第71話 「暴走する多脚戦車。標的は銀狼」
【翌日:帝都・水晶宮特設サーキット】
博覧会の熱気は、最終日の「メインイベント」に向けて最高潮に達していた。
水晶宮の外周を巡る、全長10キロの特設コース。
石畳の長い直線、入り組んだ市街地のヘアピンカーブ。
そこまではいい。
問題は、どう見ても意図的に配置されたとしか思えない「未舗装の巨大な瓦礫地帯」と「急勾配の階段」だ。
各国の代表メーカーが国の威信を賭けて自慢の車両を走らせる、文字通りの「技術の代理戦争」。
観客席を埋め尽くす数十万の帝国市民と軍人たちは、自国の絶対的勝利を信じて、地鳴りのような狂乱の声を上げていた。
右を見ても、左を見ても敵ばかり。
殺気と、傲慢な優越感と、安っぽい熱狂が入り混じった空気が、私の嗅覚をチリチリと逆撫でする。
完全に敵地だ。
◇
サーキットのピットエリア。
私たちアシュトン・モーターズの陣地だけが、周囲の喧騒から切り離されたように、異様なほどの静けさと闘気に包まれていた。
「……よし、吸気バルブのクリアランス、完璧だ。魔力伝導率も120%出てる。アリア、踏み抜いてこい!」
油まみれのガンテツ姉さんが、漆黒のモデルA・カスタム『ブラック・スワン』のボンネットを締め、力強く親指を立てた。
最終メンテを終えた彼女の目は、エンジニアとしての確固たる矜持でギラギラと光っている。
どんな敵地だろうと、姉御の作った車は絶対に壊れない。
その絶対の信頼が、私の背中を押してくれる。
「社長、マリアさん! 冷たいレモネードですわ! これを飲んで頑張ってくださまし!」
イザベラさんが、震える手で私たちに水筒を手渡してくれた。
震えているのは彼女なりに、この異様な空気に耐えている証拠だ。
私は運転席で、特注のグローブをはめた手を強く握りしめ、助手席を見る。
そこには、分厚いコース図とデータを見比べているローズマリーさんがいた。
彼女は水筒を受け取り、優雅に一口飲んでから、口を開いた。
「……随分と露骨なコース設計ですね。瓦礫地帯に階段……。これは車を走らせるコースではありません。『あのガラクタ』を活躍させるための障害物競走です」
ローズマリーさんの視線の先。
スターティンググリッドの最前列には、帝国の威信を背負う巨大な怪物――多脚戦車「アイアン・スパイダー」が、蒸気と黒煙を吐き出しながら威圧的に鎮座していた。
「ローズマリーさん、これ絶対罠ですよ」
私はグローブをギュッとはめ直し、無意識に鋭い犬歯を剥き出しにしていた。
「ええ、見え透いた罠です。……ですが、逃げれば我々の技術は帝国以下だと宣伝される。ならば、真っ向から叩き潰すまでです」
ローズマリーさんは、私の銀色の髪をそっと撫で、その首筋に冷たい指先を這わせた。
ビクン、と背筋が跳ねる。
怒りでささくれ立っていた神経が、主人のそのひと撫でで、嘘のように甘く静まっていく。
「準備はいいですか、アリア。……帝国の野蛮な鉄屑に、『本物の走り』を教えてあげなさい」
「イエス、マム! ……一瞬で置き去りにしてやります!」
◇
ブラック・スワンがスターティンググリッドにつく。
隣には帝国の多脚戦車。
その後ろには、隣国の蒸気装甲車や、魔導二輪車など、各国の最新兵器……もとい車両がずらりと並んだ。
バーンッ!!
スターターの号砲が鳴り響いた。
同時に、各国の車両が一斉にスタートダッシュを切る。
「いけぇぇッ! アシュトンを潰せ!」
「帝国の力を見せてやれ!」
観客の狂気じみた声援の中、アイアン・スパイダーが六本の脚を不気味に蠢かせて前進する。
重量数十トンの巨体でありながら、高出力魔導駆動によるその足取りは恐ろしいほど速い。
大地を揺らしながら、他国の小型車を容赦なく弾き飛ばして進んでいく。
だが、誰よりも速かったのは、私たちの漆黒の流星だった。
キィィィィィンッ……!!
ブラック・スワンのV型12気筒魔力エンジンが、甲高い咆哮を上げる。
完璧なクラッチミート。
路面状況を瞬時に感知し、タイヤが空転するギリギリのトラクションを引き出す。
石畳の路面を抉るように蹴り飛ばし、黒い車体が砲弾のように射出する。
Gが私の体をシートに押し付ける。
内臓が置いていかれそうなこの感覚、最高だ!
