表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

95/98

第82.5話 嵐の夜の暴走犬。銀と紅の凶騒曲」

【同日深夜:王都・アシュトン仮設邸宅 地下巨大ガレージ】

王都をバケツをひっくり返したような豪雨が打ち据えていた。

 

ローズマリーさんが、王国の重鎮たちや帝国大使との重要な極秘会合のために邸宅を空けている、嵐の夜。

 

私とあの泥棒猫ベアトリスは、カミーラさんの巡回ルートと秒数を完全に計算し尽くし、冷たく静まり返った地下ガレージへと忍び込んでいた。


「……いい? 泥棒猫。私がご主人様の第一として相応しいってこと、今日こそ、この走りで分からせてあげるからね!」


私は、薄暗いガレージの奥に鎮座する「それ」を覆っていた分厚い防塵カバーを荒々しく引き剥がした。


「フン、笑わせないでちょうだい。私がローズマリー様の最も優れたパートナーであることを、このスピードで証明してあげるわ!」


ベアトリスもまた、隣に並ぶもう一台のカバーを優雅に、しかし乱暴に払い除ける。

 

そこに眠っていたのは、ガンテツ姉さんと、シドが昼夜を問わず組み上げていた、


アシュトン・モーターズの次世代試作機であった。  


あの時、私たちが帝国の飛行要塞から無理やり引っこ抜いてきた『魔力吸収装甲』の技術を無断転用し、さらにガンテツ姉さんの軽量化技術を悪魔的に融合させた二台の怪物。  


闇夜に溶け込むような極限まで空気抵抗を削ぎ落とした流線型の漆黒の機体と、血のように艶やかな真紅の機体――『新型魔導レーシングカー・プロトタイプ』。


ローズマリーさんからは、「調整が済むまでは絶対に触るな。触ったらお仕置きですよ」という厳命が下っていた。  


……分かってる。分かってるんだ。


ご主人様の命令は絶対だ。


あの美しい唇から紡がれた言葉に逆らうなんて、本来なら万死に値する。  


でも、どうしても我慢できなかった。


最近、この泥棒猫が「私の方がローズマリー様のお役に立っている」だの「私の経済的知識と財力こそが愛の証明」だのと、いちいち突っかかってくるのだ。  


ふざけるな。


ご主人様の隣に相応しいのは、この世界でただ一人、私だけだ。


ご主人様が一番愛しているのも私だ! 


この圧倒的なスピードで、その絶対不変の事実をアイツの脳髄に叩き込んでやらなきゃ、私の腹の虫が収まらない!


「いくよ! 王都の環状線を三周。雨のコンディションでも関係ない。先に帰ってきた方が『正妻』だからね!」


「望むところよ、野良犬! 負けたら、一生私の足拭きマットとして生きることを誓いなさい!」


二人がそれぞれのコックピットに滑り込み、イグニッションを叩き込んだ瞬間。  


キュイィィィィィィンッ!!


地下ガレージの空気が、爆発的な魔力の逆流によってビリビリと震えた。


ズドォォォォォォンッ!!


凄まじい魔力噴射音と共に、二台の新型機が地下スロープを駆け上がり、雨の降る王都の夜の街へと弾き出された。

 

圧倒的なオーバースペック。


シドの狂気とガンテツ姉さんの執念が詰まった未調整のV型魔力エンジンは、乗り手の技量など完全に無視して、限界突破の出力を叩き出す。  


でも、私ならいける! 


私のカンと動体視力なら、このバケモノを手なずけられる!


「ひゃあははははっ! 速い、速いよこれ!!」


漆黒の機体を操る私は、豪雨で視界が最悪の中、アクセルを床の鉄板がひしゃげるほど踏み抜いていた。  


銀色の魔力オーラを車体全体に行き渡らせ、機体と私自身の神経を同調させる。


濡れた石畳のコーナーを、タイヤを悲鳴のように軋ませながら強引なパワードリフトで駆け抜ける。  


これだ。


この胸がすくような疾走感! 


ご主人様、見ていて! 


私、誰よりも速く走ってるよ!


「生意気な……! 私の『特級魔石』のブーストに追いつけると思って!?」


後方から、真紅の機体が猛烈な水飛沫を上げて肉薄してくる。  


ベアトリスは、財力に物を言わせた直線的な加速で私の横に並びかけた。


魔力吸収装甲が、降り注ぐ雨粒すらも運動エネルギーに変換し、禍々しい赤い尾を引いて疾走する。  


チッ、金にモノを言わせた力技! 


でも、コーナーの突っ込みの鋭さなら私の方が上だ!


王都の夜空を、銀色と真紅の魔力の残滓が文字通り切り裂いていく。

 

信号も、車線も関係ない。


常軌を逸したスピードで繰り広げられる、時速三百キロを超える雨中のデッドヒート。  


二台の怪物は、互いの車体をぶつけ合い、火花を散らしながら環状線を爆走した。


「そこをどきなさい、野良犬ッ!!」


「あんたこそ、後ろの排気ガスでも吸ってなよ、泥棒猫ォォッ!!」


絶対に譲らない。


私はご主人様の剣であり、一番の猟犬だ。


この走りで、私が一番だと証明する!  


