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第75話 「銀狼の奪還作戦。導くはダマスクローズの香り」

【同日深夜:帝都・水晶宮(クリスタル・パレス)地下防衛区画】

嵐の前の、空虚なほどに静まり返った帝都。  


月明かりすら届かない水晶宮の裏門――巨大な廃棄物搬入口の影に、私たち三人は音もなく滑り込んだ。


「……ここから先は、帝国の軍事中枢。完全な地下要塞ですわ」


イザベラさんが、暗闇の中で魔導計算機を弾く。  


彼女の指先から極細の魔力線が放たれ、搬入口に張り巡らされた不可視の警戒網(レーザー・トラップ)を次々と可視化していく。


赤外線のような赤い魔力線が、幾重にも交差して侵入者を阻んでいた。


「ご丁寧に魔力感知式のトラップがびっしりだ。どうする、イザベラ? アタシが爆薬で吹き飛ばすか?」


「駄目ですわ。ここで音を出したら、地下の社長に危険が及ぶかもしれません。……わたくしが、計算で『抜け道』を作ります」


イザベラさんは計算機の珠を猛烈な勢いで弾き、帝国の暗号術式をリアルタイムで逆算していく。  


カチャカチャという音と共に、赤い魔力線が一時的にフッと明滅し、人が一人通れるほどの「穴」がぽっかりと空いた。


「今ですわっ!」


その合図と同時、私は銀色の残像を残して警戒網をすり抜けた。

 

通路の奥でタバコを吹かしていた二人の見張り兵が、異変に気づいて魔導小銃を構えるより早く。


ドスッ! ドスッ!


手刀を、無音で二人の首筋に叩き込んだ。  


白目を剥いて崩れ落ちる兵士たちを、ガンテツ姉さんが素早く両腕で抱え止め、音を立てずに床に寝かせる。  


「いい動きだ、アリア。息が合ってきたじゃねえか」


「……うん。でも、急ごう。急がないと……」


私は、冷たく淀んだ地下の空気を深く吸い込んだ。  


血と鉄錆、油の臭いが入り混じる要塞の悪臭。


鼻がおかしくなりそうだ。  


でも、分かる。


その悪臭のずっと奥底に、確かに私の愛する主人の「匂い」が微かに混じっている。  


最高級のアールグレイの香りと、冷たくも甘い、背筋がゾクゾクするような特有の魔力の残り香。


私だけの、私の絶対的な道標。  


……ただ、ひどく苛立つのは、その高貴な匂いにまとわりつくように『ダマスクローズ』の濃密な香水の匂いが混ざっていることだ。  


誰だ。


誰かがご主人様に近づいている。


「もっと下。……地下のずっと奥底に、ローズマリーさんがいる!」


                  ◇


隠密行動で地下二階まで潜入したが、強固な軍事要塞のセキュリティを完全に欺き続けることは不可能だった。

 

地下三階へ通じる大通路に差し掛かった瞬間、壁面に埋め込まれた魔導センサーが、抑えきれずに漏れ出していた私の魔力を感知し、無慈悲な警報音を鳴らし始めた。


ウゥゥゥゥゥゥンッ!!


暗闇を切り裂くように、無数の赤いサーチライトが点灯する。  


通路の奥から響いてくるのは、おびただしい数の軍靴の音と、重金属が石床を軋ませる異様な駆動音。

 

現れたのは、完全武装した黒装束の帝国特殊部隊、およそ五十名。  


その後方には、昼間のレースで私たちを苦しめた巨大な怪物――多脚戦車「アイアン・スパイダー」が、蒸気を噴き上げながら主砲の狙いを定めていた。


「侵入者だ! ヒルダ次官の予測通り、ネズミが掛かったぞ!」

「女ドワーフと魔法使いは殺せ! だが銀狼は生け捕りにしろ! 四肢を撃ち抜いて無力化しろッ!」


指揮官の冷酷な号令と共に、雨あられのような魔導銃弾が通路を埋め尽くす。  


隠れる場所のない直線通路。


絶体絶命の集中砲火。


でも、だからなんだっていうんだ。


「邪魔だァァァッ!! そこをどけェッ!!」


足を止めるどころか、獣のように低い姿勢を取って、真っ直ぐに敵陣のど真ん中へと突っ込んだ。  


四肢を撃ち抜く? 


やってみろ。


私には絶対に壊れない「盾」がある!


無数の銃弾が私の体を貫く――その直前。  


周囲に、淡い緑色に輝く六角形の魔力盾が何層にも展開された。


ガガガガガガッ!!


「なっ……魔導小銃の集中射撃を全て弾いただと!?」


驚愕する帝国兵たちの視線の先。  


後方でガンテツ姉さんの背中を盾にしながら、イザベラさんが震える手で魔導計算機を弾き、自らの全魔力を注ぎ込んで防護術式を維持してくれていた。


「アリアさん、前だけ見てくださまし! わたくしの意地に懸けて、かすり傷も与えませんからぁ!」


イザベラさんの悲鳴のような叫び。


その健気な背中を守りつつ、ガンテツ姉さんが自作の指向性爆薬を敵の陣地へと次々とボーリングの球のように転がす。


「へっ、帝国のドンガメども! ドワーフの『本物の火薬』を味わいな!」


ドガァァァンッ!!


