第70話 「帝国技術博覧会。水晶宮と漆黒の流星」
【数日後:アシュトン・モーターズ・ガレージ】
アシュトン・モーターズに、一通の招待状が届いたのは、株価騒動が落ち着いた直後のことだった。
差出人は「帝国技術振興会」。
かの軍事大国・帝国が主催する、世界最大級の「国際技術博覧会」への招待状だ。
ガレージは、出展準備の熱気に包まれていた。
徹夜続きのガンテツ姉さんが、充血した目で図面を叩く音が響く。
「おいイザベラ! 申請書類はできたか! 帝国の規格はうるさいぞ! ネジのピッチ一つ間違えりゃ入国拒否だ!」
「やってますわ! でも、なんでこんな急に……? 準備期間が短すぎますわ!」
ピリピリとした空気。
でも、オフィスに座るローズマリーさんは、金箔の押された招待状を指で弾き、氷のように冷ややかな笑みを浮かべていた。
その瞳は、パーティーへの招待を喜ぶ令嬢のそれではない。
獲物の喉元を見定めた、捕食者の目だ。
「……表向きは『戦後の平和友好と技術交流』ですが、その実は、我が王国の技術レベルを測るための『品評会』でしょう」
帝国。
つい先日まで私たち王国と戦争をしていた相手だ。
平和条約が結ばれたとはいえ、それはただの紙切れ。
国境付近では、今でも兵士たちが剣先を向け合っていると聞く。
匂う。
招待状の紙切れ一枚から、鉄と火薬、そしてドロドロとした悪意の匂いがする。
「ろ、ローズマリーさん……断りますか? 帝国なんて信用できません。何をされるか……」
私が不安を口にすると、ローズマリーさんは眼鏡の位置を直した。
「いいえ。……断る選択肢などはありません。向こうが品定めをするつもりなら、こちらは『格の違い』を見せつけてやるまでです」
ああ、やっぱり。
この人は逃げない。売られた喧嘩は、相手が誰であろうと倍にして買い取る。
その潔さが、たまらなく好きだ。
彼女は、ガレージの奥で黒い布に覆われた二台の機体を振り返った。
「準備はいいですね、アリア、イザベラ、ガンテツ? ……帝国に見せるのは、いつもの銀色ではありません。完成された『黒』です」
バッ!!
布が勢いよく引き剥がされると、そこには闇夜のような漆黒に塗装された二台のモンスターマシンが鎮座していた。
息を呑んだ。美しい。
一台は、「モデルA・カスタム "ブラック・スワン"」。
私とローズマリーさんが乗るフラッグシップ機だ。
シャーシは、帝国の重戦車にも使われる軽量強化ミスリル合金。
エンジンは規格外の魔力出力を誇る12気筒。
優雅な曲線を描くボディは、まるで夜の湖に浮かぶ黒鳥。
でも、その内側には獲物を引き裂く猛獣の爪を隠し持っている。
もう一台は、「モデルA・トラック "アイアン・バイソン"」。
ガンテツ姉さんとイザベラさん、そして大量の展示資材を運ぶ大型輸送車だ。
巨大なコンテナを牽引し、フロントには戦車すら弾き飛ばせそうな頑強なスパイクバンパーを備えている。
「かっこいい……! 強そう!」
私は艶やかなボンネットを撫で回した。
冷たい金属の肌触り。
でも、奥底でエンジンという心臓が鼓動を待っているのが分かる。
黒い。
銀色も好きだけど、この色はまるで「夜の女王」のドレスみたいだ。
ご主人様に似合う。
ローズマリーさんは、漆黒のボディに自分の顔を映し、静かに、しかし熱く告げた。
「行きますよ。……アシュトン・ハイウェイを越えて、敵地へ殴り込みです」
「イエス、マム! 地獄の底まで運転します!」
◇
一行はハイウェイを疾走し、国境を越え、帝都へと到着した。
空は工場の煤煙で灰色に濁り、重苦しい油の匂いが漂う。
息苦しい。
魔力の匂いよりも、鉄と火薬の匂いが鼻をつく。
ここが敵地。肌が粟立つ。
その帝都の中心にそびえ立つのが、博覧会会場――鉄骨と強化ガラスで構成された巨大なドーム、通称「水晶宮」だ。
その威容は、帝国の技術力の象徴として世界中の来場者を圧倒していた。
会場内には、最新鋭の大砲、蒸気機関、自律稼働する魔導兵器が所狭しと並べられている。
平和の祭典? 冗談じゃない。
これは兵器の見本市だ。
血の匂いがプンプンする。
私たちアシュトンの一行が到着すると、その異様な存在感に会場がざわめいた。
「おい見ろ、王国の田舎企業だ」
「なんだあの黒い車は? 霊柩車か?」
嘲笑と好奇の視線。
ムカつく。
だが、ローズマリーさんは悠然と車を降り、サングラスを外した。
その堂々とした姿、圧倒的な「格」の違いに、嘲笑がため息に変わる。
その時、人混みをかき分けて、一人の貴婦人が近づいてきた。
顔をベールで隠し、豪華なドレスを纏っている。
「ようこそ、アシュトン・モーターズの皆様。……遠路はるばる、よくお越しくださいました」
甘ったるい猫なで声。
イザベラさんが「親切な案内係の人ですわね」と安心しかけたが、私だけが鼻をスンと鳴らし、眉間に深い皺を刻んだ。
……この匂い。
忘れるわけがない。
私は、その貴婦人の腕をガシッと掴んだ。
「……こんにちは、帝国の留学生さん」
「っ!?」
ニカっと笑い、指を突きつけた。
隠したって無駄だ。
私の鼻は誤魔化せない。
「その匂い、覚えてるよ。……学園に留学してたヒルダでしょ?」
貴婦人の肩がピクリと跳ねた。
彼女はため息をつくと、ベールを荒々しく脱ぎ捨てた。
現れたのは、冷徹な眼鏡を光らせた、あの女――ヒルダだった。
「……相変わらず、鼻だけはいいようね、駄犬。あの時は世話になったわ」
ヒルダの言葉を聞いた瞬間、喉の奥から低い唸り声が漏れた。
ガルルルルッ……!
