第63話 「開通前夜。星空のドライブイン」
【開通式前夜:王都式典会場】
お祭り騒ぎ、という言葉すら生ぬるい。
明日に控えた「アシュトン・ハイウェイ全線開通式典」の準備で、現場は戦場のような喧騒に包まれていた。
「おい、式典用の垂れ幕が歪んでるぞ! やり直しだ! 角度は完璧に水平にしろ!」
「ガンテツさん、来賓用の椅子の数が足りませんわ! 最低数は確保しないと、役人たちがうるさいんですの!」
「うるせえ! 足りなきゃパイプ椅子でも並べとけ! 座れりゃ一緒だ!」
ガンテツ姉さんとイザベラさんが、怒号を飛ばし合いながら走り回っている。
みんな目が血走っている。無理もない。
ここ数ヶ月、泥と汗と血にまみれて戦ってきた集大成が、明日なのだから。
私も走り回って手伝わなきゃ。
秘書として、最後まで完璧に――。
そんな思いを巡らせていると、背中をトントンと叩かれた。
振り返ると、そこにいたのはご主人様だった。
彼女はいつもの完璧なスーツ姿ではなく、ラフな革のジャケットを羽織っていた。
「アリア。出かけますよ」
「ローズマリーさん!?今からですか!?どちらに?」
「ハイウェイの終点まで」
「…!……あの、それって完全に職場放棄ですよね? ガンテツ姉さんにバレたらレンチ投げられますよ?」
「人聞きの悪い。……最終安全確認ですよ」
私たちはそんなカオスな現場から、こっそりと抜け出した。
ローズマリーさんが、いたずらを見つけた子供のように笑って、車に乗り込み、キーを回した。
その笑顔を見た瞬間、私の真面目な義務感なんて消し飛んだ。
ご主人様が用意していたのは、いつも使っているモデルAではない。
ピカピカに磨き上げられ、夜闇の中で黒曜石のように輝く、ローズマリーさん専用の「モデルA・カスタム」。
「……アリア。乗りなさい」
助手席のドアが開かれ、ローズマリーさんが声をかけた。
ドキリとした。
月の光を浴びて、黒髪がサラリと流れる。
うわ……。なんですかその仕草。
カッコよすぎて反則です。
仕事モードの冷徹な社長も好きだけど、この「不良」っぽいご主人様もたまらない!
私の心臓が、エンジンよりも先に高鳴り始めた。
「え、本当にいいんですか?みんな忙しくしてるのに……」
「忙しいからこそです。さあ……私たちが作った道に、最初の足跡を刻みに行きますよ。……二人きりでね」
二人きり。
その甘い響きに、断れるはずがなかった。
地獄の果てでも、天国の入り口でも、ご主人様が行くならどこへでも。
◇
ハイウェイのゲートを抜けると、そこには別世界が広がっていた。
月明かりに照らされた、どこまでも続く真新しいアスファルトの道。
轍も、泥も、石ころ一つない。
鏡のように滑らかな黒い帯。
それが、地平線の彼方まで一直線に伸びている。
「す、すごい……! 本当に繋がってる……!」
助手席の私は、窓に張り付いて声を上げた。
ここも、あそこも、全部私たちが歩いた場所だ。
魔物を殴り飛ばし、岩を砕き、みんなで泥水を飲んで、笑い合った場所。
あの日々が、一本の「道」になっている。
胸が熱い。涙が出そうだ。
「飛ばしますよ。……舌を噛まないように」
ローズマリーさんが不敵に笑い、アクセルを踏み込んだ。
ブォォォォォンッ……!!
背中がシートに押し付けられる加速感。
王都の石畳のガタガタ道とは違う。
振動がほとんどない。
まるで氷の上を滑るように、風になっていく感覚。
流れる景色が線になり、夜風が二人の髪を撫でる。
「ひゃっはー! 最高! ローズマリーさん、もっと踏んで!」
「フフッ。……良い音でしょう? これが『文明』の音です」
ローズマリーさんは満足げにハンドルを握る。
その横顔は、自信に満ち溢れている。
ベアトリスの妨害も、土木ギルドの頑固さも、あの大嵐の日も。
全てをこのスピードの中に置き去りにしていく。
私たちは今、誰よりも速い!
世界が私たちの後ろに流れていく!
