第77話 「即席の翼。五人の狂宴と空を裂くキメラ」
【同日深夜:帝都・水晶宮貴賓用地下ガレージ】
ズズズズズズンッ……!!
地上からの絶え間ない爆撃の震動が、分厚いコンクリートの天井を伝って地下深くまで響き渡る。
パラパラと崩れ落ちる漆喰の粉からご主人様を守るように、私は彼女の肩を抱き寄せながら薄暗い巨大空間へと駆け込んだ。
そこは、帝国の高官や他国の王族など、限られたVIPだけが使用を許される貴賓用地下ガレージだった。
「ハァッ、ハァッ……! ここよ、ローズマリー様! 私の『レッド・スコーピオン』は無事だわ!」
煤で汚れ、最高級の漆黒のドレスの裾を握りしめながら、ベアトリスが誇らしげに声を張り上げた。
泥棒猫の指差す先、非常用の魔導ランプに照らされた空間には、帝国の無差別爆撃から奇跡的に難を逃れた深紅のスポーツカーが、無駄に妖艶な光を放って鎮座していた。
「上出来です、ベアトリス。貴女の商会の無駄に金のかかった空気抵抗の少ないボディが、ここに来て役に立つとは思いませんでしたよ」
「あっ!」
ご主人様が極めて冷静な、というより少し小馬鹿にしたような評価を下した直後、前衛を走っていた私は歓喜の声を上げた。
「ローズマリーさん! 見て、あそこ! 私たちの『ブラック・スワン』もある!」
真っ赤な車の隣の駐車スペース。
そこには、昼間のレース後に帝国憲兵隊によって押収されていた私たちのフラッグシップ機、漆黒の「モデルA・カスタム "ブラック・スワン"」が、物々しい封印の鎖を巻かれた状態で止められていた。
よかった、無事だったんだ!
「……なるほど。役者は揃いましたね」
ローズマリーさんの唇の端が、三日月のように吊り上がった。
ドクン、と私の心臓が跳ねる。
彼女は周囲に散乱していた瓦礫の白い破片を拾い上げると、ガレージの平らな床にガリガリと図面を描き始めた。
複雑な数式、応力計算の図形。……あれ?
これ、明らかに「車」じゃない。
翼がある。
「いいですか、皆。状況は最悪です。シドの狙いは帝都を壊滅させ、その罪を王国になすりつけること。このままあの空飛ぶ鉄屑に好き勝手させれば、私の愛する自由市場は軍の統制下に置かれ、関税は跳ね上がり、経済は死に絶えます」
ローズマリーさんは、燃え盛る地上の方向を氷のように冷たい目で見据えた。
「私の商売の邪魔をする鉄屑は、この空から叩き落とす。……これから、この二台の車を掛け合わせて『即席の翼』を造り、あの空飛ぶ要塞のどてっ腹に風穴を開けに行きます」
平和への祈りでも、正義の執行でもない。
極めて純粋で、恐ろしいほどの暴力的なビジョン。
震えが止まらない。
「なっ……正気か社長!? 車を飛ばすだぁ!?」
「ひぃぃっ! 航空力学と魔導浮遊の計算式が、脳の処理限界を超えますわ!」
「作業開始。世界の破滅まで時間がありませんよ。……総力戦です」
ガンテツ姉さんとイザベラさんが悲鳴を上げる中、ご主人様の絶対的な号令が地下ガレージに響き渡った。
「ガンテツ。ブラック・スワンのV型12気筒魔力エンジンをフレームごと引き抜き、レッド・スコーピオンの後部に強引にマウントしなさい。推進力はタイヤではなく、後方への推進力に変換します」
「無茶苦茶言いなさんな! 設計思想がまるで違う二台だぞ! だが……やってやろうじゃねえか、ドワーフの腕の見せ所だ!」
ガンテツ姉さんは工具箱をひっくり返し、魔導バーナーに火を入れた。
「アリア! 貴女の怪力がクレーン代わりです。一秒でも早く二台の車を解体しなさい。飛行に不要な外装は全て剥ぎ取って軽量化します!」
「イエス、マム! お任せを!!」
私は、両腕の『シルバー・ファング』をガチャリと打ち鳴らすと、ブラック・スワンに巻き付けられていた帝国の極太の封印鎖を、力任せにブチィッと引き千切った。
さらに、ボンネットに指を突き立て、強化ミスリルの外装板をベリベリと剥がし始める。
ごめんねブラック・スワン。
でも、ご主人様のために、あなたの心臓をもらうよ!
