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第9話 「甘い朝、鬼の授業、そして王子の急接近」

【早朝:アシュトン公爵邸・主寝室】

小鳥のさえずりと、カーテンの隙間から差し込む柔らかい朝日。

 

最高級の羽毛布団に包まれ、私はまどろみの中で意識を取り戻した。


「ん……ぅ……」


身体が鉛のように重い。


だが、それは決して不快な重さではなかった。

 

全身の筋肉と魔力回路が、昨夜のローズマリーさんによる徹底的な「施術(愛撫)」によって、心地よい倦怠感と充足感に満たされている。


あったかい……。いい匂い……。


ふと横を見ると、そこにはまだ眠っているローズマリーさんの顔があった。

 

普段の、冷徹な眼鏡姿と違う。  


黒髪を枕に散らし、無防備に寝息を立てるその顔は、どこか少女のように幼く、そして美しかった。  


長い睫毛が震え、透き通るような白い肌には、昨夜の情事の余韻である紅潮が微かに残っている。


黙ってると、本当にお姫様みたいに可愛いなぁ……。性格は最悪だけど。


私は悪戯心を起こし、彼女の頬にかかった髪をそっと指先で払った。

 

その瞬間。


「……人の寝顔を盗み見るとは、いい度胸ですね」


パチリ。  


ローズマリーさんの目が開き、鮮やかな深紅の瞳が私を捉えた。


「ひゃっ! お、起きてたんですか?」


「貴女の寝相が悪すぎて目が覚めました。……私の腕を枕代わりにするなんて、飼い犬の分際で随分と偉くなったものです」


ローズマリーさんは呆れたように溜息をついたが、その声にはいつもの氷のような冷たさがない。

 

彼女は身を起こすと、シルクのシーツが滑り落ちるのも構わず、私の鎖骨や首筋に残る赤い痕を、愛おしそうに指でなぞった。


「……ふむ。魔力の定着具合は良好ですね。昨夜あれだけ泣かされて、『もう無理』と懇願していたのに、朝にはケロッとしているとは。やはり駄犬の耐久力は異常です」


「誰のせいだと思ってるんですか……」


「あら、後半は自分から『もっと奥まで』とねだっていたのは誰でしたか?」


「~~っ! そ、それは言わない約束!」


私が顔を真っ赤にして布団を頭まで被ろうとすると、ローズマリーさんがふっと笑い、背後から抱きすくめてきた。

 

耳元に、甘く湿った吐息がかかる。


「……おはようございます、アリア。私の可愛い駄犬」


「……うぅ。おはようございます、ご主人様」


ほんの数分間の、甘い時間(ピロートーク)

 

契約上の主従関係を超え、孤独を分け合う者同士の体温が重なる。  


ああ、このまま時が止まればいいのに。


しかし、その安らぎは、ベッドを出た瞬間に霧散した。


                ◇


【通学中:魔導馬車内】

「遅い! 着替えに三分もかかっています!」


一時間後。  


完璧な侍女服に着替えたローズマリーさんは、鬼教官モードへと変貌していた。

 

揺れる馬車の中で、私は分厚い参考書と格闘させられている。


「あ、あれ? さっきまでのデレは? 幻覚?」


「寝言は寝て言いなさい。学園に着くまでに、この『王国の派閥相関図』と『基礎魔導理論』を暗記するのです」


ピシッ!  


