械に近づく。こちらのモニタはまだ生きていた。表示によると、この中の人は、外がどうなっているのか知らないままであと百年眠り続ける。その間に、どこかにいるかもしれない人類の生き残りが、この街に来ているといいのだけれど。
その隣の装置はもっと恐ろしいことが起きていた。崩れた天井が、装置のふたの上に乗っかっていて開かないようになっていた。急いでモニタを確認する。それによると、この装置はどうやら三十年前に開いていなければならなかったようだ。画面には、何らかの障害がふたを開かないようにしているので即刻解決しろ、と訴えていたが、この様子からするに三十年前にはすでに人は居なくなっていたのだろう。ついに、この装置の中の人間は目覚めたものの真っ暗な狭い空間の中で、息を引き取ったのだと思われた。
まだ、開いていない装置があと三台残っている。しかし、少女にはもうそれを確認する気力は残っていなかった。どのみち、もうここに居るのは自分だけな気がしてならない。やたらとのどが渇いてきた。しかし、電気は来ていても水はどうだ。長期間使われていないような水道から出てきた水なぞは飲みたくなかった。
どこかに行けば、長期保存用水があるはず。きっと、スーパーに行けば、まあ一本くらいは飲めるのが残っているのではないか。幸い、その店はここからそう遠くない。今のこの体でも、片道十分あればつくはずだ。そのついでにこの、廃墟と化した町の様子も見てこよう。幸い、研究所のこの部屋には非常袋があった。中身はもう遥か昔に使用期限を迎えており、使い物にならなかったが、それの袋はまだまだ使えそうだった。
大通りに出て、さっき歩いた方向とは逆へと足を進める。後ろから吹いてくる風が、長い髪をたなびかせる。一旦足を止め、ふと振り向いてはみたものの、遥か遠くまで続いている道路に、動くものの影は見えなかった。少女は再び歩き出す。右を見ても左を見ても、窓ガラスが砕け外壁が剥がれ落ちている建物ばかり。彼女は、少しばかり廃墟を好む傾向があったために、自分がこの廃墟都市の中を一人歩いているのだと思うと、感動した。感動、と言う言葉は、少々不適切かもしれない。しかし、このときの彼女の心を表すには、これ以上の言葉は無いように思えた。
見覚えのある、コンビニエンスストア。背の高かった看板は根元から一メートルほど上がったところで折れていて、そこから上は狭い駐車場に横たわっている。折れた部分のさび具合からして、この看板が倒れたのはよほど前らしいことがうかがえた。なんとなく、コンビニの自動ドアにも近づいてみたが、このドアはもううんともすんとも言わずに、ただただ沈黙を守っていた。
しばらく歩いて、少女は、この廃墟の町並みは、自分が眠りにつく前となんら変わっていないことに気付く。きっと、コールドスリープに入ってから、十年しないうちに、この町は滅んだのだろう。まあ、彼女が何を想像しようと、その答えを知っている人物は既に居なくなっている。それに、今は彼女一人だけ。真相を知ったところで、何が出来るわけでもない。町がどうなろうが、どうでもいい。
もう少しで目当てのスーパーマーケットに到着するのだが、少女は、とあるマンションの前で足を止め、それの十一階部分を見上げていた。あの辺りは、彼女が住んでいたところであり、家族が住んでいたところだ。・・・・・行ってみたい。別に、何かこの後予定があって、時間に追われているわけでもない。彼女は、そう思ってマンションのホールへの扉を押し開けた。ホールの中は埃まみれだったが、やはり何も変わってはいない。いつもは照明があったために明るく思えていたこの場所も、外からの光だけでは薄暗く、気味が悪く感じられる。映画なら、ゾンビとかが真っ先に出てくるようなところだ。
そこからまっすぐ歩く。エレベーターの扉は、彼女の正面に位置していた。エレベーターに乗ろう。今の体では、階段で十一階までたどり着く事はかなり難しい、そう判断したからだった。しかし、エレベーターが反応しなければ、階段で行こう。そうも思っていた。
右手の人差し指が、上向きの矢印が記されているボタンに触れた。するとすぐに、金属がこすれあう音を立てながら、扉が横向きに引っ込んだ。
「ひゃっ・・・・・」
少女は一瞬、身をこわばらせた。照明のつかなくなったらしいエレベーターの中には、既に先客が居た。四角い空間の隅っこに座っている体は、ミイラのように干からびている。いや、これはもうミイラだ。きっとこのエレベーター内で死んでしまったのだろう。ここは風通しも悪いために、体が風化しなかったのだ。気分が悪くなって、途端に吐きそうになった。しかし、吐き出せるものは、胃の中にはない。
