第81話 「究極の決算。資本主義の暴力と銀狼の一撃」
【視点:ガンテツ】
【同日深夜:飛行要塞 最上層・中枢管制室】
「主砲発射まで、残り一分……! 充填率96%ですわ!」
熱暴走で白煙を上げる魔導計算機を必死に抱きしめながら、イザベラが喉が裂けんばかりの悲鳴を上げた。
演算の過負荷により、彼女の指先からはバチバチと青白い魔力の火花が散っている。
視界を埋め尽くす不吉な赤い警告灯。
王都と帝都、二つの大都市を地図から完全に消し去り、大陸のパワーバランスを永遠に崩壊させる破滅のカウントダウン。
その中心、ケーブルの蔦が絡みつく玉座に鎮座するのは、無敵の魔力吸収装甲クロガネを纏い、要塞の全エネルギーと神経を直結させた狂気の同胞、シドだ。
アタシは油と煤にまみれた手でスパナを握りしめ、ギリッと奥歯を噛み締めた。
アリアの理不尽なまでの物理攻撃は、あの装甲が作り出す重力偏向で紙切れのように逸らされちまう。
ベアトリスの規格外の魔法爆撃も、すべてあの漆黒の装甲に吸い取られて、逆に大砲の餌にされるだけだ。
物理も魔法も通じねえ。技術屋の目から見ても、あの装甲のエネルギー変換効率は異常だった。
ドワーフが何百年もかけて培ってきた叡智を、たった一人の復讐のために極限まで歪め、研ぎ澄ませた最悪の傑作。
まさに理不尽の極み。
技術的な観点から言えば、完全に絶望的な詰み盤面だった。
だが。
血と硝煙、そして過熱した魔導回路の臭いが充満するブリッジの中央で、ウチの社長――ローズマリーだけは違った。
まるで王都の高級サロンで、午後の優雅なティータイムでも楽しむかのように。
彼女は氷のように冷たく、そして背筋が凍るほど美しい笑みを浮かべていた。
「……許容量の限界を超えて、その鉄屑をパンクさせてしまえばいい。ただそれだけのことです」
社長の視線が、床に這いつくばる敗北者――ベアトリス・ヴァン・ルージュを真っ直ぐに射抜いた。
その眼差しは、哀れなライバルに情けをかけるためなんかじゃねえ。
自分の所有物を、この局面で最も効率的に『消費』するための、冷徹極まりない計算に満ちていた。
「ベアトリス。貴女の商会の『全資産』を、今ここで私に差し出しなさい」
「えっ……? 全資産……?」
ベアトリスが一瞬、息を止めるのが分かった。
全資産。
それは、あの高慢ちきなお嬢様が、血を吐くような努力と冷酷な駆け引きの末に築き上げてきた、ルージュ巨大商会の全貌だ。
商人にとって、それは己の命そのもの、いや、血や肉よりも重い『魂』と同義なはずだ。
それを「今、ここで全部捨てろ」と言っているのだ。
正気の沙汰じゃねえ。
だが、社長の圧倒的な「絶対君主」としての瞳に射すくめられた瞬間。
ベアトリスの背筋に、恐怖を完全に塗りつぶすような、異常な『服従の悦び』が駆け抜けたのを、アタシは確かに見た。
アイツ、自分のすべてを毟り取られることに、極上の快感を見出しやがった。
アッチの世界に両足突っ込んでる、狂信者の顔だった。
「……喜んで、私のすべてをローズマリー様に捧げるわ!!」
ベアトリスは、破れた漆黒のドレスの胸元から、首から提げていた一本の豪奢な鍵を、迷いなく引きちぎるように取り出した。
空間魔法を幾重にも重ね、王都の地下深くにある秘密金庫と座標を直結させた、伝説のアーティファクトだ。
「イザベラ! この鍵の座標空間を開放し、中にある『流動資産』をすべて、一滴残らずあのドワーフの口に叩き込みなさい!」
「ひえぇぇぇっ!? ほ、本当に、本当に全部やるのですか!? アシュトン・モーターズの年間売上の十倍はありますわよ! インフレで世界経済が壊れます!」
「いいからやりなさい! これはローズマリー様への、私からの究極の『愛(投資)』よ!」
ベアトリスが鍵を宙に放り投げ、イザベラが泣き叫びながら計算機でその空間座標を強制開錠する。
バキィィィィィィィンッ!!!
