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第76話 「雌犬たちの狂騒。そして空を覆う絶望」

【同日深夜:帝都地下・特別極秘牢】

私の右腕『シルバー・ファング』が放った規格外の破壊衝動によって、帝国の誇る分厚い魔導防壁は、まるでビスケットみたいに木端微塵に粉砕された。  


もうもうと立ち込める粉塵と、パラパラと降り注ぐ瓦礫の雨。  


私は、最愛の主人の姿を必死に探し、喉が裂けよとばかりに悲痛な叫びを上げた。


「ご主人様!! 迎えにきたよォォッ!!」


痛かったよね、苦しかったよね。


ごめんなさい、ごめんなさい、私がもっと早く来れば……!  


涙で視界が滲む中、私は大きく腕を広げて煙の奥へと飛び込んだ。


だが。  


ゆっくりと晴れていく煙の向こう側に現れた光景は――私の悲壮な決意と涙を、次元の彼方どころか、世界の果てへと置き去りにするものだった。


「……え?」


凄惨な拷問を受けてボロボロになっているはずのご主人様は傷一つないどころか、純白のレーシングスーツ姿で、テーブルに優雅に腰掛け、美しく脚を組んでいた。

 

拷問器具など一つもない。


あるのは散らばったトランプのカードと大量のチップだけ。

 

そして何より、私の思考回路を完全にショートさせたのは、その大好きなご主人様の足元だ。


「……ひぐっ、うぅ……っ。ごめんなさい、ごめんなさい……私の全ては、ローズマリー様のものです……」


あの高慢ちきで、常に私を「野良犬」と見下し、幾度となくご主人様を陥れようとしてきた宿敵の女帝・ベアトリスが、冷たい石床に漆黒のドレスを擦り付けながら、大粒の涙をボロボロとこぼし、ご主人様の靴の先端に縋り付いて、熱烈なキスと共にひれ伏している。


「…………え、ええ?」


えっ? 


なんで? 


どういうこと?  


私は、振り上げたガントレットの拳をどこに下ろしていいか分からず、間抜けな声を出して完全にフリーズした。

 

背後から遅れて入ってきたガンテツ姉さんとイザベラさんも、そのあまりにもカオスな光景に顎を外さんばかりに驚愕している。


「おい……社長。あんた、いったい何の手品を使ったんだ……?」


ガンテツ姉さんの震える声に、ローズマリーさんは、呆然とする私たちに向かって、いつも以上に嗜虐的で、心底満ち足りた極上の笑みを浮かべた。  


ああ、なんて美しいんだろう。


こんな陰惨な地下牢にいるのに、ご主人様だけが月の女神のように輝いて見える。


無事でよかった。


本当によかった……。  


いや、よくない!! 


全然よくない!!


「……遅かったですね、アリア。随分と待ちましたよ」


ローズマリーさんは、足元で靴を舐めるベアトリスの頭を、まるでよく懐いた仔犬を撫でるように優しく撫でた。

 

ベアトリスは「あっ……ぁんっ」と情けない声を漏らして身をすり寄せる。  


……触った。


今、ご主人様が、あの泥棒猫の頭を撫でた。


私以外を、撫でた。


「ちょうど良かったです。皆に紹介しましょう。……今日からアシュトン家の家族になる、新しい『ペット』です」


ローズマリーさんは、石像のように固まっている私に向かって妖艶に微笑んだ。


「アリア。貴女は一番目の駄犬なのですから、先輩として、この生意気な後輩に挨拶してあげなさい」


「……はぁ?」


数秒の完全な沈黙。  


直後、私の中の「絶対的な所有権」が荒らされたことに対する、強烈すぎる『嫉妬』の入り混じった絶叫が、帝都の地下深くにこだました。


「なっ……! はあぁぁぁぁぁっ!? ちょっとご主人様! どういうこと!? 私というものがいながら、浮気したのォォォッ!?」


頭を抱え、文字通り発狂したように地団駄を踏んだ。  


死を覚悟した感動の涙の奪還劇? 


そんなものどうでもいい!


浮気だ! 


あんな生意気な女をペットにするなんて聞いてない!


