第64話 「開通式。テープカットは誰のため」
【翌日正午:アシュトン・ハイウェイ・王都側始点ゲート】
抜けるような青空の下、真新しい道が、地平線の彼方まで一直線に伸びていた。
王国の歴史を変える大動脈、「アシュトン・ハイウェイ」。
その始点となるゲート前には、数千人の市民と、王都中の貴族、そして新聞記者たちが詰めかけていた。
見て。よく見て。
この道は、私たちが作ったんだ。
泥を啜り、岩を砕き、嵐の中で命を張って守り抜いた結晶。
私の胸は、誇らしさで張り裂けそうだった。
高らかなファンファーレが鳴り響く。
壇上には、主賓であるアルベルト王子と、工事の総責任者であるローズマリーさんが並んで立っていた。
「……ローズマリー嬢。君は本当に、この国の景色を変えてしまったね」
王子が眩しそうにハイウェイを見つめる。
ローズマリーさんは、昨夜の車内での情事の乱れなど微塵も見せない、完璧な「社長」の笑みを浮かべていた。
凛とした立ち姿。
白磁のような肌。
昨日の夜、あんなに熱く乱れていたのが嘘みたいだ。
「光栄です、殿下。……ですが、これはまだ『血管』を繋いだに過ぎません。これからこの道に、人とお金という『血液』が流れるのです」
私は正装した秘書官の姿で、彼女の背後で控えている。
ピシッとプレスされたスーツ。
先日の泥だらけの私とは別人みたいだ。
でも、この服の下には、ご主人様につけてもらった無数の愛の証が隠されている。
誰にも見えない場所で、私は彼女に所有されている。
それを思うだけで、背筋がゾクゾクする。
私は今、世界で一番幸せな「共犯者」だ。
◇
式典は最高潮に達し、いよいよメインイベントである「テープカット」が行われようとした
その時だった。
カッ、カッ、カッ、カッ……。
不穏な足音が、歓声を切り裂いた。
群衆が波のように割れる。
そこに現れたのは、晴れの日にふさわしくない、喪服のような漆黒のドレスを纏った女帝。
十数人の黒服を引き連れた、ベアトリス・ヴァン・ルージュだった。
私の鼻が、危険な獣の臭いを捉える。
またあの女だ。
私たちの邪魔ばかりする、あの女狐だ。
「……あら。私を呼ばずにパーティーだなんて、水臭いじゃない? ローズマリーちゃん」
空気が凍りつく。
イザベラさんが慌てて前に出た。
「ベ、ベアトリス様! 招待状のない方の立ち入りは……」
「招待状? 必要ないわ」
ベアトリスは優雅に扇子を開き、イザベラさんを一瞥もしなかった。
彼女の視線は、壇上のローズマリーさんだけに釘付けになっている。
蛇のような、ねっとりとした執着に満ちた目。
「だって私は、この道の『オーナーの一人』になる予定だもの」
ベアトリスは壇上に上がり、ローズマリーさんの隣に並んだ。
そして、部下の弁護士に合図を送る。
弁護士が広げたのは、一枚の古地図と、王国の法典だった。
「ローズマリーちゃん。貴女、素晴らしい道を作ったわね。……でも、詰めが甘いわ」
ベアトリスが地図の一点を指差す。
それは、ハイウェイと王都の大通りが接続する、わずか数メートルの土地だった。
「この接続部分の土地……『かつての王都防衛壁の跡地』なんだけど、昨夜のうちに私が買い占めさせてもらったわ」
「……!」
ローズマリーさんの眉がピクリと動く。
私も息を呑んだ。
道路そのものではなく、「出入口」を押さえられたのだ。
玄関を塞がれた家と同じだ。
「つまり、このハイウェイを使う車はすべて、私の土地を通らなきゃ王都に入れない。……分かるわよね?」
ベアトリスは、ローズマリーさんの耳元で甘く、毒々しく囁いた。
「通行料の徴収権は、私が頂くわ。……貴女が苦労して作った道の利益、半分は私のものよ」
会場がざわめく。
汚い。
私たちが命がけで作った道を、嵐の中で守り抜いた橋を、金と書類だけで横取りするなんて!
ガンテツ姉さんがスパナを握りしめて殴りかかろうとする。
私も拳を握りしめた。爪が食い込んで血が出そうだ。
今すぐあの女を壇上から蹴り落としてやりたい。
でも、ローズマリーさんがそれを制した。
その背中が語っている。「待ちなさい、駄犬」と。
ローズマリーさんは、怒らなかった。
むしろ、その口元には冷ややかな笑みが浮かんでいた。
その顔を見て、私の怒りもスッと引いていった。
ああ、ご主人様は……楽しんでいるんだ。
「……なるほど。私が作った料理(道路)を食べるために、貴女は皿(出口)を用意したわけですか」
「ええ。貴女一人で儲けるなんて許さないわ。……一生、私と『二人三脚』で借金を返してもらうわよ?」
ベアトリスの目は本気だった。
それは金の問題ではない。
「ローズマリーさんを自由にはさせない」「私と関わり続けさせる」という、歪んだ愛の首輪なのだ。
ローズマリーさんは、マイクのスイッチを切り、ベアトリスにだけ聞こえる声で答えた。
「いいでしょう。……その挑戦、受けて立ちます。ただし、通行料の管理手数料は高くつきますよ?」
「望むところよ」
ローズマリーさんは、係員から渡された金のハサミを二つに分解した。
そして、その片刃をベアトリスに渡した。
「殿下、申し訳ありません。……テープカットは、この『強欲な出資者』と一緒に行います」
アルベルト王子が苦笑いして下がる。
壇上には、白のスーツを着たローズマリーさんと、黒のドレスを着たベアトリス。
光と闇。
美しい。
憎らしいほど絵になる二人だ。
私が入り込めない、高次元の戦い。
……少しだけ、ジェラシー。
でも、私は誰よりも近くでそれを見守る特等席にいる。
「いくわよ、ローズマリーちゃん」
「遅れないでくださいね、ベアトリス」
パチンッ。
紅白のテープが切られた。
それは、ハイウェイの開通であると同時に、アシュトン家とベアトリス商会による、泥沼の「共同経営」の始まりを告げる音だった。
◇
「「「わぁぁぁぁぁッ!!」」」
事情を知らない群衆から、割れんばかりの拍手が送られる。
その喧騒の中、私は複雑な顔でローズマリーさんを見つめていた。
ローズマリーさん……。悔しくないのかな?
利益を半分も持っていかれて、計画を狂わされて。
でも、ローズマリーさんの横顔は、昨夜の情事の時と同じくらい、ゾクゾクするような興奮を帯びていた。
「……さあ、アリア。車を回しなさい」
式典を終えたローズマリーさんが、私に命じた。
その声は、戦場に向かう将軍のように勇ましい。
「一番乗りは私たちです。……ベアトリスの検問所を、最高速度でぶち抜いてやりますよ」
「イエス、マム!」
私はニカっと笑い、モデルA・カスタムのエンジンを吹かせた。
キュルルル……ズドォォォォォンッ!!
モデルAの重低音が、空気を震わせる。
アクセルを踏み込む足に力が入る。
ベアトリスもまた、自身のレッド・スコーピオンに乗り込み、不敵に笑っている。
「逃さないわよ、ローズマリーちゃん。……地獄の果てまで追いかけてあげる」
キィィィィィン……ヴォォォォンッ!!
スコーピオンの甲高いエキゾースト音が、鼓膜を刺激する。
ハイウェイに、新たな戦いの火蓋が切って落とされた。
でも、その戦いは、どこか楽しげなレースの色を帯びていた。