少女は、少しの間ためらっていたが、先客のいるエレベーターに乗り込むことにした。入って、十一とかかれたボタンを押す。扉が閉まると、エレベーター内はほとんど漆黒に包まれたかのように暗くなった。明かりと言えば、停留フロアを表示するデジタル画面と、押したボタンと、この二つだけだった。今にもワイヤーが切れて、落下してしまいそうな音を立てながらも、ゆっくりゆっくり上昇していくエレベーター。もし、今ここでこの箱が落下して、自分が死んでしまったとしても、それはそれで構わなかった。
十一階に着くまでには、少し、時間があった。そこで少女は考えていた。この町は、かなり多くに人間を抱えた都市だったはずだ。しかし、何かおかしい。・・・・・そう、骨の数だ。少なすぎる。今まで見た『ひと』は、車の運転手とエレベーター係、この二人ぶんだけ。いくらなんでも少なすぎる。もしかしたら、どこか一箇所にたくさんの、たとえば、市民会館とか・・・・・・・・・・。そこまで考えたところで、彼女は考えることをやめた。そうだ、この事はもう自分には関係の無い・・・ほとんど関係の無い、ことなのだ。そうだ。
体が地面に吸い寄せられるような感覚が急に無くなった。もしかしたら故障かも、と思ったが、何事も無くエレベーターの扉は開き、少女を目的の階まで連れてきた。廊下の突き当たりにある窓から光が入ってきており、さっきのエレベーターホールよりは明るく感じられる。通れないほどではないが、あちらこちらに天井の一部が落ちて砕けていた。
一歩、踏み出す。古い建物なので、いつ床が抜けてもおかしくないので、慎重に足を進める。コンクリートで出来た廊下は木製のそれとは違ってギシギシ音を立てたりはしなかったが、それはそれで彼女の不安をあおる。もう少し、もう少しだ。あと少しで・・・・・・。
一一三号室。彼女が暮らしていた部屋だ。玄関のドアはしっかりとしまっている。このドアを開いて「ただいま」と言えば、部屋の置くから「おかえり」という声が聞こえてきそうな気がした。少女は、ドアノブをそっと握る。そして、ゆっくりと回し、手前に引いた。多少つっかえる感じはするが、とりあえず、玄関の扉は開いた。やはり、あの時とほとんど変わっていない。あの朝、家を出る時に、玄関に飾ってあった花は、花瓶の中ですっかり枯れてしまっていた。
土足で、自宅へと上がる。少女の歩いた後は、たまっていた埃に足跡がついている。窓が割れているのか、奥の今の方から風が吹いてくる。気にせずにゆっくり進む。もうすぐ、あと三歩程度で、居間だ。
今を見渡した少女は、とある物体に目をやった。そして、それから目を放さずに、壁にそっと寄りかかると、一人、涙を流した。
テーブルに突っ伏すような形で、くすんで模様の分からなくなったエプロンを纏った、骨があった。その近くには、さび付いたお菓子の缶。少女は、涙を流しながら、ゆっくりと、変わり果てた母に・・・・エプロンで判断したのだが・・・・に近づいた。これが、自分の予想していた未来の姿なのか。少女の心は悲しみでいっぱいになる。未来に希望なんて、無かったのだ。
しばらく、その今の窓から外の景色を眺めていた。どの建物も、廃墟。動くものはほとんど無く、ただ、割れた窓から時折風を受けるカーテンだけが、ちらほらと見えるだけだった。・・・もう、ここに用は無い。少女は、朽ちた母に、もう一度目をやった。そのとき、その隣にあったお菓子の缶、これが気になった。
・・・・・・開けてみようか。ゆっくりとテーブルに近づき、さび付いた四角に手を伸ばす。ふたは、思いのほか少ない力であけることが出来た。中には、新聞の切抜きと、封筒が入っていた。
『第三次世界大戦勃発』『生物兵器、世界に拡散か』『ついに、審判の日がやってきた』など、新聞の一面記事の切り抜きだらけ。どうやら使われたのは、核兵器ではなく、生物兵器のようだ。日本から遠い場所で使われたようだが、効果は世界全土にあったらしい。その証明が、これだ。生物兵器か。もしかしたらまだ、この空気にも残ってるかもしれないな・・・。まあ、心配しても、もうしょうがないか。彼女はそう言う思考の持ち主であった。
次に、封のされていない封筒に手を伸ばす。中には、手紙のようなものが入っていた。・・・・・私宛の手紙だ。母はきっと私がここにやってくることを予想して、用意しておいたのだ。その手紙に書いてあった内容に、彼女は泣き崩れた。
もう、このマンションに立ち寄る事は、二度と、無いだろう。少女は、さっきまで自分がいた、十一階部分を見上げる。さようなら、お母さん。そっと小さく、つぶやく。涼しげな風に抱かれるようにして経っている彼女の胸には、また、古びた四角い缶が抱きしめられていた。