猫、国王と食事をする
その日、あたしの尻尾がぴんと立つことはなかった。
ずっと地面と平行。いわば低空飛行である。
「本日のエレ様は毛並みの艶が三割増しでございますよ。どうかご安心ください」
家令のシュトルヒはあたしの緊張を察したらしく、真剣な顔で励ましてくれる。
「エレ、心配しなくていい。父上には事情を説明してあるから大丈夫だよ」
フリードもそう言ってくれるが、本人も少し緊張しているのが伝わってくる。
今夜、あたしはフリードのお父さまである国王ヴィルヘルム・フォン・ライナー陛下および魔女マルガレーテと一緒に夕食をとることになっている。
しかしフリードは、マルガレーテが同席することを当日まで知らなかったらしい。
「どうしてマルガレーテ殿も同席する必要があるんだ?」
「殿下、申し訳ございません。国王陛下のご命令と伺っております」
シュトルヒが困り顔で答えていた。
後で二人きりになった時、あたしはそっと尋ねてみた。
『フリードはマルガレーテという方が苦手なのね?』
フリードは苦笑いを浮かべた。
「正直言うと、そうなんだ。毒消しの薬を調合してもらったりしているんだけど……まったく笑わないし、何を考えているのか分からない。それに父上と距離が近すぎる気がしてね」
『それは……確かに複雑ね』
王妃様はどうされているのだろう、と少し気になったが、それはフリードが話したくなった時に聞けばいいだろう。
その頃……
アンナはというと、再びいい匂いのする泡風呂を用意し、完全に臨戦態勢だった。
「エレ様! 今日は徹底的に磨き上げますからね!」
腕まくりするアンナから逃げられる猫など、この世に存在しない。
あたしはふわふわに洗われ、丁寧に毛を梳かれ、さらに可愛いリボンと鈴付きの首輪まで装着された。
「お、綺麗になったなぁ! お姫様みたいだぞ!」
ハンスが余計な一言を言う。
シャー――!!
威嚇すると、ハンスは慌てた。
「なんで⁉ 俺なにか悪いこと言った?」
言った。
そして、いよいよ国王とマルガレーテの待つ晩餐の間へ向かう。
フリードは正装しているのに、いつものようにあたしを肩に乗せている。
一応、抵抗はしたのよ?
せっかくの正装なんだからあたしは自分で歩いて行くって言ったのに。
でもフリードは絶対に譲らなかった。
正装だから当然ながらいつもより豪華な衣装である。
爪を引っかけないよう、あたしは必死でバランスを取った。
でも。
フリードの肩は、前よりずっと広くなっていた。
最初に会った頃は、痩せて頼りない印象だったのに。
今では筋肉もつき、姿勢も堂々としている。
顔つきも子供っぽさが抜けて、凛々しく引き締まっていた。
本当に、この数か月でフリードは大きく変わった。
当初、護衛である騎士団長のオットーがフリードを見る目は完全に「庇護すべき主君」だった。
でも今は違う。
憧れと誇りが混ざった主君を崇める騎士の視線に変化したのだ。
『エレ様のおかげですよ』
オットーはそう言ってくれたけど、あたしは正直、何もしていない。
ここにいて役に立っているのかな?と思うくらい、何もしていないのだ。
(……まあ、猫だから仕方ないよね)
◇◇◇
「おお! 君がエレ殿か!」
晩餐の間に入るなり、ヴィルヘルム国王は満面の笑みで迎えてくれた。
「なるほど……これは確かにフリードが肩に乗せて歩くわけだ。どうだ? 俺の肩にも乗らないか?」
「にゃごう(無理!)」
「父上、無理です。エレは僕のものですから」
「わぁっはっは、こりゃ参ったな」
豪放磊落な人らしい。
「話には聞いているよ。ずっと会ってみたかった! 君のおかげでフリードの健康も改善しているとか。騎士団の鍛錬にも参加していると聞いた。心から感謝する」
国王は金髪碧眼の華やかな美形で、笑顔がとても眩しい。
(モテるんだろうな)
百人中百人がそう思うタイプの男性だ。フリードも端整な顔立ちをしているが、父親ほど目立つ容姿ではない。
その隣にいる黒髪の女性が魔女マルガレーテだろう。
黒髪をきっちり結い上げ、鋭い黒い瞳。
そして、完全無欠の無表情。
しかも。
あたしの方をほとんど見ない。
ニコニコしている国王とは、まるで正反対だった。
(うん……これは確かにフリードが苦手になっても仕方ないかも)
あたしもできるだけマルガレーテの方を見ないようにした。
結局、食事の間に彼女が口を開いたのは一度だけだった。
「まぁ、猫も食卓の上で食べるんですか? 床で十分ではないですか?」
うん、野良猫生活が長かったあたしとしては、その意見も理解できる。
……が。
フリードは一瞬眉をひそめた。
「エレは僕の大切な友人です。友人に床で食事をしろと言うのですか?」
いつもより少し声が硬い。
「マルガレーテ。エレ殿は私の賓客でもある。今日は特別に認めてくれないか?」
国王が穏やかに口添えしたことで、その場は収まった。
でも。
(あ、この人あたしのこと嫌いだ)
という予感は消えなかった。
それが確信に変わったのは帰り際だった。
国王がフリードと話している隙に、マルガレーテが近づいてきた。
そして耳元で囁く。
「調子にのらないことね。何をたくらんでいるのか知らないけど……。絶対に城から追い出してやるから」
あまりに突然の敵意に、あたしは固まった。
威嚇も出ない。
鳴き声も出ない。
ただぽかんと彼女を見ていたその時。
「何をされているのですか?」
低く落ち着いた声が背後から響いた。
オットー・ブラウン騎士団長だ。
「わ、わたくしは別に何も……」
「今、エレ殿に何をしました? ……いや、何を言いました?」
穏やかな口調。
笑顔まで浮かべている。
でも、このまま逃がさない、という迫力を感じた。
「何も言っていませんわ。なんですの? たかが猫に皆さん夢中になって。おかしいですわ。まるで魔女にたぶらかされているみたいで」
「ほう?」
オットーは少し首を傾げた。
「エレ殿が魔女のようだ、と? たかが猫とおっしゃった直後に?」
笑顔のまま。
声も爽やか。
なのに、なぜか空気が冷える。
「エレ殿がいらしてから、フリード様は一度も毒の影響がない。もしエレ殿がいなくなれば……また毒が盛られるのかもしれませんね」
そしてさらりと言った。
「毒の心配が無くなれば、マルガレーテ殿のお手を煩わせることもなくなるでしょう」
『そうなったらお役御免で城から出ていくのはあなたですよ』
そういう含みがある。
結構きついことを言っているのに、オットーの顔は終始「今日はいい天気ですね」みたいな爽やかさだ。
マルガレーテはさすがに言葉の棘を感じたらしい。
「し、失礼いたしますわ!」
逃げるように去っていった。
「エレ殿、大丈夫ですか?」
「にゃおん(助かったわ。ありがとう)」
オットーは少ししゃがみ、優しく言った。
「何も気になさる必要はございません。あなたはこの城に、フリード様のために必要な方です」
本当にそうなのかな。
少し照れくさくなって、あたしはオットーの足元に体を擦り寄せた。




