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第82話 「女帝の凱旋。アシュトン財閥の誕生と、騒がしき仮初めの犬小屋」

【数日後:王国首都・王立中央議事堂前広場】

抜けるような青空の下、王国首都のメインストリートは、建国以来最大級の熱狂と歓声に包まれていた。  


空を覆う巨大な絶望――帝都を火の海に変え、王国をも標的としたドワーフの『飛行要塞』。


あの空飛ぶ鉄の塊がもたらした未曾有の脅威は、「原因不明の暴走による自爆」という、ご主人様が書き換えた最高に都合のいいシナリオの通りに消え去ってから一週間。  


王国政府は、その危機を秘密裏に未然に防ぎ、両国の全面戦争を回避した最大の功労者として、一人の女性の名前を大々的に発表したのだ。


ローズマリー。  


私の魂の絶対的支配者であり、アシュトン・モーターズの若き総帥。


そして今や、この国すべての人間がひれ伏す王国の救世主。


「ローズマリー様ぁぁっ!」


「アシュトンの女神様バンザイ!!」


パレードの紙吹雪が雪のように舞う中、最高級のオープンカー『モデルA・ロイヤルカスタム』の後部座席で、ローズマリーさんは純白のドレスに身を包んでいた。


優雅に、そして氷のように冷たく完璧な微笑みを浮かべて、愚かな群衆に手を振っている。  


ああ……なんて、なんて美しいんだろう。


太陽の光すら、彼女を引き立てるためのただの照明器具に過ぎない。


この世界はすべて、私のご主人様を飾るためのショーケースなのだ。  


そして、その助手席。


世界で一番ご主人様に近くて、絶対に誰にも譲らない「特等席」に座っているのは、もちろんこの私、アリアだ。


私は腕を組み、周囲の熱狂を鋭い獣の目で威嚇するように見回していた。


おい、そこの男。


今ご主人様をいやらしい目で見たな? 


噛み砕くぞ。


……そっちの女、ご主人様に気安く花束を投げようとするな。私が全部叩き落とすからな。


歓声は心地よいけれど、同時に全員が「敵」に見えてしまう。


ご主人様は私だけのものなのに、世界中が彼女の魅力に気づいてしまった。


誇らしいけれど、死ぬほど独占欲が刺激されて、喉の奥でグルグルと低い唸り声が漏れそうになる。

 

でも、我慢だ。


ご主人様がこの熱狂を「極上の利益」として楽しんでいるのだから、一番犬たる私は、隣で大人しく最強の番犬としての威厳を保たなければならない。


だが、この日の真の衝撃は、平和への感謝などという甘っちょろいものではなかった。  


パレードに続く王立議事堂での記者会見の場。


無数のフラッシュが焚かれる中、ご主人様の艶やかな赤い唇から発せられたのは、王国経済の歴史を根本から覆す、あまりにも傲慢で、最高に痺れる「完全なる市場制覇」の宣言であった。


「――皆様もご存知の通り、我が国の物流と経済を長年支えてきた『ルージュ商会』は、先日の帝都での混乱に伴う多大な損失により、深刻な経営危機に陥りました」


ご主人様の声が響いた瞬間、議事堂の空気がピンと張り詰めた。


「そこで、私どもアシュトン・モーターズは、王国経済の安定を第一に考え、同商会の全株式と負債を引き受け、事実上の完全傘下に収めることを決定いたしました」


ドワァァァァァッ!!と、記者席から怒号のような声が弾けた。


フラッシュの嵐が凄まじい。  


王国の二大巨頭の統合。


それはつまり、一国における「独占」の完成を意味する。


ルージュ商会が経営危機? 


違う、違うね。


あの泥棒猫が、自らご主人様の足元にひれ伏して全財産を差し出したんだ。  


私は壇上の隅で、胸を張ってニヤリと笑った。


「今日、この瞬間をもって、アシュトンは単なる自動車メーカーから脱却します。陸の流通、海の貿易、そして……いずれ切り拓かれる『空の物流』、さらにはそれらを支える巨大な金融資本。すべてを統べる『アシュトン・コンツェルン』の誕生を、ここに宣言いたします」


壇上で傲然と世界を見下ろすご主人様。  


ああ。


この果てしない野望の道を、私の牙でどこまでも切り開いていきたい。


身体の奥底から、どうしようもないほどの愛おしさと忠誠心が込み上げてきて、今すぐご主人様の足元にすり寄って靴の甲にキスをしたいくらいだった。


そして、その彼女の斜め後ろ。  


かつて王国経済を二分した女帝、ベアトリス・ヴァン・ルージュが、最高級のシルクで仕立てられた漆黒のドレスに身を包み、深く、恭しく頭を下げていた。


私は心の中で舌を出した。


かつてのライバルを完全なペットとして従え、名実ともに王国経済の絶対的覇者として君臨したローズマリーさん。

 

彼女の視線は、熱狂する王国の記者たちなど端から見ていなかった。


彼女のルージュの瞳が見据えているのは、もっと遠く。  


密かに回収した飛行要塞の技術、そしてヘッドハンティングした天才ドワーフ職人シド。


それらの手札を使い、火の海となり疲弊した『帝国の経済的支配』を成し遂げること。  


鉄の女の底なしの野望は、すでに国境を越え、大陸全土を飲み込もうとしている。


……なんて恐ろしくて、カッコいい悪魔なんだろう! 


私は一生、この悪魔の犬でいる!