だが、その狂乱は長くは続かなかった。  


未調整の魔力エンジンは、二人の限界を超えた魔力注入と闘争心によって、すでに制御不能の臨界点に達していたのだ。


王都の目抜き通り。


最終コーナーに差し掛かった瞬間。  


二台のエンジンの安全装置が、同時に甲高い警告音を鳴らして焼き切れた。


「え……? ちょっと、ハンドルが……!」


「嘘でしょ、ブレーキが効かないわ!?」


背筋がゾワリと凍った。  


コントロールを完全に失った二台の凶弾は、雨の路面を横滑りしながら、交差点の先にある豪奢な建造物へと一直線に向かっていく。  


そこは、王都の景観の中でも一際目立つ、『帝国資本の最高級ホテル』のエントランスであった。


「「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」」


ガッシャァァァァァァァァァンッ!!!!


ガラスの砕け散る轟音。  


銀と紅の暴走車は、ホテルの巨大な回転扉を粉砕し、シャンデリアが輝く大理石のロビーへと仲良く突っ込んだ。

 

高級ソファーをなぎ倒し、フロントのカウンターを木端微塵に吹き飛ばし、ようやく二台の車は白煙を上げて沈黙した。


建物のエントランス部分は半壊し、外交問題スレスレ、いや、完全な大事故であった。


……やばい。  


私の全身から、一瞬にして血の気が引いた。


死ぬ。


事故で死ぬんじゃない。


ご主人様に、殺される。


                  ◇


数時間後の、夜明け前。  


ホテルの前は、緊急出動した王宮騎士団の装甲車と、激怒してパジャマ姿のまま飛び出してきた帝国大使の怒号で、収拾のつかない大混乱に陥っていた。


「どういうことだ! 我が帝国資本のホテルへの明らかなテロ行為である! 王国政府は直ちに……!」


「――落ち着きなさい、大使閣下。血圧が上がりますよ」


その騒乱を、ただ一人の女が、圧倒的な「暴力」で一瞬にして鎮圧した。  


私の最愛にして最恐のご主人様、ローズマリーさんだ。  


彼女は、怒り狂う騎士団長と青ざめる帝国大使の前に、分厚いジュラルミンケースをドンッと無造作に置いた。


中身は、目も眩むような王国の最高額紙幣と、帝国の利権書式。  


さらに、ご主人様は氷のような笑みを全く崩さず、静かに言い放った。


「これは事故ではありません。我がアシュトンが王国軍と合同で行った、『テロ対策の極秘訓練』です。ホテルの損害は全額、いや、その三倍の金額で即座に補填しましょう。……これで、不満がおありですか?」


莫大な札束と、王国の英雄という絶対的な権力。  


大使も騎士団長も、その静かで暴力的な圧力の前にぐうの音も出ず、顔を引き攣らせて引き下がるしかなかった。

事態を金と権力で強引にねじ伏せた後。  


ローズマリーさんは、ホテルのロビーで正座させられていた、泥とススで顔を真っ黒にした私と泥棒猫を回収した。


                   ◇

「…………」


邸宅への帰りのリムジンの中。  


私とベアトリスは、後部座席で身を寄せ合い、まるで雨に打たれた仔犬のようにガタガタと震えていた。  


向かいの席に座るローズマリーさんは、車窓を流れる雨の街並みを眺めたまま、一言も言葉を発しない。


ただ、かつてないほど静かで、冷え切った笑みを浮かべているだけだった。  


怒鳴られる方が、叩かれる方が、まだ何百倍もマシだった。  


その絶対的な沈黙が、私の精神をゴリゴリと削っていく。


ごめんなさい、ごめんなさい。


ご主人様に迷惑をかけるつもりはなかった。


ただ、私が一番だって見せたかっただけで……嫌だ、見捨てないで、嫌いにならないで……!


やがて、リムジンが仮設邸宅の地下駐車場に滑り込み、エンジンを止めた。  


重苦しい静寂の中、ローズマリーさんの氷のような声が、ぽつりと落ちた。


「……アリア。ベアトリス」


「「ひぃっ……!」」


「車を降りて、地下の『特別室』へ向かいなさい」


その声を聞いた瞬間。  


私の背筋に、かつてないほどの死の予感と、逃れられない絶望感が走った。  


でも、どうしよう。


おかしい。


頭がおかしくなりそうだ。  


こんなにも恐ろしいのに、震えが止まらないのに。


私の心のど真ん中で、これからご主人様に、私だけを見て、直接たっぷりとお仕置きしてもらえるという、狂ったような期待と歓喜が、甘くドロドロと弾けたのも事実だった。


「貴女たちは……自分の立場というものを、もう一度骨の髄まで、肉体の底の底まで理解する必要があるようですね」


嵐の夜は、まだ終わらない。  


私の大好きな絶対君主による、身も心も溶けるような真のおしおきは、ここから始まるのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