中枢管制室の空気が、物理的なガラスのようにパリンと割れた。
出現した巨大な空間の裂け目。
そこから溢れ出したのは、アタシの職人としての常識を根底から粉砕する、常軌を逸した質量の富の濁流だった。
最高純度のダイヤモンド、エメラルド、サファイア、ルビー。王都の地下で厳重に管理されていた何万トンという莫大な量の魔力圧縮宝石。
それらは比喩でもなんでもなく、物理的な質量を持った魔力の塊となり、目も眩むような極彩色の津波となってシドへと降り注いだのだ。
「な、なんだこれは……!?」
玉座のシドの隻眼が、驚愕に見開かれる。
ただの魔法爆撃じゃねえ。
一つ一つが国を滅ぼす戦略級魔法の触媒となり得る極上の魔石が、物理的な土石流となって外骨格クロガネに叩きつけられたのだ。
「フハハハッ! 無駄だと言っただろうが! どれほどの魔石だろうと、この装甲はすべてを吸収し、主砲のエネルギーに……ぐ、おおおおおっ!?」
シドは両腕を交差させ、迫り来る宝石の豪雨を強引に吸収し始めた。
装甲の表面がまばゆい光を放ち、宝石たちが次々と純粋な魔力へと還元され、要塞のエンジンへと吸い込まれていく。
だが、アタシの技術屋としての目が、その装甲の「異常な明滅」をハッキリと捉えていた。
ダメだ、シド。
お前の作った変換炉の吸入速度を、あのイカれたお嬢様が吐き出すエネルギーの絶対量が遥かに上回っている!
「主砲充填率、97%……98%……99%! だ、駄目ですわ! このままじゃ発射されます! 世界が終わってしまいますわ!」
イザベラが絶望的な数値を読み上げる。
だが、社長は冷酷な笑みを全く崩さない。
彼女は、靴音を響かせながら、エネルギーの暴風が吹き荒れるブリッジを一歩、また一歩と前へ進んだ。
「……シド。貴方は大きな勘違いをしています」
莫大な宝石の嵐が吹き荒れる中心で、社長の凛とした声は、不思議なほどハッキリとアタシたちの鼓膜に響き渡った。
「経済とは、欲望です。何百万、何千万という人間たちが、より良い暮らしを求め、血と汗を流し、騙し合い、奪い合いながら回し続けている、果てしなく巨大な『欲望の濁流』。それがマーケットという怪物の正体です」
ギギギ……ガガガガガッ!!
シドの外骨格から、突如として不吉な金属の軋み音が鳴り始めた。限界を超えた圧力が、強固なドワーフの装甲を内側から歪ませている音だ。
「なっ……馬鹿な!? 魔力変換炉が……悲鳴を上げているだと!?」
「ええ。貴方のその鉄屑は、ドワーフの『怨念』という単一の感情で動いている。一つの種族の、数十年ぽっちの復讐心などで、人間の果てしない『欲望』の総量を飲み込めるはずがないでしょう!」
社長の冷徹な宣告と同時だった。
ピキィィィィンッ……!!
絶対に砕けないと豪語していた無敵の『黒鋼』の魔力吸収装甲の表面に、ついに致命的な亀裂が走った。
数百億ゴールド分の魔石のエネルギー。
それは、シドの装甲の変換限界値を遥かに超える、まさに天文学的な質量だった。
吸収しきれなかった過剰な魔力が装甲の内部で暴走し、防御システムである空間の歪みが、パリンと甲高い音を立てて砕け散ったのだ。
「……ッ!! 装甲の結界が、剥がれた……!?」
シドが驚愕の声を上げた。
今だ!
アタシの技術屋としての勘が、オーバーロードで露呈した最大の急所を一瞬で見抜く!