                    ◇


華々しい凱旋から数日後。  


現在アシュトン公爵邸の本邸は、ベアトリスから巻き上げた……いや、統合した潤沢な資金をもとに、要塞の地下ドックを増設するための大規模な再建工事の最中にあった。


そのため、私たち一行は、王都の高級住宅街に用意された「仮設の邸宅」での生活を余儀なくされていた。


「ちょっと! なんで私がこの泥棒猫と同じ屋根の下で、廊下の拭き掃除なんてしなきゃいけないの!」


フリルのついた不本意なエプロンを身に着けた私は、濡れた雑巾を床に叩きつけて吠えた。


視線の先には、同じくエプロン姿で、不器用な手つきで窓ガラスを磨いているベアトリスがいる。


ダマスクローズの香水の匂いが、石鹸の匂いと混ざって私の鼻をひどく刺激する。


「あら、それはこちらのセリフよ、薄汚い野良犬。私はローズマリー様に『二番目の所有物、プレミアム・ペット』として、そしてアシュトン財閥の巨大な『財布』としてこの屋敷に迎え入れられたの。貴女のような教育の行き届かない単なる暴力番犬と一緒にするなんて、私への侮辱もいいところだわ!」


ベアトリスが、窓拭きの手を止めてふんぞり返った。  


プツン。


私の中で何かが切れる音がした。


「なんだと!? 財布のくせに偉そうに! 全財産をご主人様に貢いで一文無しになった、ただのドMの貧乏人のくせに! 私はご主人様の正妻……じゃなくて、一番のパートナーなの! 借金まみれの愛人候補は黙ってそこの床でも舐めてなよ!」


火花を散らす一番犬と二番犬。

 

財力を失い「所有物」に身をやつしてもなお、無駄に高いプライドと、ご主人様への狂信的な愛をこじらせたベアトリス。  


絶対に「隣の特等席」を誰にも渡すまいと、むき出しの独占欲を燃やす私。  


この二人の次元が低すぎる醜いマウント合戦は、今やアシュトン仮設邸宅の騒がしい日常風景となっていた。


負けるもんか。


一番役に立つのは私だ! 


一番愛されているのも私だ!


「ひぃぃっ……! お、お二人とも、その辺にしてくださいまし……。このままだと、また『あの方』に怒られますわ……!」


部屋の隅で、羽ばたきを握らされているイザベラさんが、涙目で二人の仲裁に入ろうとする。  


だが、興奮状態の私の耳には届かない。


「そもそも、貴女がローズマリー様の隣にいるのが間違いなのよ! 私の洗練されたマナーと経済的知識こそが、これから大陸を支配するローズマリー様には必要なの! 貴女は裏庭の犬小屋がお似合いよ!」


「うるさい! ご主人様の敵を物理的にぶん殴れる私の右腕の方が、百万倍役に立ってるもんね! 今すぐその減らず口をこの雑巾ごと叩き割ってやる!」


私が素手で威嚇し、ベアトリスが負けじと手元のバケツの水をぶちまけようと構えた、まさにその時だった。


「――お二人とも。口を動かす前に、手を動かしてくださいと申し上げたはずですが」


氷のように冷たく、一切の感情を排した凛とした声が、廊下に響き渡った。


「「「ひっ……!」」」


私、ベアトリス、イザベラさんの三人が、文字通りカエルを睨んだヘビのように完全硬直する。


心臓が嫌な音を立てて跳ねた。  


足音一つ立てずに、いつの間にか私たちの背後に立っていたのは、漆黒の完璧なメイド服に身を包んだ、カミーラさんであった。


「ローズマリー様が新本社の視察からお戻りになるまでに、この一階フロアを塵一つない状態にするようにと、お願いしております。……それとも、あなた方はローズマリー様の『所有物』でありながら、その愛する主の生活環境を整えるという最低限の役割すら果たせない、無能なガラクタの集まりですか?」


低く、静かな怒りを孕んだ圧。


「ち、違いますわ! 今やります! 完璧に磨き上げます!」


「い、今すぐに窓を! 塵一つ残さず磨き上げるわ!」


イザベラさんとベアトリスが、泣きそうになりながら猛烈な勢いで作業に戻る。

 

かつて巨大商会を統べていた女帝でさえ、この屋敷の「生ける規律」であるカミーラさんの威圧感の前では、一介のメイド見習い以下に扱われるのだ。


「カミーラさん……! でも、聞いてよ! この泥棒猫が先に私のことを野良犬って突っかかってきて……!」


理不尽さに耐えかねて抗議しようとすると、カミーラさんの冷たい目がスッと細められた。


瞳の奥で、恐ろしい光が瞬く。


「アリア様。……『お座り』、です」


「……っ、ぐぬぬ……わん」


抗えない。


カミーラさんの放つ圧倒的な「教育者」のオーラに完全に気圧され、身体は勝手に反応し、しぶしぶと床に正座して雑巾がけを再開した。


屈辱だ。でも怖い。  


この屋敷において、ローズマリーさんの命令は絶対的な「法」だ。

 

そして、そのご主人様から家政と「私たち犬の躾」の全権を委託されているカミーラさんの指示も、また絶対なのである。


逆らえば、背筋も凍るような恐ろしいお仕置きが待っている。


「……終わったら、ローズマリー様にお出しする最高級の紅茶の準備があります。アリア様は力仕事、ベアトリス様は茶葉の選定。……よろしいですね?」


「「はい……」」


絶対的な女帝、ローズマリーさんを頂点に。

 

その意志を完璧に体現する冷徹なメイドと、不器用で騒がしい共同生活を送る二匹の犬、そして天才魔法使い。

 

アシュトン財閥の恐るべき裏側では、世界を買い叩く血生臭い野望と共に、ひどく奇妙で、騒がしくて、でもどこかどうしようもなく温かい「家族」の時間が流れていた。


……まあ、悪くない。  


私が、ご主人様の「一番」である限りはね!  


さあ、早く掃除を終わらせて、お帰りを待たなきゃ。


誰よりも早く、あの人の手で思いっきり撫でてもらうんだから!

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