第65話 「アシュトン・ハイウェイ。物流革命の夜明け」
【数週間後:王都・中央市場】
「へいらっしゃい! 獲れたての『北海の魔光魚』だよ! 生で食えるぞ!」
早朝の市場に、魚屋のおじさんの威勢のいい声が響き渡る。
買い物に来ていた奥様方が、信じられないものを見る目で魚を覗き込んでいた。
「えっ? 北の海の魚? ここから馬車で一週間はかかるじゃない。干物じゃなくて?」
「いいや、生だ! 今朝届いたばかりのピチピチだ!」
おじさんがパンパンと叩いたのは、アシュトン化学製の白い箱。
その中には、まだ目が透き通った、宝石みたいに綺麗な魚が並んでいる。
「『アシュトン便』だよ! あの新しいハイウェイをトラックで飛ばせば、一晩で着くんだとさ! しかも値段は先月の半分だ!」
「まあ! 魔法みたいね!」
魔法。
ふふっ、そうでしょう。
これは魔法だ。
ローズマリーさんが設計図を引き、ガンテツ姉さんが鉄を打ち、私が……まあ、私が力仕事で手伝った「物流」という名の魔法だ。
南国のフルーツが雪国で売られ、山奥の薬草が王都の病院に即日届く。
世界が縮まった。
ご主人様が、世界を小さく、そして豊かにしたんだ。
見てますか、ご主人様。
貴女の作った道が、みんなのお腹を満たしていますよ。
私は配達の伝票を握りしめ、誇らしい気持ちで市場を駆け抜けた。
自分が褒められるより、ご主人様の仕事が認められる方が、百倍嬉しい。
◇
【アシュトン・モーターズ・ガレージ周辺】
かつては鉄屑と油の臭いが漂う工場だった場所。
そこは今や、王国の心臓部とも言える巨大な物流センターへと変貌を遂げていた。
ブォォォォン……プシュー!
絶え間なく出入りするモデルAトラックの列。
積み下ろしされるコンテナの山。
事務所の電話は、朝から晩まで鳴り止まない。
「はい、アシュトン運輸です! ええ、明日の朝には届きますわ!」
「トラックの増便? 分かりました、在庫を確認します!」
イザベラさんが魔道受話器を両手に持って、聖徳太子みたいに叫んでいる。
その横で、私はトラックドライバーたちの運行スケジュールを黒板に書き込んでいた。
「3番車、出発! 道が凍ってるかもしれないから、安全運転でね!」
「おうよ、アリアちゃん! 行ってくるぜ!」
活気。熱気。そして笑顔。
ドライバーのお兄さんが手を振って出て行く。
私は額の汗を拭いながら、その背中を見送った。
「すごいなぁ……。みんなが笑ってる」
ほんの数ヶ月前までは、ここはただの空き地だった。
でも今は、私たちが作った「道」が、誰かの夕食を、誰かの手紙を、誰かの笑顔を運んでいる。
破壊することしか知らなかった私が、こんな風に「繋ぐ」手伝いができるなんて。
こんな毎日が来るなんて、夢にも思わなかった。
「ローズマリーさん……私たちがやったこと、間違ってなかったんですね」
◇
そんな充実感とは裏腹に、2階の増築されたプレハブの社長室の空気は、鉛のように重かった。
ローズマリーさんは、山積みの帳簿を前に、美しい眉間に深い深い皺を刻んでいた。
目の下にクマができている。
肌も荒れ始めている。
見ていて辛い。
「……計算が合いませんね」
「どういうことだ!社長!? こんなに売れてんのに!」
ガンテツ姉さんが油まみれの手で机を叩く。
「工場はフル稼働だ! 車は飛ぶように売れてる! なのに、なんで新しい旋盤を買う金がねえんだ!?」
「『黒字倒産』の一歩手前だからですよ」
ローズマリーさんは冷徹に告げた。
その声には、隠しきれない疲労が滲んでいる。
車は売れている。
運送依頼も来ている。
でも、代金が回収できるのは「数ヶ月後」。
