猫、毒見役になる
なんと、あたしは寝台の上で食事を食べていいらしい。
(甘やかされすぎじゃない?)
でも、猫だから遠慮はしない。
侍女がテキパキとベッドの上に布を敷いて小さなテーブルを組み立てると、その上に山盛りの生の魚が置かれた。
見るからに新鮮。
つやつやしていて、香りもいい。
『はわわわわ……美味しそう!』
これはもう元王女としての威厳を保ちながら食べるのは難しいかも。
でも……
ふと横を見るとフリードの前には何もない。
『ねぇ、あなたは何も食べないの? 毒ってなんのこと?』
フリードは、どこか寂しそうに微笑んだ。
「事情はあとで説明するよ。僕はお腹が空いていないから大丈夫だ」
そう言った瞬間。
ぎゅるるるる~……
ものすごく正直なお腹の音が部屋に響いた。
フリードの顔が、みるみる赤くなる。
『ほら! お腹空いてるじゃない!』
あたしはすぐに魚の皿を押しやった。
『このお魚に毒は入っていないわ。あたしまだ口をつけてないし、先に食べてみて! お魚ってとっても美味しいんだから!』
「あ、うん……毒はいつも僕の食事にしか入っていないんだ。でも、君の食事を奪うわけにはいかないよ」
あたしの言葉は分からないはずなのに、なんとなく会話の流れを察したらしい。
オットーがくすっと笑う。
そして侍女が運んできたティーワゴンからナイフとフォーク、小皿を取り出した。
「念のため用意してもらって良かったです。この魚は夕食のカルパッチョ用のものなので、殿下が召しあがっても問題ないと思いますよ。多めに持ってきたので数切れくらいよろしいのでは? 味はついていませんので、オリーブオイルと塩で召しあがってはいかがでしょう?」
さすがオットー、気が利く。
……ただ。
あたしは彼の手に握られたナイフとフォークが、どうしても気になった。
何か……変な匂いがする。
あたしはふんふんと鼻を鳴らしながら近づいた。
ナイフ。
フォーク。
もう一度、しっかり嗅ぐ。
……やっぱり。
『ねぇ。このフォークの先端に毒がついているみたいなんだけど』
「なんだって⁉」
「フリード様、どうなさいました?」
戸惑うオットーに、フリードはあたしの言葉を説明する。
するとオットーの表情が一変した。
「分かりました。検査に出しましょう。そしてこの食器に触れることができた人間を探します。ハンス、代わりの食器を厨房から持ってきてくれ」
オットーはナイフとフォークをハンカチで丁寧に包む。
ハンスは「了解!」とばかりに疾風のように駆け出していった。
「まぁ、いつものことだ」
フリードがぽつりと呟く。
「結局、誰も特定できずに終わるだろうけどな」
諦めたような声だった。
フリードの頬は鋭く削げている。毒のせいでご飯が食べられないのかもしれない。
その顔を見て、あたしの胸がきゅっと痛んだ。
『飢え』
それは、とても辛いものだ。
あたしも経験がある。
だから彼の空腹を思うと悲しくなった。
『ねぇ!』
あたしは勢いよく顔を上げた。
『これからあたしが毒見役になろうか?』
「は⁉ 猫が毒見役?」
「殿下、その猫が毒見役を買って出る、と?」
会話から察したらしいオットーも驚いて口を出した。
『嗅覚は犬だけの特権じゃないのよ。猫だって人間の数万倍の嗅覚があるの。遠くからだって匂いが分かるんだから。それにあたしは毒で死なないし』
毒というか、まあ……。
何ででも死ねないんだけど。
「でも、君に危険なことはさせたくない」
フリードが真剣な顔で言った。
『大丈夫よ。せいぜいお腹を壊すくらいだし』
「いや、お腹を壊すということは苦痛があるんだろう? ダメだ。少しでも君が痛い思いをするなら絶対に反対だ」
……この人。
猫相手にそこまで本気で心配するの?
あたしは少し呆れつつ、でもなんだか嬉しくなった。
『そっか。まぁいいや。でも今は一緒に魚を食べようよ。オリーブオイルと塩ならきっと美味しいと思うよ。あたしは猫だから調味料はダメだけどさ』
ちょうどその時。
ハンスが新しいナイフとフォークを持って戻ってきた。
あたしは再びふんふんと匂いを嗅ぐ。
うん。
『大丈夫』
太鼓判を押してやった。
魚は新鮮で歯ごたえも最高!
あたしがむしゃむしゃ食べている間に、フリードも自分の皿に取り分けた小さな白身魚にオリーブオイルと塩をかける。
彼はナイフとフォークで丁寧に切り、口へ運んだ。
……やっぱり王子様。
食べ方まで綺麗だ。
その瞬間。
フリードの黒い瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。
「美味しい……食べ物が美味しいと思えたのは久しぶりだ」
『でしょ?』
あたしは得意げに胸を張る。別にあたしの手柄じゃないんだけどさ。
『食べ物って美味しいの。ひもじいのは本当に辛いのよ。あたしも経験あるわ。だからあなたみたいな子供がお腹空かせてるのは耐えられないの。だから毒見役させてちょうだい』
「子供って。自分のほうが子供のくせに」
フリードがくすっと笑った。
泣き笑いみたいな顔で。
『あら! あたしは二百歳越えの立派な大人なんですからね!』
「二百歳⁉」
思わず叫んだフリードを、オットーが興味深そうに眺める。
『あとで説明するわ。今は美味しいものを食べましょう。お魚、美味しいでしょ? とても新鮮だし、切り口も見事よ。きっと良い料理人を雇っているのね』
「ああ。この王城には最高の料理人がそろっているよ」
フリードが楽しそうに笑う。
「後で紹介しよう」
そう言って、二切れ目の魚にフォークを刺した。




