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幕間 「百年後の聖域。偉大なる『経済の母』と語り継がれる銀の犬」

【視点:リリィ】

【アシュトン財閥 創立百周年記念・王都アシュトン・モーターズミュージアム】

「うわぁっ……! 大きい! ねえ見てクロエ、あの入り口のモニュメント!」


抜けるような青空の下。


音もなく滑るように飛空する最新型の反重力スクールバスから降りた瞬間、私は思わず歓声を上げて駆け出していた。  


王都の中心地にそびえ立つ、陽光を浴びて白亜に輝く巨大なドーム状の建築物。


ずっとずっと楽しみにしていた社会科見学の目的地、『アシュトン・モーターズミュージアム』だ。  


私が指差した先、ミュージアムの正面ゲートには、天に向かって誇り高く咆哮する『銀色の犬』の巨大なモニュメントが鎮座している。


最高純度のミスリル合金で鋳造されたその姿は、今や世界中の誰もが知るアシュトンの象徴だ。


太陽の光を反射してキラキラと輝くその姿は、美しくて、それでいてどこか今にも飛びかかってきそうな獰猛さがあって、見ているだけで胸がドキドキしてしまう。


「うるさいわねリリィ、はしゃぎすぎよ。ただの社会科見学じゃない。それに、あれはただの犬じゃなくて、アシュトンの守り神って言われてる銀狼よ」


隣でクールな銀縁眼鏡を押し上げながら、親友のクロエが呆れたように私の腕を引いた。  


私は「えへへ」と笑いながら、引率のオリバー先生の後に続いて、ひんやりと冷房の効いた荘厳なエントランスへと足を踏み入れた。


                    ◇


「はい、皆さーん。私語は慎んで、列を乱さないように。ここからは静かに見学しますよ」


オリバー先生が、空中に展開されたホログラムパネルを操作しながら解説を始めた。


「このミュージアムは、我が王国……いえ、現代の世界経済そのものの礎を築き上げた偉大なる創業者、ローズマリーの数奇な運命と軌跡を辿る施設です。……そこの男子! 展示物のバンパーに触らない!」


先生の注意にクスクスと笑い声が漏れる中、私はエントランスホール正面に掲げられた巨大な肖像画を見上げて、ふぅっと感嘆の息を吐いた。  


純白のスーツに身を包み、氷のように冷たく、しかしすべてを見透かすような慈愛(?)に満ちた美しい微笑みを浮かべた女性。


その手には、なぜか乗馬鞭のようなものが優雅に握られている。


「……信じられないわよね。この人が、最初はただの『メイド長』だったなんて」


「うんっ! 歴史の教科書で読んだよ! 没落寸前だった主家を救うために、たった一人で自動車工房を立ち上げて、そこから世界一の財閥を創り上げたんだよね! すっごいサクセスストーリー!」


私は興奮気味にクロエに語った。  


百年前の王国の混乱期。


魔法が一部の特権階級だけのものだった時代に、誰もが扱える魔導エンジンを開発して、車という乗り物を世界中に広めたすごい人。  


さらには、武力で世界を制圧しようとした恐ろしい帝国に対して、「経済統合」っていう平和的で画期的な手段で戦争を終わらせて、今の豊かで平和な世界を創ってくれた。


私にとっては、魔法の杖を持ったお姫様よりもずっとカッコいい、憧れのヒーローなのだ。


「はい、皆さん注目! ここ、来週の期末テストに出ますよー!」


オリバー先生が、指示棒でローズマリーの肖像画をバンバンと叩いた。


「ローズマリー初代総帥は、その圧倒的な功績と慈悲深さから、現在の歴史の教科書では『世界的な経済の母』と称されています! 彼女が提唱した『資本と物流による絶対平和』の理念、そして『メイドから総帥へ』という大躍進の歴史は、しっかりとノートに書き留めておくように!」


「……母っていうより、誰も逆らえない絶対君主って顔してるけどね」  


クロエが隣で小さく呟くのが聞こえて、私は少し苦笑いした。


たしかに、当時の記録映像を見ると、笑顔で他社の社長さんたちを泣かせながら土下座させているように見えなくもない。


でも、そこがまたカッコいいのだ!


                   ◇


私たちは、時代順に並べられた壮大な車両展示エリアへと進んでいった。

 

初期の無骨な4輪魔導車から、最新の流線型のスポーツカー、そして空を飛ぶ輸送機まで、当時の最高技術の結晶がピカピカに磨き上げられて並んでいる。


ほんのり漂う古い油と鉄の匂いが、百年前の情熱をそのまま運んでくるみたいだ。


「あ、これがおじいちゃんが言ってた車だ! 初代『モデルA』!」


私が駆け寄って指差したのは、銀色のシンプルで頑丈そうな四輪車だった。  


現代の空飛ぶ車に比べればまるでブリキのおもちゃのようだけど、この小さな四つの車輪が、本当に世界中の人々を繋いでくれたんだと思うと、なんだか胸が熱くなる。


「本当に、この小さな四つの車輪が世界を繋いだのね……」


クロエも、その無骨ながらも洗練された機能美にじっと見入っていた。


そして、ついにミュージアムの最深部。  


ドームの中央、最も厳重な防弾ガラスと多重魔力結界に守られた円形の特別ステージに、『それ』は鎮座していた。


「おおおぉぉ……!」


「綺麗……息が止まりそう……」


私を含め、生徒たちから感嘆の吐息が一斉に漏れる。  


漆黒と真紅の魔導合金でメタルワークされ、優雅な曲線と、戦車のような恐ろしいほどの威圧感を併せ持つ超大型の最高級魔導車両。


「これが……当ミュージアムにおける最高の宝物。アシュトン財閥の頂点にして、ローズマリー総帥の専用機として一式だけ特別に製造された幻のフラッグシップ……『モデルA・カスタム "ローズマリー"』です」