「浮気じゃありません。 これは正当なギャンブルの対価です。それに……」


「それに!? なんでこの泥棒猫がご主人様の靴舐めてるの!? そこは私の特等席なのに!! どけ、今すぐ離れろ!!」


吠えて右腕の『シルバー・ファング』を突きつけると、足元に這いつくばっていたベアトリスが、ビクッと肩を揺らしながらも、涙目と充血した眼でギロリと私を睨み返した。


「……ふんっ。血統書もない野良犬が、図に乗らないでちょうだい。私はね、自分の全財産と商会、そしてこの命と誇りまですべてを賭けてローズマリー様に敗北した『由緒正しき敗北者、プレミアム・ペット』よ! その辺で拾われただけのタダ飯食らいの番犬とは、背負ってる負債の格が違うのよ!」


はあ!? 


プレミアム・ペット!?  


なぜか「どれだけ惨めに負けたか」でマウントを取ってくるベアトリス。


完全に価値観が崩壊している。


この女、頭がおかしい! 


こんな頭のおかしい女がご主人様のそばにいるなんて絶対に許せない!


「な、なんだとぉ!? はあ、はあ、敗北者のくせに威張るな! ご主人様の隣は私のものだ! 靴を舐めていいのも、撫でられていいのも、ローズマリーさんに触っていいのも全部、全部私だけだ! 今すぐその減らず口をガントレットでぶっ飛ばしてやる!」


「や、やれるものならやってみなさい! 暴力しか脳がないくせに! ……ローズマリー様! この粗暴な犬が私を苛めます! 叱ってくださいぃぃ!」


ベアトリスはローズマリーさんの足にしがみつき、主君の権威を盾にして私を挑発する。


ぶっ殺す。


こいつ絶対にぶっ殺す。


銀色の髪が、怒りで逆立った。  


絶対に負けられない。


ご主人様の隣は、私の居場所なんだから!


「ふふっ……あははははっ! いいですね、その顔。二人とも、もっと私を楽しませなさい」


ローズマリーさんは、修羅場を止めるどころか、玉座に座る魔王のように、私たちの争いを優雅に鑑賞し始めた。


ああもう、そういう性格の悪いところも最高に好き! 


でも浮気は駄目!


「……お前ら、時と場所を考えろォォォッ!!」


見かねたガンテツ姉さんの強烈なドロップキックが、私とベアトリスの間に炸裂した。


「痛ったいよ! 何するのガンテツ姉さん!」


「ここは敵地のど真ん中だぞ! 痴話喧嘩は王国に帰ってから存分にやりやがれ! 追手が来る前に、とっととズラかるぞ!」


ガンテツ姉さんが怒鳴り散らそうとした、まさにその時だった。


ズズズズズズズッ……!!!


突如、地下要塞全体が、下から突き上げられるような猛烈な揺れに襲われた。  


私たちの破壊工作による局地的な揺れじゃない。


もっと巨大で、圧倒的な質量が地上を直接、広範囲にわたって破壊している凄まじい振動だ。


「な、何だ!? 地震か!?」


「違いますわ! 魔導計算機が、地上で規格外の魔力反応を感知しています! これは……空からの攻撃を受けています!」


イザベラさんが真っ青な顔で叫ぶ。  


崩れ落ちる天井の瓦礫を避けながら、ローズマリーさんは即座に状況を判断し、立ち上がった。


さっきまでの嗜虐的な笑みは消え、アシュトンを率いる完璧な総帥の顔だ。


「アリア、ガンテツ、イザベラ、地上へ出ますよ! ベアトリス、立てるわね?」


「は、はいっ! ローズマリーちゃ・・・ご主人様!」


ベアトリスは、ドレスの裾を握りしめ、驚くほど従順に立ち上がった。


「ご主人様」って呼んだ! ムカつく! 後で絶対にあの口を縫い合わせてやる。


私はまだ歯ぎしりしていたが、今はそれどころじゃない。


一行は、私たちがブチ抜いてきた大穴と階段を一気に駆け上がり、地上の水晶宮へと飛び出した。  


そして、そこで私たちが見たのは、文字通りの『地獄』だった。


「嘘、でしょ……?」


私が夜空を見上げ、絶望に言葉を失う。  


帝都の空を、月光を完全に遮るほどの「巨大な影」が覆い尽くしていたのだ。  


それは、鋼鉄で装甲された超巨大な『飛行要塞』だった。  


無数のプロペラと魔力浮遊機関が不気味な重低音を響かせ、船体の下部から、帝都の市街地に向かって雨のように爆弾が投下されていた。


ドガァァァンッ! ズドォォォォンッ!!


