猫、王子様と出会う
とんとんとん。
「ハンス・シュミット第二騎士団副団長です!」
「入れ」
内側から艶のある低音の声が聞こえると「失礼しますっ!」とハンスが元気よく扉を開けた。
扉の向こうは広々とした寝室だった。
中央には大きな天蓋付きの寝台。
昼間なので大きな窓から太陽の光が燦々と降り注いでいる。
しかも天井は高くて吹き抜け。
窓は大きいのに直射日光にならない設計らしく、眩しすぎず、暑すぎず、温度も実に快適。
つまり、猫にとって最高に居心地の良い空間である。
うん、間違いない。
「見つけたか?」
「はい、オットー・ブラウン団長殿!」
オットー・ブラウンと呼ばれた金髪碧眼の背の高い美丈夫が手籠の中を覗き込んだ。
ちょっと待って。
淑女のプライベート空間をそんなに堂々と覗くなんてどういうこと?
あたしは即座に『シャーーッ!』と威嚇してみた。
するとその男は闊達な笑い声をあげる。怖がる様子はない。くそぅ。
「元気の良い猫だな。野生か? 毛並みが良いからもともとは飼い猫だったかもしれないと殿下がおっしゃっていたが」
「気をつけてください。騎士団長まで引っかかれたら威厳に関わる。多分野生ですよ。俺は二度も引っかかれました」
ハンスが、半ばかさぶたになっている手の甲を見せる。
騎士団長であるらしいオットー・ブラウンは苦笑いを浮かべた。
「他の騎士たちには言うなよ。副団長が舐められるぞ」
「分かっていますよ。何しろおてんばで」
「雌か?」
「はい。アンナがそう言っていました」
「爪は……?」
「アンナが切ってくれました。王太子殿下に万が一のことがないように」
「そうか」
団長は、あたしの入った手籠をハンスから受け取ると、部屋の奥にある寝台へと運んでいった。
「フリード様、猫を連れてまいりました」
「ん、ああ」
巨大な寝台の端に、小さく丸まるようにして黒い髪の少年が横たわっていた。
(男の子……よりも、もう少し年上?)
(十代半ばくらいかしら)
頬がこけて、かなりやせ細っている。
(この子が王太子なの?)
警戒するよりも先に心配が出てしまった。
横向きの顔から濡れた黒い瞳がじっとあたしを見つめている。
(黒目黒髪なんて珍しいわね)
この世界で黒目黒髪は希少である。
庶民に多いのは茶髪や赤毛。
目の色も茶色、青、緑など、薄い色素がほとんどだ。
貴族になると金髪碧眼、あるいは金色の瞳も多い。
そして歴史的に、黒目黒髪は普通の人よりもはるかに強い魔力を持つとされている。
伝説の大魔法使いと呼ばれる人たちは全員が黒目黒髪だったそうだ。
(そういえば……)
(あたしに呪いをかけた魔女も黒目黒髪だったわ)
「やぁ、はじめまして。僕はフリードだ」
じっと彼を見つめて考え込んでいたあたしに少年が掠れるような声で挨拶した。
……その声があまりにも弱々しくて。
思わずあたしは「にゃあ」と甘えるように鳴いてしまった。
「お! こいつ王太子殿下には愛嬌を振りまいているぞ! 俺と扱い違くないか!」
ハンスの文句をきれいに無視して、フリードはオットーに目で合図する。
少し躊躇しながらもオットーはゆっくりと手籠の扉を開けた。
あたしは周囲を警戒しながらゆっくりとかごから這い出す。
誰も動かない。
ただ静かに、あたしの動きを見守っている。
……ありがたい。
誰かが急に動いたり騒いだりすると怖くてすぐ隠れたくなっちゃうから。
手籠は寝台の上に置いてある。
自然と、横向きの黒い瞳と目が合った。
「にゃあうん」
あたしの声に、フリードは弱々しく微笑んだ。
「君は可愛いね。それにとても綺麗だ。特にその金色の瞳、宝石みたいで美しいよ」
(な、なにをいきなり!?)
可愛いと言われたことは何度もある。
でも綺麗なんて初めてだ。
(子供のくせに口が達者なのね! あ、あたしにお世辞なんて通用しないから!)
内心の動揺を隠しながら、あたしはゆっくりとフリードに近づいた。
警戒はしている。
でも彼からは悪意も敵意も感じない。
それにやせ細って弱っている男の子が気の毒で仕方なかった。
彼の瞳には深い悲しみが宿っているように見える。
それだけじゃない。
なぜか不思議と他人という気がしない。
以前、飼い主になった人間に出会ったときと同じ感覚。
多分こういうのを相性が合うっていうんだと思う。
あたしは寝台の上でフリードの体を乗り越えて反対側、つまり彼の背中側へ着地した。
「お、おい! 王太子殿下に不遜な……」
ハンスが慌てた声を出しかけたけどオットーが手でそれを制した。
あたしはフリードの背中に体をぴたりと押しつける。
すると自然に、
ごろごろごろごろ……
喉が鳴り始めた。
フリードは大きく息を吐いた。
まるで温もりが心地いいと言うように。
そして数分もしないうちに……
深い寝息が聞こえてきた。
「え!? 王太子殿下、あんなに眠れないって苦しんでいらしたのに……」
「しっ、静かに……。ようやくお眠りになられたようだ。我々は行くぞ」
「はっ」
「扉の外で警護を頼む。絶対に誰も通さないように注意してくれ」
「はっ」
囁き声の会話を聞きながらあたしの意識もだんだんとろとろしてきた。
まどろむように、白く、ゆっくりと。
そしてそのまま眠りに落ちていった。