ローズマリーさんの指示棒が、私の手の甲を叩く。


「い、痛いっ!」


「貴女は魔力操作が雑すぎます。昨日の噴水破壊も、出力調整ができていない証拠。理論を頭に叩き込みなさい」


「えぇ……揺れる車内で本を読むと酔っちゃう……」


「酔ったら窓から吐きなさい。止まりませんよ」


「鬼! 悪魔! ドSメイド!」


「褒め言葉ですね。さぁ、次! ローゼン侯爵家の主要な資金源は?」


「えっと、えっと……小麦の専売?」


「ブブー。昨年度から魔導具の輸入に切り替えています。情報が古い! 罰として今日のランチのデザートは没収です」


「いやぁぁぁ! 私のプリンがぁぁぁ!」


私は涙目で教科書にかじりついた。  


甘い朝の余韻など微塵もない。  


この飴と鞭の落差こそが、ローズマリーさんによる調教……もとい、教育の真髄なのだった。


                  ◇


【王立学園・回廊】

登校した私を待ち受けていたのは、生徒たちの奇異と畏怖の視線だった。  


昨日の「暗殺者撃退(ドジっ子偽装)」の噂は、尾ひれがついて広まっているらしい。


「あの方が、素手で暗殺者を空の彼方まで吹き飛ばしたという……」


「アシュトン家の人間兵器……」


「目が合っただけで呪われるらしいぞ」


うぅ、居心地悪い。早く教室に行こう。


私が俯いて歩いていると、前方から女子生徒たちの黄色い歓声が上がった。  


人波が割れ、輝くオーラを纏った青年が歩いてくる。  


第一王子、アルベルト。  


彼は私を見つけると、親衛隊のような令嬢たちを手で制し、一直線に歩み寄ってきた。


「やあ、マリア嬢。おはよう」


王子は爽やかな笑顔で、私の前に立ち塞がった。


「あ……! お、おはようございます、アルベルト殿下!」


私は反射的に身構え、直立不動になった。  


舞踏会での「握手事件(握力ゴリラ)」の失態が脳裏をよぎる。  


怒られる!?それとも不敬罪で退学?


しかし、アルベルトは楽しそうに自身の右手袋を外し、その手を私に見せた。  


白魚のような美しい手だが、よく見ると微かに湿布の匂いが残っている。


「先日の舞踏会では、熱烈な挨拶をありがとう。……おかげで、二日ほどペンが持てなくてね。公務をサボるいい口実になったよ」


「ひぃっ!? も、申し訳ございません! あれは……その、緊張と、魔道具の誤作動で……!」


私が真っ青になって弁解すると、アルベルトはくすりと笑い、私との距離を一歩詰めた。


周囲の令嬢たちが「きゃあ!」と悲鳴を上げるほどの至近距離。


「嘘をつかなくていい。……君だろう? あのシャンデリアを破壊したのは?」


「え?」


「魔道具の暴走にしては、随分と都合よくシャンデリアが壊れたものだ。それに、昨日の暗殺者騒ぎも聞いたよ。『転んで』撃退したそうだね?」


王子の蒼穹(そうきゅう)の瞳が、私の瞳を射抜く。

 

そこにあるのは、断罪の色ではない。


共犯者を求める、悪戯っぽい光だ。


「僕はね、退屈していたんだ。この学園も、宮廷も、誰も彼もが腹の底を隠して、人形のように振る舞う。……だが君は違う」


アルベルトは私の手を取り、今度は優しく、紳士的に指先に口づけを落とした。

 

背筋がゾクリとする。


「君のような『強くて』『嘘が下手な』女性を、僕は好ましく思うよ」


「は、はぁ……(強くて嘘が下手って、褒め言葉?)」


「保守派の連中はうるさいが、気にするな。僕が盾になろう。……その代わり、これからも僕を楽しませてくれよ? 僕の可愛い婚約者殿」


王子はウィンクを残し、呆然とする私を残して優雅に去っていった。

 

その背中からは、「面白そうな玩具を見つけた」という子供のような無邪気さが滲み出ていた。


残された私の周囲には、嫉妬の炎を燃やす令嬢たちの視線が突き刺さる。

 

特に、柱の陰から見ていたイザベラ様が、ハンカチを噛みちぎりそうな顔をしているのが見えた。


「……なんか、気に入られちゃった? これ、余計に立場が悪くなったんじゃ……」


私が呟くと、背後で侍女として控えていたローズマリーさんが、ボソリと、絶対零度の声で呟いた。


「……チッ」


「えっ? 今、舌打ちしました?」


「していません。……それにしても、王子があそこまで貴女に執着するとは計算外です。アリア、貴女まさか、私以外に尻尾を振ったんじゃありませんよね?」


「ふってない! 振ってないです!」


ローズマリーさんの眼鏡がキラリと光る。  


そのルージュの瞳には、政治的な懸念だけでなく、独占欲という名の暗い炎が揺らめいていた。


「いいでしょう。貴女が無駄にフェロモンを振りまくせいで、また問題が増えました。……今夜は『飼い主は誰か』を、骨の髄まで教え込む必要がありますね」


「えっ……」


「罰として、今日の夕食は野菜スティックのみ。その後、夜通し『忠誠心強化』のための拘束プレイを行います」


「やだぁぁぁ! お肉食べたぁぁぁい! あと眠らせてぇぇぇ!」


私の悲痛な悲鳴が、朝の学園に虚しく響いた。  


王子の寵愛、令嬢たちの殺意、そして嫉妬深いご主人様のスパルタ教育。

 

私の学園生活は、詰み(ハードモード)の一途を辿っていた。

次回予告: 私は絶望の淵に立っていた。「魔法理論」の小テストが0点。そんな中、「実技対抗戦」が迫る。 「魔法戦で決着をつけましょう、泥棒猫!」 イザベラ様からの決闘状。しかし私は魔法が使えない(物理オンリー)。 どうする私!?

次回、「決闘! 影武者令嬢は魔法を使わない(物理で殴るから)」

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