オリバー先生の声も、自然と畏れ多く低くなった。


「この車は、単なる乗り物ではありません。帝国の技術、ドワーフの古代ルーン、そして王国の極秘技術のすべてが投じられた『走る玉座』です。……総帥は、この車に乗って幾度となく戦場の最前線へ赴き、自らの命を懸けてビジネスの陣頭指揮を執ったと伝えられています」


神々しいまでの威容。  


百年経った今でも、キーを回せばそのまま雷鳴を響かせて空へ飛び立ちそうなほどの、荒々しい生命力に溢れている。  


私はガラスの最前列に張り付き、その美しい車体を食い入るように見つめた。  


でも。


じっと見ているうちに、ふと不思議なことに気がついたのだ。


「ねえ、クロエ。あの車……全体的にすごく綺麗にまとまってるのに、なんだかちょっと変なマークがいっぱい付いてない?」


「え? ほんとだ。アシュトンの公式エンブレムじゃないね」


クロエが眼鏡の奥の目を丸くする。

 

そう、『モデル・ローズマリー』の車体には、アシュトンの洗練された公式エンブレムとは別に、不揃いで、ひどく個性的で、なんだかガチャガチャした奇妙な意匠が、こっそりと、でもすごく誇らしげに刻み込まれていたのだ。


フロントグリルの最も目立つ場所には、まるで風を切り裂くように配置された、今にも飛びかかってきそうな『銀色の狼のエンブレム』。  


ダッシュボードの中央には、まるで心臓のように脈打つ光を放つ、とんでもなく大きくて高価そうな『深紅の魔石』。  


エンジンの吸気口のすぐ横には、洗練されたデザインには似つかわしくない、無骨で油まみれのような『交差するスパナのマーク』。  


そして、運転席の計器類のパネルにびっしりと彫り込まれた、目を回しそうなくらい精緻な『魔導計算機の文様』。


「……先生、あのマークは何ですか? 統一感がなくて、なんだか不思議です」


クロエが尋ねると、オリバー先生は優しく微笑んで、展示室の片隅へと私たちを案内した。


「非常に良い質問ですね、クロエさん。……実は、ローズマリー総帥は、たった一人で世界を制したわけではないのです」


華やかな歴史年表の陰にひっそりと飾られていたのは、一枚の色褪せた白黒写真だった。  


そこには、冷たく微笑む若き日のローズマリーの背後に並ぶ、四つの影が写っていた。


泥だらけで凶悪なガントレットを構え、満面の笑みで主君を守るように立つ銀髪の少女。  


高価なドレスを纏い、なぜかローズマリーの足元でひれ伏し、うっとりと悦に入ったような顔をしている高飛車な女性。  


巨大なレンチを肩に担ぎ、油にまみれて豪快に笑う女ドワーフ。  


そして、魔導計算機を抱え、今にも泣き出しそうに青ざめている少女。


「彼女たちこそが、総帥を支え、共に血と泥にまみれ、世界中を駆け巡って戦い抜いた最高のパートナーたちです。歴史の表舞台には『アシュトン財閥』という美しい名前しか残りませんでしたが……総帥は、自身の最高傑作であるこの玉座に、彼女たちの魂を生涯刻み込んだのです」


「……へえ」


私は、写真の中で不敵に笑う銀髪の少女と、『モデル・ローズマリー』のフロントで牙を剥く銀狼のエンブレムを見比べた。  


教科書には「平和な経済統合」とか「慈悲深き母」とか、すごく綺麗に書かれている。


でも、この泥だらけで傷だらけの写真の彼女たちを見ていると……決してそんな綺麗事だけで世界を制したわけじゃないんだってことが、百年の時を越えて、私の胸に直接、ドクンと響いてきた。


きっと、血と汗と、怒号と、信じられないほどの莫大な金が飛び交う、狂気的で、騒がしくて、最高に熱い日々がそこにあったんだ。


あの銀色の狼みたいに、なりふり構わず大切なものを守るために戦った人たちがいたんだ。


「すごいね、クロエ! なんだか、歴史がすぐそこで熱く生きてるみたい!」


「……そうね。テストに出る綺麗事の裏には、きっともっと、面白くて、泥臭くて、無茶苦茶なドラマがあったんでしょうね」


クロエはクスッと笑い、ガラス越しに鎮座する『モデル・ローズマリー』に向かって、そっと、深い敬意を込めた敬礼をした。


私も慌てて、背筋を伸ばして深く頭を下げる。


百年の時が流れ、かつて血で血を洗う経済戦争と陰謀が繰り広げられた空は、今では平和で穏やかな青色に包み込まれている。  


でも、強欲で、気高くて、きっと誰よりも騒がしかった鉄の女と犬たちの記憶は、ただの文字じゃなく、このミュージアムの冷たい鋼鉄の奥底で、確かに熱を持って語り継がれている。


「さあ、次は空飛ぶコンテナ船の展示に行きますよー!」


平和な午後。


先生の声に急かされて走り出しながら、私はもう一度だけ振り返って、あの銀狼のエンブレムを見た。  


なんだか、今にも「ウチのご主人様が一番だ!」って、誇らしげな声が聞こえてきた気がして。

 

私はたまらなく嬉しくなって、王都の青空へ向かって、思いっきり弾けるような笑い声を上げたのだった。

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