「ガンテツ!」
社長の声が飛ぶ。
「おうさ!! アリア、シドの胸のど真ん中だ! 大剣の形をした冷却フィンの奥、そこに要塞と直結している『メインリンク・ギア』がある! 一ミリも違わず、そこをぶち抜け!!」
アタシの魂の叫びを合図に、今まで後方で全魔力を練り上げていたウチの一番犬――アリアが、床の特殊合金を粉々に蹴り砕いて飛んだ。
「任せて……ッ!! ご主人様の邪魔をする奴は、私が全部スクラップにしてやる!!」
アリアの肉体が、完全に音速を置き去りにした。
彼女の全身から噴き出す銀色の魔力オーラは、もはや一匹の巨大な銀狼の幻影を形成していた。
残り時間、十秒。
シドは迎撃のために巨大な鋼鉄の腕を振り下ろそうとする。
だが、オーバーロードを起こして各部の油圧回路が焼き切れた装甲の反応速度じゃ、獣の領域に達したアリアの動きを捉えることなんかできねえ!
「これで……おわりだァァァァァッ!!!」
アリアの右腕。
アタシがドワーフの誇りを懸けて骨の髄まで鍛え上げ、イザベラが防御術式を刻み、ベアトリスがリミッターを外し、そして何より、社長の絶対の信頼を乗せたガントレット『シルバー・ファング』。
その拳が、一切の躊躇なく、シドの外骨格の胸部――『メインリンク・ギア』のど真ん中へと直撃した。
ドゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!!!!
炸裂するパイルバンカー。
アタシの打った鉄が、シドの打った鉄を食い破る。
何重もの防御装甲が、薄い飴細工みたいに次々と粉砕されていく。
アリアの銀色の魔力がシドの装甲内部に直接叩き込まれ、要塞とシドを繋いでいた太い神経ケーブルが、千切れ飛びながら狂ったように火花を散らした。
「ぐはぁぁぁぁぁぁぁっ……!!!」
シドの口から鮮血が噴き出す。
圧倒的な物理の暴力。
主砲へとエネルギーを送っていた回路が物理的に完全に切断され、充填率を示すモニターの巨大な数字『99.9%』でピタリと停止した。
「……あ、ああ……俺の、ドワーフの……復讐が……」
外骨格が完全に機能を停止し、要塞のメインエンジンからの供給を絶たれたシドは、糸が切れた操り人形のように、力なく玉座に崩れ落ちた。
ブリッジを包んでいた禍々しい赤い非常灯がフッと消え、代わりに静かな緑色の通常灯が点灯する。
「……主砲の充填シーケンス、完全停止を確認しましたわ……! 余剰エネルギーは、排熱口から安全に大気中へ放出されています……!」
イザベラが、真っ白に燃え尽きた計算機を抱えたまま、へたり込みながら涙声で報告した。
終わったのだ。
帝都と王都を巻き込む、何百万人の血が流れるはずだった世界大戦への最悪のシナリオは、ここにいる五人の女たちの狂気じみた連携によって、完全にブチ壊された。
プシューッ、とガントレットの排気弁から白煙を上げながら、アリアが誇らしげに振り返る。
顔は煤と汗でドロドロだったが、満面の笑みで主人の元へと駆け寄った。
「ローズマリーさん! やったよ! 私、言われた通りに一番すごいところをぶっ壊したよ!」
「ええ、よくやりました。私の自慢の一番犬です」
社長は懐から最高級のシルクのハンカチを取り出し、アリアの汚れた頬を優しく拭ってやった。
アリアは「えへへ……」と、銀狼の威厳なんか欠片もねえだらしない顔で、見えない尻尾をブンブン振って喜んでいる。
「……ずるい! ずるいですわ! 全財産を失ったのは私なのに、なんでその野良犬が撫でられているの!」
床に座り込んだままのベアトリスが、悔し涙を流しながらジタバタと地団駄を踏んだ。
ルージュ商会の全資産が入っていた金庫の鍵は、今はただのガラクタだ。
彼女は文字通り、一文無しの「無産階級」へと転落した。