王都からあの大河ルビコンに架かる橋まで。
通常なら馬車で3日かかる距離を、私たちは風のように駆け抜けた。
◇
二人は、街道で最も見晴らしの良い峠の頂上で車を停めた。
エンジンを切ると、世界は完全な静寂に包まれた。
キーン、という耳鳴りが心地よい。
聞こえるのは、虫の声と、風の音だけ。
車を降りると、頭上には降るような満天の星空が広がっていた。
街の灯りがない場所だからこその、圧倒的な星の数。
天の川が、まるで完成したハイウェイのように夜空を横切っている。
「わぁ……。綺麗……」
私は空を見上げて溜息をついた。
ローズマリーさんはボンネットに腰掛け、持参した魔法瓶から熱いコーヒーを二つ注いだ。
「……乾杯しましょう。私たちの勝利に」
「はい! 乾杯!」
星空の下、湯気の立つコーヒーでカップを合わせる。
苦くて温かい液体が、疲れた体に染み渡る。
世界で一番美味しいコーヒーだ。
「……ねえ、ご主人様」
私は、ローズマリーさんの隣に座り、そっと肩を寄せた。
その体温を感じるだけで、心が溶けていく。
「私たち、本当にやっちゃいましたね。国中の景色、変えちゃった」
「ええ。……この道は、王国の地図を書き換える『世界の切り取り線』です。明日から、人の流れも、金の流れも、全てが変わります」
ローズマリーさんは、眼下に広がる闇を見つめた。そこに点在する小さな村々の灯り。
この道は、あの小さな灯りを世界と繋げるのだ。
「……ここまで来れたのは、貴女のおかげですよ、アリア」
ローズマリーさんが、ぽつりと呟いた。
普段は決して言わない、素直な言葉。
驚いて顔を見ると、彼女は優しい瞳で私を見ていた。
「あの嵐の日。……貴女が橋を支えていなければ、全ては水泡に帰していました。私の計算を超えた、貴女の野性が、この道を守ったのです」
「そんな……私はただ、ご主人様の夢を守りたかっただけで……」
ローズマリーさんは、私の手を取った。
その手には、まだあの日の泥仕事でついた細かい傷や、マメが残っていた。
ゴツゴツして、可愛くない手。
恥ずかしくて隠そうとしたけれど、彼女は強く握って離さない。
「……勲章ですね」
ローズマリーさんは、その傷跡にそっと口づけを落とした。
熱い。
唇の感触が、指先から全身に電流のように走る。
愛おしむように、崇めるように。
「ご主人様……///」
顔が沸騰しそうだ。
こんなの、ズルい。
夜風が冷たくなってきた。
でも、私の体は芯から熱いままだ。
「……中に入りましょう。風邪を引きます」
◇
二人は車内に戻り、シートを倒して体を横たえた。
狭い車内。
密室。
互いの体温と、微かなエンジンのオイルの匂い。
それが、妙に心地よく、情熱を刺激する。
ローズマリーさんは、私の上に覆いかぶさった。
窓の外には星空。
だが、ローズマリーさんのルージュの瞳には、星よりも輝く獣が映っていた。
食べられる。
この瞳に見つめられると、私はどうにかなってしまいそうだ。
「……知っていますか、アリア。この道には、まだ名前がないのです」
ローズマリーさんの指が、私のシャツのボタンを一つずつ外していく。
冷たい指先が肌に触れるたび、私は小さく震えた。
「『アシュトン・ハイウェイ』なんて堅苦しい名前は、対外的なものです。……私と駄犬の間では、別の名前で呼びましょう」
「別の名前……?」
「ええ」
ローズマリーさんは、私の首筋に顔を埋め、甘噛みしながら囁いた。
「……『銀狼の散歩道』。貴女が切り拓き、貴女が守った道ですから」
「んっ……ぁ……! ご主人様、それ……恥ずかしい……」
恥ずかしい。
でも、嬉しい。
世界中の誰も知らない、二人だけの秘密の名前。
「フフッ。……さあ、夜はまだ長いです。開通式の前に、たっぷり愛でてあげますよ。私の可愛い銀狼」
その言葉と共に、深い口づけが落ちてくる。
私は彼女の背中に腕を回し、しがみついた。
世界を変える道路も、歴史的な偉業も、今はどうでもいい。
ただ、この人の愛があれば。この人の腕の中にいられれば。
星空の下、完成したばかりのハイウェイの片隅で、車体が小さく揺れる。
それは、世界を変える大仕事を成し遂げた二人だけに許された、密やかで熱い祝福の時間だった。
もっと。もっと私に刻み込んで。
私がご主人様のものであることを。
ご主人様が私のものであることを。




