第68話 「怒りの自社株買い。会社の価値」
【同日午前:王都証券取引所・立会場】
私はモデルA・カスタムを操り、勢いよく王都証券取引所に飛び込んだ。
ズドォォォォォォォンッ!!
爆音と共に、漆黒の車体をロビーのど真ん中へドリフトしながら滑り込ませる。
ごめんね、相棒。
ちょっと乱暴に扱うよ!
正面玄関の重厚な扉が、物理的に吹き飛んだ。
「な、なんだ!? テロか!?」
逃げ惑う投資家たち。
私は土煙の中から、運転席のドアを蹴り開けて降り立った。
両手には、巨大なジュラルミンケースを二つずつ、計四つも抱えている。
重い。数百キロはある。
でも、この重さはただの金属じゃない。
ローズマリーさんが、命を削って積み上げた「信頼」の重さだ。
だから、これっぽっちも重くない!
怒号と悲鳴が渦巻く取引所。
「売りだ! もう紙屑だ!」
「金返せぇぇぇッ!!」
そこは、欲望と絶望が入り混じった地獄の釜の底だった。
アシュトン株は金貨5枚。
昨日の最高値の20分の1まで暴落していた。
誰もが我先にと逃げ出し、買い手など一人もいない。
「死の相場」。
みんなの顔が歪んでいる。
昨日まであんなに笑っていた人たちが、今は鬼の形相で叫んでいる。
悔しい。悲しい。
でも、もう泣かない。
ご主人様が私に託してくれたこの「弾丸」がある限り、私は負けない!
「どけぇぇぇぇッ!! アシュトンの『買い』が通るぞぉぉッ!!」
私は、取引カウンターにジュラルミンケースを叩きつけた。
バンッ!!
留め金が弾け飛び、中から黄金の輝きが溢れ出す。
金貨、金貨、金貨。
まばゆい光が、薄暗い絶望を切り裂く。
「これ全部、アシュトン株の『買い』だ! 値段なんかいくらでもいい! 市場にある株、全部よこせぇぇッ!!」
場内が静まり返る。
狂気だ。
誰もがそう思っただろう。
暴落中の株を、全財産で買うなど自殺行為だ。
でも、私は知っている。
ご主人様は、一度だって博打をしたことはない。
これは「投資」ですらない。
「確信」だ。
私がこうして堂々と立つこと。
それ自体が、パニックに陥った市場心理を引っぱたく最強の平手打ちになる!
「あ、アシュトンが……買い支えてるぞ!」
「逃げなくていいのか!?」
迷う投資家たち。空気が揺らぐ。
そこへ、第二の矢が放たれた。
「号外でーす! 『週刊スキャンダル』特大号ですわー!」
2階から、大量の雑誌がビラのようにばら撒かれた。
撒いたのは、イザベラさんだ。
彼女の隣には、ボサボサ頭の怪しい男――ゴシップ記者が立っている。
頼もしいよ、イザベラさん!
舞い落ちる雑誌の表紙には、衝撃的な見出しが躍っていた。
『アシュトン車暴走事故の真実! ブレーキに細工された痕跡を発見!』
『黒猫ファンドの実態は? ベアトリス商会との癒着を暴く!』
記事には、事故車のブレーキワイヤーが何者かに切断された証拠写真や、謎の売り注文を出したファンドの資金の流れが、イザベラさんの執念の調査によって暴露されていた。
「こ、これは……事故は仕組まれたものだったのか!?」
「ベアトリス商会が株価を操作していた!?」
風向きが変わる。
「恐怖」が「怒り」へ、そして「アシュトンへの同情」へと変わっていく。
◇
バルコニー席で優雅にワインを傾けていたベアトリスの顔から、急速に血の気が引いていくのが、ここからでもはっきりと見えた。
「……なんですって?」
マーケットという怪物は、ベアトリスに牙を剥く。
「か、買いだ! アシュトンは無実だ!」
「社長を信じろ! 買い戻せぇぇッ!」
ドッ!!
怒涛の買い注文。
株価チャートが、V字を描いて跳ね上がった。
金貨10枚……30枚……50枚……!!