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ野良犬! なんて乱暴な真似を! 車が可哀想じゃないの!」
その光景を見て、泥棒猫のベアトリスが金切り声を上げた。
私は、巨大なV12エンジンを両腕の筋肉を隆起させながら「ふんすっ!」と持ち上げ、ベアトリスをギロリと見下ろした。
「うるさいな、敗北者! ご主人様の命令が聞こえなかったの!? あんたもぼーっとしてないで、その真っ赤な成金車の部品を引っぺがすの手伝いなさいよ!」
「なっ……! 誰が新入りよ! それに成金趣味とは失礼ね、これは最高級の帝国産ルビーの粉末でコーティングされた特注の……あああっ! 私のスコーピオンのリアバンパーがぁぁっ!」
私がレッド・スコーピオンの後部を思い切り蹴り飛ばし、エンジンを乗せるスペースを強引にこじ開けると、ベアトリスは涙目で抗議してきた。
「ふん。図体ばかりデカくて重い車。空を飛ぶには邪魔なだけだよ。……どう? ご主人様の役に立ってるのは、力仕事ができる私の方でしょ? ご主人様の『一番の犬』は私なんだから!」
これ見よがしに、何百キロもある巨大なエンジンを軽々とスクワットさせてみせる私。
そのあからさまなマウントに対し、ベアトリスの無駄に高いプライドに火がついたようだ。
彼女はギリッと歯を食いしばり、自らの首元に手をかけた。
「……底の浅い野良犬が、勘違いしないでちょうだい。資本主義の戦場において、真の力とは『腕力』ではなく『財力』よ!」
ブチッ!
ベアトリスは、自身の首を飾っていた特大・深紅の魔石のネックレスを迷いなく引き千切り、さらにスコーピオンの車内に備え付けられていた魔力増幅用の高級クリスタルを次々と素手でむしり取った。
「そこのお嬢さん! この高純度の魔石を全部使いなさい! エンジンに過剰なまでの魔力を供給して、滞空時間を強引に伸ばすのよ! 私の資産で、ローズマリー様をあの空の彼方へお連れするわ!」
「えぇぇっ!? こ、これ一個で王都に豪邸が建ちますわよ!」
イザベラさんが震える手で超高級魔石を受け取る。
ベアトリスはふんぞり返り、私に向かって勝ち誇った、最高にムカつく笑みを浮かべた。
「見たかしら? これが『プレミアム・ペット』の財力よ。貴女みたいな泥だらけの肉体労働とは、ローズマリー様への貢献度が違うのよ!」
「なんだとぉ!? 金にモノを言わせて! 私がこのエンジンを乗せなきゃそもそも飛ばないんだから!」
「あら、エンジンを動かす魔石を提供したのは私よ! 私の血がご主人様を空へ羽ばたかせるのよ!」
「――二人とも。口を動かす暇があるなら手を動かしなさい。お仕置きしますよ?」
床に数式を書き殴っていたご主人様の、絶対零度の声が響いた。
ピシッ。
私の背筋が勝手に伸びる。
「「……はいっ! ご主人様!」」
息の合った、完璧な服従の返事。
……クソッ、なんでこの泥棒猫とハモらなきゃいけないの。
屈辱だ。
いがみ合いながらも、私たちは猛烈な速度で作業を進めていく。
私が持ち上げたV12エンジンを、ガンテツ姉さんが火花を散らしながらレッド・スコーピオンのシャーシに溶接する。
異種の金属が交わり、強引な接合部が赤熱して奇声を上げる。
ベアトリスが惜しげもなく放り出した超高級魔石を、イザベラさんが涙を流しながら魔導計算機で最適な配置を弾き出し、チョークで「浮遊」と「風の加護」のルーン文字を車体の裏側にびっしりと刻み込んでいく。
「揚力と推力のバランス、計算終了しましたわ! ですが、本物の翼がないので、空気抵抗を魔法で強引にシールドしないと、空中でバラバラに空中分解しますわ!」
「上等だ! アタシがフレームに限界まで補強リベットを打ち込んでやる! 耐えろよ、お嬢様の高級車!」
ガンテツ姉さんのハンマーが乱れ打たれる。
五人の天才と執念が、それぞれの極限の能力をたった一台の機械に注ぎ込んでいく。
この熱気、この狂気の一体感。
私はやっぱり、このアシュトン・モーターズが大好きだ!