昼間、私たちが走り抜けた水晶宮の美しいガラスのドームが粉砕され、火の海と化していく。


華やかな博覧会会場は、一瞬にして阿鼻叫喚の戦場へと変貌していた。  


逃げ惑う帝国市民たちと、空へ向かって無意味な対空射撃を行う帝国軍。


その時。  


帝都の至る所に設置されていた軍用の大型魔導スピーカー、ラジオから、突如として不気味なノイズが鳴り響き、やがて一つの『声』が帝都全体を包み込んだ。


『……あー、テステス。聞こえてるか、帝国の豚共』


その声に、ガンテツ姉さんが息を呑んだ。  


油と煙草の匂いが染み付いたような、低く掠れた男の声だった。


『俺は、ドワーフ解放戦線の首魁、シドだ。……十年前、お前ら帝国軍は俺たちの故郷を焼き、魔石を奪い、同胞を奴隷にしたな。……今日、俺たちは奪われた誇りを取り戻す』


スピーカーからの声は、爆音の中でもはっきりと聞こえた。


『この空飛ぶ鉄の塊は、お前らがドワーフに作らせていた極秘兵器だ。ありがたく使わせてもらうぜ。……我々ドワーフは、これより帝国からの独立を宣言する!』


帝都の空に、ドワーフの紋章が描かれた信号弾が打ち上がる。


『……そして、この正義の鉄槌は、我らだけの力ではない! 偉大なる隣国、アシュトン・モーターズを擁する【王国】からの多大なる技術・資金支援を受け、我々はこの飛行要塞を完成させたのだ!』


「……なんだと!?」


ガンテツ姉さんの目が、驚愕に見開かれた。


『王国の同志たちよ、感謝する! お前たちの魔導エンジン技術と資金援助がなければ、この復讐は成し遂げられなかった! さあ、帝国よ! 王国とドワーフの同盟の前に、その傲慢な首を垂れるがいい!!』


放送が途切れ、再び無慈悲な爆撃の音が帝都を揺らす。


「……シドの野郎、嘘八百を並べやがって! アタシら王国を巻き込む気か!」


ガンテツ姉さんが血を吐くように叫ぶ。

 

ローズマリーさんは、炎に照らされながら、ギリッと奥歯を噛み締めた。


「……最悪の偽旗作戦です。ドワーフの復讐を隠れ蓑にして、帝国と王国の間に『世界大戦』を引き起こす気ですね」


もし王国がテロの支援国と断定されれば、帝国は確実に王国へ宣戦布告する。  


そうなれば、ご主人様が一生懸命築き上げてきたアシュトン・モーターズも、物流網も、全部が軍靴に踏み躙られて消えてしまう。   


帝国がどうなろうと知ったことじゃない。


でも、私のご主人様の世界を、あんな卑劣な嘘で壊そうとする奴は、絶対に許さない!


血と鉄の匂いが充満する中、ローズマリーさんは冷徹な総帥の顔に戻った。


「……ふざけないで。私のマーケットを、あんな無粋な鉄屑で壊されてたまるもんですか」


彼女は、隣で震えているベアトリスを見下ろした。


「ベアトリス。貴女が乗ってきた『レッド・スコーピオン』はどこですか?」


「この近くの貴賓用地下ガレージに置いてあるわ……」


「ガンテツ、イザベラ、ベアトリス、アリア。……これから、あの空飛ぶ鉄屑を叩き落とします。即席の『翼』を作りますよ」


ローズマリーさんの狂気じみた、でも最高に痺れる提案。  


それに答えるように、ガンテツ姉さんは獰猛な笑みを浮かべた。  


私は、誰よりも早く、力強く、右腕の『シルバー・ファング』をカチンと打ち鳴らした。


「イエス、マム! ご主人様の邪魔をする奴は、空飛ぶ鉄屑だろうと私が全部噛み砕いてやる!」

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