「うぅぅ……私の一生が……宝石が……。……でも、私のすべてがローズマリー様の役に立ったのなら……ああ、なんて甘美な喪失感……」
「……このお嬢様、完全にアッチの世界に逝っちまったな」
アタシはどん引きして、深いため息をついた。
底なしのドMだぜ。
社長は、悦に浸って身悶えしているベアトリスをゴミでも見るような目で見下ろし、呆れたように小さく笑う。
「安心しなさい、ベアトリス。貴女の初期投資は高く評価しています。ゼロから商会を再建するノウハウくらい、私が直々に叩き込んであげますよ。一生かけて、私に莫大な利益を返しなさい」
「は、はいぃぃっ! 一生、ローズマリー様の靴を舐めて働き続けるわ!」
イカれた主従の再確認が終わったところで、アタシは重い足取りで、玉座で項垂れるシドの前に歩み寄った。
同郷の天才。
アタシが背中を追っていた男。
「……シド。てめえの技術は、復讐のためにあるんじゃないはずだ。こんな鉄の棺桶を作るために、お前は腕を磨いたわけじゃねえだろ」
「……勝者に何を言われても、俺の故郷は戻らん。……俺を殺せ、ガンテツ。失敗した職人に、生きる価値などない」
その血を吐くような悲痛な声に、アタシは胸が締め付けられる思いだった。
だが。こいつをここで死なせるわけにはいかねえ。
職人の落とし前は、死ぬことじゃなく、作って返すことだ。
「殺す? そんな勿体ないこと、この『アシュトンの魔女』が許すはずねえだろ」
アタシは社長に向き直り、わざと不敵に笑って提案した。
「社長。このシドの腕は本物だ。この要塞の技術、ドワーフの遺産……これらを帝国に返すなんて、ビジネスとして大損失だ。いっそ、シドごとドワーフの技術者を全員、アシュトンで買収)しちまったらどうだい?」
「……フフ。ガンテツ、貴女も随分と強欲になりましたね。経営者の視点が身についたようで何よりです」
社長は、絶望の淵にいるシドを、まるで新たな極上の「商品」を値踏みするように見下ろした。
「シド。貴方の復讐劇は閉幕です。これからは、私のアセットとして、新たな『世界の形』を造るために働きなさい。貴方の技術、ドワーフの誇り……すべて、私が独占的に買い上げます。拒否権はありません。死ぬことすら、私の許可なくしては認められません」
「……俺を……買うだと?」
「ええ。この飛行要塞は、今日から私の『航空物流ネットワーク』の旗艦となります。そして、世界はこう信じることになる。――『飛行要塞は暴走の末に自爆し、シド率いるテロリストは全滅した』と」
アタシは背筋が震えた。
この社長の頭の中には、すでに数手先の盤面が見えているのだ。
この要塞を秘密裏に回収し、帝国を欺き、アシュトン・モーターズを「陸・海・空」すべてを統べる巨大財閥へと押し上げる算段が。
「帝国には、不時着した『別の鉄屑』を証拠として売りつけ、王国の無実と独占的な市場権利を認めさせます。……世界を欺き、全ての利益を我が手に。それがアシュトンの次なる一手です」
◇
夜明け。
帝都の空から、巨大な死の影が静かに消えていった。
帝国は「テロリストは要塞と共に爆散した」と発表し、王国は「アシュトン・モーターズの活躍により平和が守られた」と大々的に喧伝するだろう。
しかし、その世界の裏側で。アシュトンは、帝国が最も恐れた『空飛ぶ城』とその技術を丸ごと飲み込み、誰にも知られぬまま「世界を欺く次の一手」を打ち始めていた。
「……さあ、帰りましょう。王国の私のガレージには、次の設計図が待っています」
朝日を背に受ける絶対君主と、四人のイカれた天才たち。
アタシたちの行く道は、地上から空へ、そしてさらにとんでもねえ高みへと続いていく。
……まったく。とてつもなく厄介で、最高に退屈しねえ会社に巻き込まれちまったもんだぜ!




