第64.5話 「ハイウェイ・ワルツ。赤き蠍と銀の駄犬」
【同日午後:アシュトン・ハイウェイ・第一区間】
紅白のテープが風に舞い、万雷の拍手が背後に遠ざかる。
私の目の前には、地平線まで続く灰色の絨毯――ローズマリーちゃんが作り上げたアシュトン・ハイウェイが広がっていた。
「……ふふっ。いい景色ね」
私は、愛車レッド・スコーピオンの革張りシートに深く沈み込み、アクセルペダルをヒールで踏み抜いた。
ゴオオオォォォォォッ!!
最高級の赤色魔導石を惜しげもなく燃焼させた12気筒エンジンが咆哮を上げる。
全身をシートに押し付けられる加速G。
それは、退屈な社交界のダンスなどより、よほど私の血を滾らせるリズムだ。
だが、私の視線の先には、常に「彼女」がいた。
数百メートル前方。
陽炎のように揺らぐ舗装路の上を、一台の漆黒の流星が疾走していた。
これまでの武骨なモデルAではない。
より低く、より流麗なフォルムに進化した新型車。
「……また進化したのね、ローズマリーちゃん」
私はハンドルを握り締めながら、口元を歪めた。
この数ヶ月、私は彼女を徹底的に叩き潰そうとした。
物流を止め、素材を枯渇させ、道を塞ぎ、大衆を扇動した。
普通の人間なら、とっくに心が折れて、私の足元に縋り付いていただろう。
でも、彼女はどう?
物流がないなら郵便網を作り、道がないなら山を砕き、人が離れればカレーと演説で心を取り戻した。
叩けば叩くほど、彼女は強く、美しく、そして硬くなっていく。
「あぁ……たまらないわ。貴女こそ、私が生涯をかけて飼い慣らす価値のある宝石よ」
私はシフトレバーを叩き込み、魔力供給バルブを全開にした。
レッド・スコーピオンが悲鳴のような加速音を上げる。
資金に糸目をつけない暴力的な出力で、天才の技術に食らいつく。
距離が縮まる。
モデルAのリアウィンドウ越しに、運転席と助手席のシルエットが見えた。
ローズマリーちゃんが助手席で優雅に脚を組んでいる。
そして、ハンドルを握っているのは――あの忌々しい銀髪の秘書、アリアちゃんだ。
「……チッ。目障りな犬ね」
私の胸に、どす黒い嫉妬の炎が渦巻く。
あのアリアちゃんとかいう小娘。
ただ力が強いだけの、無教養で、品のない雑種。
ローズマリーちゃんの高尚な思考を理解できるはずもない、ただの「手足」。
なのに。
なぜ、貴女はそんなに楽しそうに笑っているの?
ローズマリーちゃん。
なぜ、泥だらけになったあの犬の手を、愛おしそうに握るの?
「その席は……本来、私が座るべき場所なのに」
隣で彼女の夢を支え、共に覇道を歩むパートナー。
金も、権力も、教養も、私の方が持っている。
私なら、もっと効率的に、もっとスマートに、貴女を世界一の女王にしてあげられるのに。
「……悔しいけれど、認めてあげるわ。今はその犬の方が、貴女の役に立つようね」
アリアの運転は、野性的だが正確無比だった。
ローズマリーの計算したラインを、ミリ単位のズレもなくトレースしている。
あの二人は、二人で一つの生命体なのだ。
それが、どうしようもなく腹立たしく、そして羨ましい。
◇
キィィィィン……!!
風切り音が消えた。
時速200キロの世界。
景色が溶け、私とローズマリーの車だけが、止まった時間の中を滑っていく。
並んだ。
サイドバイサイド。
窓越しに、ローズマリーと目が合う。
彼女は、驚いた顔もせず、ただ静かに微笑み、口パクでこう言った。
『……遅いですよ、ベアトリス』
私の背筋に、ゾクゾクするような電流が走る。
挑発。
侮蔑。
そして信頼。
彼女は分かっているのだ。
私が必ず追いかけてくることを。
私が、彼女の影を踏む唯一の存在であることを。
「……生意気な口を! 一生、私の背中を見させてあげるわ!」
私は叫び、さらにアクセルを踏み込む。
だが、モデルAも同時に加速する。
レッド・スコーピオンの魔力エンジンが唸り、モデルAの空力ボディが風を裂く。
抜かせない。
離されない。
まるでダンスだ。
死と隣り合わせのワルツ。
ボディから伝わる風圧の振動が、ローズマリーちゃんの心臓の鼓動のように感じられる。
あぁ……満たされる……!
商売の駆け引きも、社交界の腹の探り合いも、すべて忘れられる瞬間。
今、世界には私と彼女しかいない。
邪魔な犬が運転していても関係ない。
彼女の魂は、今、私と競い合っている。
◇
ハイウエイを往復し、やがて、前方に王都のゲート――私が買い占めた料金所が見えてきた。
終着点だ。
二台の車は、ほぼ同時に減速し、並んで停止した。
タイヤから白煙が上がり、焼けたゴムとオイルの匂いが漂う。
ローズマリーちゃんが窓を開けた。
涼しい顔だ。
私も窓を開け、乱れた髪をかき上げた。
「……いい走りだったわよ、ローズマリーちゃん。私の赤い蠍についてこれるなんてね」
「ベアトリスこそ。……その無駄に豪華な車体で、よく私の『モデルA』に追いつけましたね。燃費が悪そうですが」
「ふん。金ならいくらでもあるわ」
私たちは睨み合い、そして同時に小さく笑った。
物理的な戦争、インフラ整備は終わった。
でも、ここからが本番。
私は、ダッシュボードに入れてある「アシュトン・モーターズ」の調査資料を取り出し、指で弾いた。
「楽しかったわ、お遊びは。……でも、ここから先は『大人の時間』よ」
私は、ローズマリーちゃんの隣で唸り声を上げているアリアちゃんを一瞥し、冷ややかに告げた。
「筋肉と根性だけで勝てると思わないことね。……また、遊びましょう。ローズマリーちゃん。アリアちゃん」
アリアちゃんのような野良犬には理解できない、高度な頭脳戦。
そこなら、私はローズマリーちゃんと対等に……いや、彼女を完全に支配できる。
「精々、私の財布を太らせて頂戴。……愛しているわ、私の宿敵」
私は、ローズマリーちゃんに向けて投げキッスを送り、レッド・スコーピオンを王都へと滑り込ませた。
バックミラーに映る二人の姿が小さくなる。
さあ、次はどう料理してあげようかしら。
私の胸は、満ち足りた高揚感と、次なる加虐への期待で震えていた。




