表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

77/98

第69.5話 「メディアの暴走と、女帝の激昂」

【視点:ベアトリス】

【翌朝:ベアトリス商会本社ビル・最上階執務室】

静寂だけが、私の部屋を支配していた。

 

眼下には王都の街並みが広がっている。


私が支配し、動かし、手の中で転がしてきた経済の海。  


だが今、その海は私の意のままにならない荒波となって、私自身の足元を浸食し、玉座を揺さぶっていた。


――完敗だったわ。


私は、手にした最高級の赤ワインのグラスを揺らしながら、先日の悪夢を反芻する。  


アシュトン・モーターズの上場。  


私は完璧なシナリオを描いていた。「空売り」と「風説の流布」。  


恐怖で市場を凍りつかせ、ローズマリーちゃんの夢を紙屑に変え、絶望した彼女が私の膝に泣きついてくる……。


「助けてください、ベアトリスお姉様」と。  


そんな甘美な結末を夢見ていたのに。


けれど、彼女は私の予想を遥かに超えてきた。  


あの野蛮な銀色の駄犬に現金を運ばせ、物理的にすべての株を買い占めるという「踏み上げ」の罠。  


論理を、圧倒的な暴力と信頼でねじ伏せられた。  


その代償として支払った違約金は、私の資産の相当部分を吹き飛ばした。


悔しい?  


ええ、はらわたが煮えくり返るほどに。


自分の浅はかさを呪い、爪で肌を掻きむしりたくなるほどに。  


でも同時に、背筋が震えるほどの歓喜も感じていた。  


私をここまで追い詰め、私からこれほどの金を奪い取った人間は、世界でただ一人。  


ローズマリー。


貴女だけよ。


「……ふふ。高い授業料だったけれど、貴女の実力は認めてあげるわ。これからは、対等の『宿敵(ライバル)』として愛してあげる」


そう呟いて、私は秘書が恐る恐る持ってきた朝刊を広げた。  


そこには、先日の私の無様な敗北と、アシュトンの華々しい勝利がデカデカと載っているはずだ。  


その屈辱をスパイスにして飲むワインも、また一興――そう思っていた。


しかし。  


目に飛び込んできたのは、そんな経済ニュースではなかった。


『世紀のロマンス!? アルベルト王子、アシュトン社長に熱烈求愛!』  

『シンデレラ・ストーリー! メイドから王妃へ!?』


紙面を飾っていたのは、地面に跪き、ローズマリーちゃんの手を取ってキスをする、金髪の男の写真。


「……は?」


思考が停止した。

 

アルベルト王子。


王家の飾り人形。


世間知らずの温室育ち。  


彼が、ローズマリーちゃんに? 


求愛? 


愛を囁いた?


プツン。


私の中で、何かが焼き切れる音がした。


理性の糸か、あるいは我慢の限界か。


バリーンッ!!


私の手から離れたワインボトルが、壁に激突して粉々に砕け散った。  


深紅の液体が、まるで返り血のように壁紙を染め、高価な絨毯へと滴り落ちる。  


秘書が悲鳴を上げて部屋から逃げ出した。


構うものか。


そんな雑音はどうでもいい。


「……ふざけないで」


鏡に映った自分の顔は、嫉妬と怒りで般若のように歪んでいた。


醜い。


でも、これが私の本性だ。

 

金を取られた屈辱? 


市場での敗北?  


そんなものは、この写真一枚に比べれば、蚊に刺された程度のことだ。


許せない。  


絶対に許せない。  


ローズマリーちゃんが誰かのものになる? 


そんな可能性が存在すること自体が、宇宙の理に反しているわ!


「私のローズマリーちゃんよ……。私が手塩にかけていじめて、育てて、追い詰めた最高の玩具(ライバル)を……!」


私は自分の爪を噛んだ。


ギリギリと音を立てて、鉄の味が口の中に広がる。


思い出してごらんなさい。  


彼女がうちの国に留学して来たあの日から、誰が一番近くで、誰よりも熱心に彼女を見てきたと思っているの?  


道路の出口を塞いで意地悪をしたのも、資材を買い占めて困らせたのも、そして今回、株価を操作して絶望の淵に立たせたのも。  


すべては、彼女の才能を開花させるための「愛の鞭」だったのよ!


私が与えた試練を乗り越えるたびに、彼女は美しく、強く、鋭くなっていった。  


泥にまみれ、汗を流し、それでも折れない鋼の瞳。

 

あの輝きを引き出したのは私だ。


私だけが彼女の価値を理解し、私だけが彼女と対等に渡り合える。  


ローズマリーは、私の「作品」であり、私の「半身」なのよ!


「どこの馬の骨とも知れない王子風情が、横からかっさらうなんて許さないわ……!大人しく野蛮な銀色の駄犬を妃にしていればよいものを!」


王子? 国からの支援?  


ふざけるな。


貴様は彼女が泥水を啜っている時、どこにいた?  


完成された果実だけを、甘い言葉で掠め取ろうとするハイエナ。  


彼女を支配していいのは、苦難を与え続け、彼女の人生を彩り続けた、この私だけよ!


私の中で、ローズマリーちゃんへの執着が、愛憎を超えた黒い狂気へと変貌していくのが分かった。  


もう、ビジネスの枠組みなんてどうでもいい。


利益も損失もない。  


金も、権力も、すべてはこの瞬間のためにある。


彼女を私の檻に閉じ込めるためだけにある!


私はデスクの魔導通信機のスイッチを叩き割る勢いで入れた。


「総員、臨戦態勢! 今すぐ法務部と工作員を総動員しなさい!」


受話器の向こうで部下が怯えている。


「し、しかし、相手は王家で……」


「うるさい! 王子の介入を阻止するわよ。どんな手を使ってもね! スキャンダルでもでっち上げなさい! 王室の予算に圧力をかけなさい! 必要なら王家ごと買収してやるわ!」


私は血走った目で、壁の深紅の染みを見つめた。


それは、私の心を焦がす炎の色だ。


「待っていなさい、ローズマリーちゃん。……貴女をあんな男の『お飾り』になんてさせない。貴女は一生、私との泥沼の喧嘩(ダンス)を踊り続けるのよ」


愛しているわ。


だからこそ、誰にも渡さない。

 

貴女は私と戦って、私に悩まされて、私のことだけを考えていればいいのよ。

 

地獄の果てまで追いかけて、その首に私の首輪をかけてあげる。


覚悟しなさい、アルベルト。  


貴方は今、この国の経済を支配する「悪役令嬢」の、一番触れてはいけない逆鱗に触れたのよ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