「速いっ! なんだあの初速は!?」
「黒い車がトップに躍り出たぞ!」
重い戦車が加速しきる前に、モデルAは圧倒的なスピードで第一コーナーを制した。
流線型の空力ボディが風を切り裂き、私たちの技術の結晶が、帝国の最新兵器を子供扱いするかのように引き離していく。
……でも、嫌な予感がする。
野生の勘が、背後からのどす黒い殺気を強烈に捉えていた。
「……ただの直線番長が。コースの形をよく見なさい」
戦車に搭乗している帝国兵が、操縦桿を乱暴に引くのがバックミラー越しに見えた。
コース中盤、大きく迂回するS字カーブに差し掛かった時だった。
アイアン・スパイダーは、カーブに沿って減速する私たちを完全に無視し、そのままコース脇の「巨大な瓦礫の山」へと突っ込んだのだ。
ガシャンッ!
メキメキメキッ!
車輪では絶対に登れない瓦礫の山を、六本の脚が岩を砕きながら難なく踏み越えていく。
道なき道を突き進む、圧倒的な走破性。
戦車は、カーブを直線的にショートカットし、再びモデルAの真横へと躍り出た。
「ひゃははは! 泥でも舐めてろ、王国のモルモット!」
戦車の巨大な鋼鉄の脚が、モデルAを壁際に押し潰そうと幅寄せしてくる。
影が落ちる。鋼鉄の質量が、私たちを圧殺しようと迫る。
「あぶなっ!?」
私は間一髪でブレーキを踏み、クラッシュを回避する。
だが、その減速の隙を突き、戦車は前方の急勾配の階段すらも駆け上がり、トップへと躍り出た。
「ずるい! あいつら、コースなんて無視して壁登ってるじゃん!」
私はハンドルを叩いて吠えた。
「あれが『戦争』です、アリア。彼らは道を走るのではなく、道を蹂躙するためにあの機械を作った。……ならば、私たちは『道』そのものを支配しましょう」
ローズマリーさんは、懐中時計でタイムを測りながら、アシュトン製の特注シートベルトをきつく締めた。
「次の第4コーナー、魔力リミッターを解除します。……魅せなさい、アリア!」
「……イエス、マム!!」
『魅せなさい』――その一言が、私の中の起爆スイッチを押す。
私の体に眠る、血が一気に沸騰する。
心臓が痛いほどの速度で脈打ち、血液の代わりに熱い魔力が全身を駆け巡る。
全身から、オーラのような「銀色の魔力」が立ち上り、それがハンドルを通じてブラック・スワンの車体全体へと激流のように流れ込んでいく。
漆黒のボディが、月の光のような銀色の燐光を纏い始めた。
車と私が、完全に一つになる。
私の神経がタイヤの溝まで伸び、エンジンの鼓動が私の肺と直結するようだ。
「いくよぉぉぉぉッ!!」
前方に迫るは、水晶宮の周囲をぐるりと回る、超高速のロング・ヘアピンコーナー。
戦車が内側の段差を無理やり乗り越えてショートカットしようと構える中、私はあえて外側の大外刈りラインを選び、最高速のまま突っ込んだ。
ギャァァァァァァァッ!!
白煙を上げ、タイヤが悲鳴を上げる。
私は、減速するどころかアクセルを床が抜けるほどベタ踏みし、ステアリングをコーナーとは逆方向に鋭く切り込んだ。
超高速のカウンター・パワードリフト。
強烈な遠心力が、私の内臓を外側へ引き千切ろうとする。
外側の壁が目の前に迫る。
普通なら確実に壁に激突してミンチになる速度と角度。
だが、私の腕力と、魔力によるコンマ数ミリの繊細なペダルワークが、暴れる物理法則を強引にねじ伏せる。
車体は進行方向に対して真横を向いたまま、水晶宮のガラスの壁面スレスレを滑空するようにカッ飛んでいく。
「な、なんだあれは!?」
「車が……真横に滑りながら加速しているだと!?」
観客たちが言葉を失い、総立ちになるのが視界の端で見えた。
「すげえ……! いけぇぇぇッ! 黒い車ァァ!」
「なんて美しい走りだ! あれが王国の技術か!」
国境も、代理戦争という建前も消し飛んだ。
そこにあるのは、純粋な「速度」と「美」への熱狂だけ。
そして、コーナーの出口。
アウトコースのスピードを一切殺さずに抜け切ったブラック・スワンは、内側の瓦礫に足を取られて強引に姿勢を立て直そうとしている巨大な戦車を、一瞬にして置き去りにした。
バックミラーの中で、もがくアイアン・スパイダーが点になっていく。
勝負は、決した。