止まらない。
誰も売らないから、値段だけが天井知らずに上がっていく。
ベアトリスの部下が、青ざめた顔で叫んでいるのが見える。
「ベアトリス様! マズいです! 株価が上がりすぎています!」
「だったら売りなさい! もっと売って叩き落とすのよ!」
「で、できません! もう市場に『売る株』がありません!」
その時だった。
私の横に、息を切らせたイザベラさんが駆け寄ってきた。
彼女は乱れた髪も気にせず、手に持っていた魔導通信機を高く掲げた。
「アリアさん! 『主役』の登場ですわ! 通信、繋がってます! さあ、とどめを!」
イザベラさんがスイッチを入れる。
スピーカーから、凛とした、それでいて絶対的な冷たさを帯びた声が響き渡った。
『……聞こえますか、ベアトリス商会の皆さん。そして、愚かな投資家の皆さん』
ローズマリーさんだ。
その声を聞いた瞬間、私の背筋にゾクゾクとした電流が走った。
ああ、この声だ。
美しく、恐ろしい声。
私はイザベラさんと並び立ち、バルコニーの女帝を見上げながらニヤリと笑った。
私たちは先兵。
ご主人様の「手足」だ。
そして今から、ご主人様の「頭脳」が貴女を解体する。
『さて、謎解きの時間です』
ローズマリーさんの声が、混乱する取引所を支配する。
誰もが息を呑んで聞き入っている。
『今回の暴落騒動……犯人は「黒猫ファンド」ことベアトリス商会。手口は「空売り」と「風説の流布」による株価操作。……ここまでは、三流の脚本ですね』
バルコニーのベアトリスが、ギリッと歯噛みするのが見えた。
『貴女は、持ってもいない株を「借りて」売り浴びせました。株価が下がったところで安く買い戻し、その差額で儲けるつもりだったのでしょう?』
ローズマリーさんは、まるで講義をするように淡々と続ける。
その冷静さが、今のベアトリスには何よりも残酷な刃になる。
『ですが、貴女は致命的なミスを犯しました。……「誰が」その株を買っているか、確認しましたか?』
ベアトリスの顔色が、白から土気色に変わる。
『貴女が売った株……その全てを今買い占めたのは、私です』
ローズマリーさんの宣言と同時に、私は足元のジュラルミンケースを思い切り踏み鳴らした。
ガンッ!
ここにある株券の山。
これが動かぬ証拠。
『市場にあるアシュトン株は、今、アリアの足元にあるものが全てです。市場からは一枚残らず蒸発しました』
「品切れ……」
「そうです。これが、空売りの最大の恐怖。 ベアトリス、あなたは期限までに株を返さなければならない。でも、返すための株は世界中どこを探しても売ってはいない。あるのは、ここだけ。アリアの足の下だけです。これを「踏み上げ」と言います。……逃げ場のない密室へようこそ、ベアトリス』
狩る側だったはずの彼女が、今、完全に檻の中に閉じ込められたのだ。
あの傲慢な女帝が、今は籠の中のネズミみたいに震えている。
私は、積み上げた株券の山の上に仁王立ちになり、イザベラさんが掲げる通信機に向かって叫んだ。
「聞いた?ベアトリス! この株は一枚たりとも渡さない! 欲しければ土下座してローズマリーさんに頼みな!」
私の挑発に続き、ローズマリーさんが冷酷な「判決」を下す。
さあ、言ってやってください、ご主人様!
『……いえ、土下座では足りませんね。ビジネスですから』
通信機の向こうで、ご主人様が極上の笑みを浮かべているのが分かる。
チェックメイトだ。
『欲しければ売って差し上げますよ。……ただし、金貨1000枚でならね』
「……っ!」
パリーンッ!
ベアトリスが、手にしたワイングラスを床に叩きつけた音が、
静まり返ったホールに響いた。
一株金貨1000枚。
現在の株価の10倍以上。
暴力的な価格。
だが、それを呑まなければ、彼女は契約不履行する。
完全に、ローズマリーさんの手のひらで踊らされていたのだ。
「……やってくれたわね、ローズマリーちゃん」
ベアトリスは、震える手で部下に命じた。
「……買い戻しなさい。いくらでもいいわ。……私の、完敗よ」
その瞬間、取引所が割れんばかりの歓声に包まれた。
勝った。
イザベラさんと顔を見合わせ、ハイタッチを交わす。
パンッ! と乾いた音が響く。
その日、アシュトン・モーターズの株価は歴史的な高値を記録した。
ベアトリスから巻き上げた莫大な違約金は、そのままアシュトンの利益となり、会社の財務基盤を盤石なものにした。
◇
【夕暮れのガレージ】
戦いが終わり、私たちが本社に戻ると、ローズマリーさんが出迎えた。
彼女は、空になったジュラルミンケースを見て、満足げに頷いた。
「よくやりました、アリア。……最高の『お使い』でしたよ」
「へへっ……。ちょっと怖かったです……ローズマリーさん」
私はへなへなと座り込んだ。
緊張の糸が切れて、指一本動かせない。
ローズマリーさんは、私の頭を優しく撫でた。
その手の温もりが、冷え切った心に染み渡る。
ああ、よかった。
「これで借金も返済し、資金も潤沢です」
金融戦争は、アシュトンの完全勝利で幕を閉じた。
「……社長! 大変です! アルベルト殿下が……!」
イザベラさんが駆け込んでくる。
それは、新たな波乱の予兆だった。