対して、材料費やガソリン代、従業員の給料は「今」払わなければならない。
入ってくる水より、出ていく水の方が多い。
溺れかけている状態だ。
さらに、あの女。
ベアトリス。
彼女が押さえた「通行税」が、アシュトンの利益の3割を問答無用で吸い上げている。
まさに生かさず殺さず。真綿で首を絞めるような搾取。
「……規模が大きくなりすぎました。個人のポケットマネーで回せる限界を超えています」
ローズマリーさんは窓の外、遠くに聳え立つベアトリス商会の本社ビルを見上げた。
悔しそうだ。
あの女帝は、この状況を予見して笑っているに違いない。
『ほら、お金がないなら私の傘下に入りなさい』と。
私は黙って、冷めかけたコーヒーを温かいものに取り替えた。
私にできるのは、これくらいしかない。
数字のことは分からない。
でも、ご主人様が一人で戦っていることだけは痛いほど分かる。
◇
その夜。
ローズマリーさんは気分転換にと、私を連れて工場の屋上に上がった。
眼下には、眠らない物流センターの明かりと、ハイウェイを走るトラックのヘッドライトが、光の川のように流れている。
「綺麗ですね、アリア」
「うん。……地上の星空みたいです」
この光の一つ一つが、私たちの成果だ。
ローズマリーさんは、夜風に銀髪をなびかせながら言った。
「アリア。……私は、もっと大きな『力』を手に入れます」
「力? 新しい魔法ですか? それとも新型エンジン?」
「いいえ。……『資本』という魔法です」
ローズマリーさんは、懐から一枚の紙を取り出した。
それは、ただの紙切れではない。
彼女が描く、さらに巨大な未来の地図だ。
「工場を拡張し、ベアトリスに搾取されないだけの体力をつけ、さらに帝国の技術に対抗するためには……今の100倍の資金が必要です」
「ひゃ、100倍!? そんなお金、どこにあるんですか!? ドラゴンの巣でも襲撃しますか? それなら私、今すぐ準備しますけど!」
「違います。……あそこです」
ローズマリーさんは、煌めく夜景を指差した。
「この国に住む、すべての人々の財布の中です」
「みんなの……」
「そうです。その資金を得るために、アシュトン・モーターズを『株式会社』にします」
ローズマリーさんの瞳に、消えかけていた野心の炎が、再び激しく宿る。
ああ、この目だ。
私が惚れた、世界を喰らう捕食者の目。
「私たちの夢を、技術を、未来を……『株券』という形に変えて、市場で売るのです。……一人のパトロンに頼るのではなく、何万人もの市民を味方につける」
私は首を傾げた。
カブ? 野菜? いや、違う。
「よく分かんないけど……それって、みんながアシュトンの『仲間』になるってことですか?」
「……フフッ。ええ、そういうことにしておきましょう」
ローズマリーさんは私の肩を抱き寄せた。
その体温が、夜風で冷えた体に心地いい。
「ですが、そこは戦場です。剣や魔法ではなく、欲望と裏切りが支配する『金融』の海。……ベアトリスが最も得意とする土俵です」
彼女の声が低くなる。
上場すれば、ベアトリスは必ず仕掛けてくる。
私には殴れない敵だ。
守れるだろうか。
私の筋肉は、そこでも役に立つのだろうか。
「それでも、行きますか? ご主人様」
私は真っ直ぐに彼女を見つめた。
ローズマリーさんは微笑み、私の銀髪を愛おしそうに撫でた。
「当然です。……私の辞書に『現状維持』という言葉はありません。行きましょう、アリア。次のステージは……証券取引所です」
その言葉を聞いて、私はニカっと笑った。
戦場がどこだろうと、敵が誰だろうと関係ない。
ご主人様が行くなら、私も行く。
貴女が数字と戦うなら、私はその背中を物理的に守るだけだ。