凄まじい爆風と閃光が特殊部隊の陣形を完全に崩壊させた。  


兵士たちが悲鳴を上げて吹き飛ぶ。  


その一瞬の隙を突き、私は最前列の多脚戦車の懐へと、潜り込んだ。


見上げた先にある、無骨で醜い鋼鉄の塊。


こいつだ。昼間、車を壁に押し潰そうとした鉄屑。


「私のご主人様を……返せェェェッ!」


私の両腕に装着された漆黒のガントレット『シルバー・ファング』。

 

そこに組み込まれた赤い魔石が、私の底知れぬ怒り、殺意、そして愛と共鳴して限界まで輝く。


私は、数十トンの巨体を誇る戦車の下部装甲に向かって、大地を割るような踏み込みと共に渾身のアッパーカットを放った。


ガコンッ!!


拳が命中した瞬間、ガントレットに内蔵されたパイルバンカーが火薬の爆発と共に射出される。  


帝国が誇る分厚い装甲が、まるで薄いブリキ板のようにブチ抜かれ、強烈な衝撃波が戦車の内部機構を完全に粉砕した。


「ウソだろ……!? 戦車の装甲を素手で!?」


重力に逆らい、数十トンの戦車が宙に浮き上がり、仰向けにひっくり返って轟音と共に沈黙する。

 

残された帝国兵たちの顔が恐怖に引き攣り、武器を放り出して後ずさりし始めた。  


「止まるなアリア! そのまま一気に最下層までブチ抜け!」


ガンテツ姉さんの檄が飛ぶ。  


蹴りで鋼鉄の防犯ゲートを粉砕し、ガントレットで隔壁をぶち抜き、一直線に地下深くへと突き進んでいく。  


アシュトン・モーターズの絆が、帝国の絶対防衛線を文字通り蹂躙していく!


                ◇


地下三階、地下四階……と、立ちはだかる防衛兵器をスクラップに変えながら進む私の視界は、怒りと焦燥で赤く染まっていた。  


頭の中で、最悪の想像ばかりが膨らんでいく。  


私の主人が、今この瞬間も凄惨な拷問を受け、血を流し、痛みに耐えているかもしれない。


帝国の狂気に満ちた拷問が、ローズマリーさんの白くて美しい肌を切り裂いているかもしれない。  


ご主人様……! 


痛いよね、怖いよね……! 


ごめんなさい、私が不甲斐ないせいで……!


目から熱い涙が滲む。


でも、私はそれを拭うことすら惜しんで床を蹴った。  


早く。一秒でも早く。  


そして、ついに到達した最下層――地下五階。特別極秘牢エリア。


そこは、これまでの通路とは比較にならないほど重苦しい空気に満ちていた。  


周囲に兵士の姿はない。  


通路の突き当りには、何重もの魔力結界と物理ロックで封印された、高さ五メートルにも及ぶ分厚い鋼鉄の大扉がそびえ立っていた。  


匂いは、間違いなくその扉の向こうから漂っていた。  


ローズマリーさんの匂い。


そして、それにねっとりと絡みつく『ダマスクローズ』の憎たらしい香水の匂い。


「ガンテツ姉さん! イザベラさん! この奥! ローズマリーさんはこの中にいる!」


「おう! 下がってな、アタシとアリアの同時攻撃で結界ごと吹き飛ばす!」


ガンテツ姉さんが、工具箱に残っていた全ての高圧縮爆薬を大扉の中心にセットする。  


イザベラさんが、扉を覆っている帝国の魔力結界の波長を解析し、その防御力を一時的に中和する術式を編み上げる。


「今ですわ! 結界、解除しました!」


「アリア、全魔力をその右腕に集めろ!」


私は大きく息を吸い込み、右腕の『シルバー・ファング』に、命を削るようにして大量の魔力を流し込んだ。  


銀色のオーラが竜巻のように腕に巻き付き、暗い地下通路を昼間のように照らし出す。


待ってて、ご主人様。


今、そこから出してあげるからね! 


「3、2、1……やっちまえェッ!!」


ガンテツ姉さんの起爆スイッチと同時に、私の放った全力のストレートが、爆炎ごと扉の中心に叩き込まれた。


ズドォォォォォォォォォンッ!!!


地下要塞全体が激しく揺れるほどの轟音。  


魔導防壁ごと、帝国の誇る分厚い鋼鉄の大扉が、ひしゃげたブリキ缶のように木端微塵に粉砕され、地下牢の内部へと吹き飛んだ。


もうもうと立ち込める分厚い土煙と、パラパラと降り注ぐ瓦礫の雨。  


私は、中にいるであろう残虐な拷問官の首を即座に刎ね飛ばせるよう、殺意を限界まで高め、瞳をらんらんと血走らせながら、煙の中へと飛び込んだ。


「ご主人様!! 迎えにきたよォォッ!! 全員ぶっ飛ばして――ッ!!」


怒りと愛に満ちた、悲壮な咆哮が、地下牢の空気をビリビリと震わせる。  


私は、血まみれで倒れているであろう愛する主人を抱きとめるため、両腕を広げて煙が晴れるのを待った。  


泣いていてもいい。


怪我をしていてもいい。


私が全部舐めて治してあげるから。


だが。  


ゆっくりと晴れていく粉塵の向こう側に現れた光景は――私の悲壮な決意と想像を、斜め上どころか次元の彼方へと置き去りにする、あまりにも異常なものだった。

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