理性のスイッチが飛びそうだ。
「世話になった、だって……? よくもぬけぬけと!」
私はヒルダに詰め寄った。怒りで視界が赤く染まる。
「アンタのせいで……魔物の大暴走が起きたんだ! たくさんの人が怪我をして! あの日のことを私は忘れてないからな!」
かつての因縁。
ヒルダが残した負の遺産に、私の野生が怒りで震える。
許せない。
だが、ヒルダは涼しい顔で扇子を開いた。
「あら、あれはただの『データ収集』よ。……実験に犠牲はつきものでしょう?」
「てめぇ……ッ!」
私が拳を振り上げたその時、一本の鞭のような鋭い声が、私とヒルダの間にピシャリと打ち下ろされた。
「――お座り、アリア」
冷徹な声。
ローズマリーさんだ。
その声を聞いた瞬間、振り上げた拳が空中で止まった。
体より先に、魂が反応してしまう。
彼女は私の肩を掴んで引き下がらせると、ヒルダの前に進み出た。
私を守るように。そして、私を従える女王のように。
「飼い犬が失礼しました。……ですがヒルダさん、貴女も随分と出世されたようですね?」
ローズマリーさんは、ヒルダを一瞥した。
「『帝国技術省・次官』殿。スパイ活動の功績で得た椅子は、さぞ座り心地が良いことでしょう」
「……よく勉強しているのね」
ヒルダの顔から余裕が消える。
ローズマリーさんは、さらに追い打ちをかけるように、耳元で囁いた。
「それと……『お友達』にもよろしくお伝えください」
「……?」
「ベアトリス・ヴァン・ルージュ。……彼女とは『裏取引』のパートナーなんでしょう? 最近、ベアトリスは大損したみたいですから、技術をまた流してあげてくださいな。貴女が流した技術で、彼女は儲けることができるのですから」
ヒルダの眼鏡がズレた。
さすがご主人様、情報収集に抜かりがない。
「……ふふっ。可愛げのないお嬢様ね。……まあ、いいわ。お互いにこのイベントを楽しみましょう」
ヒルダは捨て台詞を残し、会場の奥へと消えていった。
背中を見送る私の拳は、まだ震えていた。
次は絶対に許さない。ご主人様に手を出したら、喉笛を食いちぎってやる。
◇
「……やれやれ。準備も楽じゃねえな」
「ガンテツ姉さん、私も手伝いますよ」
トラックの荷台で荷下ろしをしていたガンテツ姉さんが、額の汗を拭いながらため息をついた。
その時。
私の鼻が、微かにピクリと動いた。
……なに? この匂い。
鉄と油の匂いに混じって、焦げ臭いような、血生臭いような……危険な匂いがする。
整備エリアの薄暗い影から、一人の小柄な男が歩いてきたのが見えた。
ボサボサの黒髪に、眼帯。
帝国の整備兵の制服を着ているが、その歩き方は軍人のそれではない。
ガンテツ姉さんの手から、スパナが滑り落ちた。
カラン……。
「……嘘だろ。あいつは……」
男がふと足を止め、ガンテツ姉さんの方を見た。
隻眼が、ガンテツ姉さんを捉える。
男はニヤリと不敵に笑い、無言のまま人混みの中へ消えていった。
ゾクリとした悪寒。
「シド……! なんでお前が、こんなところにいやがる!?」
……誰? 姉御の知り合い?
でも、ただの知り合いじゃない。
姉御があんな顔をするなんて……。