◇
「……信じられねえ。本当に形になりやがった」
作業開始からわずか数十分。
ガンテツ姉さんが、煤だらけの顔で額の汗を拭った。
目の前にあるのは、二台の最高級車を強引に繋ぎ合わせた、美しくも冒涜的な異形のキメラだった。
レッド・スコーピオンの流線型ボディをベースに、後部にはブラック・スワンの巨大なV12エンジンが剥き出しのまま鋼鉄のバンドで雁字搦めに固定されている。
両サイドには、揚力を得るために切り取られた外装板が、歪な「翼」のように無骨に溶接されていた。
そして、エンジンの中枢にはベアトリスの真っ赤な魔石が、脈打つ心臓のように異常な光を放っている。
「名付けて、アシュトン・エアロ・カスタム……『即席の翼』ですわ……!」
イザベラさんが疲労困憊で座り込みながら呟く。
「美しいわ……。私の財力と、ローズマリー様の頭脳が融合した愛の結晶ね……!」
「違う! 私が重いパーツを全部組み立てたんだから、私とご主人様の愛の結晶だ!」
いがみ合う私たちを完全に無視し、ローズマリーさんは剥き出しの運転席へとひらりと乗り込んだ。
「全員、乗りなさい! ……テイクオフします。行き先は、あの忌まわしい空飛ぶ鉄屑のど真ん中です」
キュイィィィィィィィンッ……!!
ご主人様がイグニッションキーを回した瞬間、極限まで圧縮されたV12魔力エンジンが、かつてない悲鳴のような駆動音を上げた。
私の足元から、凄まじい振動が全身の骨を揺らす。
マフラーの代わりにガンテツ姉さんが取り回した太い排気管から噴き出すのは、排気ガスではない。
ベアトリスが提供した最高純度の魔石が燃焼し、イザベラさんの魔法によって指向性を持たされた青白い魔力噴射の炎だ。
強烈なバックブラストが、地下ガレージの瓦礫を吹き飛ばす。
「魔力出力120%! 限界突破しています! これ以上はエンジンが爆発しますわ!」
「構いません! アリア、助手席のレバーを最大出力で解放なさい!」
「了解ッ!!」
私は、ご主人様の隣――絶対に誰にも譲らない私の特等席で、リミッターのレバーを思い切り引き上げた。
崩落によって斜めに傾き、空に向かってぽっかりと口を開けている地下からのスロープ。
それを巨大なジャンプ台に見立て、ローズマリーさんがアクセルを、踏み抜いた。
ズドォォォォォォォォンッ!!!
爆発的な加速。
内臓が背骨にめり込むような強烈なGが、私たち全員を座席に縫い付ける。
普通なら恐怖で気絶するレベルだ。
でも、隣にご主人様がいるというだけで、この圧迫感すら彼女からの強い抱擁のように感じられて最高に気持ちいい。
フランケンシュタインは、炎に包まれた水晶宮の瓦礫を突き破り、轟音と共に夜空へと射出された。
「ひゃあぁぁぁぁっ! と、飛んだぁぁっ!?」
「キャアアアアッ! 私のレッド・スコーピオンが空中分解するぅぅ!」
後部座席に押し込まれたイザベラさんとベアトリスが悲鳴を上げる。
空を飛ぶなど、本来の自動車の構造ではあり得ない。
重力に魂を引かれた鉄の塊は、放物線を描いてすぐに真っ逆さまに落下するはずだった。
「イザベラ! 泣いてないで結界を展開しなさい!」
「は、はいぃぃっ! 『大気の精霊よ、我らが翼に風の加護を』!!」
イザベラさんが魔導計算機を天に掲げ、涙声で絶叫する。
その瞬間、機体の下部と即席の翼の周囲に、強力な風のクッションが形成された。
落下しかけた車体は空中で大きく跳ね上がり、後部からの巨大な魔力噴射の推進力に乗って、急上昇を始めた。
「す、すげえ……! 本当に、本当に空を飛んでやがる……!」
後部のエンジンにガッチリとしがみついているガンテツ姉さんが、窓の外を流れていく炎の帝都を見下ろして呆然と呟く。
風防ガラスもない剥き出しのコックピット。
鼓膜を破るような風切り音とエンジンの咆哮。
その猛烈な風圧の中で、私は血を沸騰させ、最高に獰猛な笑みを浮かべた。
自身の銀色のオーラを爆発させながら、前方を指差す。
「いくよ、ローズマリーさん! あのデカい鉄屑のどてっ腹に、風穴を開けてやる!」
「ええ。私たちの頭上の空に、邪魔者は不要です」
ローズマリーさんは、強風に煽られる漆黒の髪をかき上げ、この上なく美しく微笑んだ。
雲を切り裂き、爆撃の黒煙を抜け、五人の狂宴によって生み出された即席の翼は、月夜に浮かぶ超巨大な飛行要塞の圧倒的な威容へと、真っ向から突入していく。
空の覇権と、私たちの「アシュトン・モーターズ」の明日を賭けた戦いが、今、幕を開けようとしていた。




