第62話 「橋を架けろ。嵐の中の決断」
※アリアは特別な訓練(調教)を受けています。
雨の日に川に入るなどの危険な行為は絶対にやめましょう。
【数日後:アシュトン・ハイウェイ建設現場】
ゴゴゴゴゴゴゴ……!!
世界が、暴力的な轟音に塗り潰されていた。
天が裂けたかのような豪雨が、建設現場を無慈悲に叩きつけている。
王国の南北を分断する大河「ルビコン」。
普段は穏やかなこの川が、上流での記録的な集中豪雨により、狂暴な茶色の竜となって牙を剥いていた。
「ダメだ! 水位が上がりすぎる! 土嚢が足りねえ!」
カッパを着たガンテツ姉さんが、濁流に向かって叫ぶ声も、雨音にかき消されそうだ。
目の前には、完成間近の「アシュトン大橋」の橋脚が、激流に耐えようと悲鳴を上げている。
キリキリと軋む鉄骨。
削り取られていくコンクリート。
この橋が流されれば、街道計画は数ヶ月の遅れとなり、巨額の違約金でアシュトン・モーターズは資金ショートする。
つまり、ご主人様の夢がここで終わるということだ。
「親方! 3番橋脚が傾いてます! 流木が直撃したぞ!」
「ワイヤーが切れそうだ!」
作業員たちが必死に補強しようとしているけれど、自然の暴力は人間の抵抗をあざ笑うかのように増していく。
巨大な流木が、杭打ち機のように橋脚に激突し続けているのだ。
そこへ、泥はねを上げて一台のモデルAが突っ込んできた。
まだ車体が止まりきらないうちに、扉が開く。
飛び降りてきたのは、ローズマリーさんだ。
「状況は!?」
ローズマリーさんは、高級なスーツが雨と泥で汚れるのも構わず、岸辺へと走った。
傘なんてさしていない。
ずぶ濡れの黒髪が頬に張り付いている。
「最悪だ社長! あと10分も持たねえ! 橋を放棄して退避するしか……」
ガンテツ姉さんが苦渋の決断を口にしかけた、その時だった。
バキィィィッ!!
心臓が止まるような嫌な音が響いた。
最も負荷のかかっていた中央の橋脚が、根元から折れかけたのだ。
橋がグラリと傾く。未来が崩れ落ちていく。
「しまっ……! 崩れるぞぉぉぉッ!!」
全員が絶望に顔を覆った。
ローズマリーさんの瞳から、光が消えかけるのが見えた。
その絶望の色を見た瞬間、私の思考は弾け飛んだ。
――させない。
絶対に、ご主人様にそんな顔はさせない。
貴女が絶望するくらいなら、私が物理法則ごとねじ伏せてやる!
考えるよりも先に、私の身体は動いていた。
ザパァァァンッ!!
私は、魔力を漲らせ、濁流の中へとダイブした。
冷たい。
痛い。
重い。
泥水が目鼻に押し寄せてくる。死の感触だ。
「アリア!?」
岸から聞こえるローズマリーさんの悲鳴。
ごめんなさい、ご主人様。
でも、私は貴女の「剣」で「盾」だから。
私は激流に逆らって泳ぎ、傾いた橋脚の根元へとたどり着いた。
そして、折れかけた太い支柱と基部の間に身体を潜り込ませ、自身の背中で受け止めた。
「ぐぅぅぅぅッ……!!」
歯を食いしばる。奥歯が欠けそうだ。
背中には数トンの橋の重量。
正面からは猛烈な水圧と、次々とぶつかってくる流木。
まさにプレス機の中に生身で放り込まれたような状態だ。
骨が軋む。
筋肉が断裂する音が聞こえる。
でも、耐える。
私の身体なんて、いくら壊れたっていい。
でも、この橋は、ご主人様の夢は、一つしかないんだ!
「バカな!? アリアのやつ、自分の体を楔にしやがった!?」
ガンテツ姉さんが叫ぶのが聞こえる。
私は、首まで水に浸かりながら、岸に向かって叫んだ。
「ローズマリーさん……! まだ……まだいけます! 私が支えてる間に……早く魔法で補強を!」
「アリア、戻りなさい! 死にますよ!」
「イヤだ! 死にません!」
私は叫び返した。
「この橋は……みんなの夢なんでしょ!? ローズマリーさんが作った未来なんでしょ!? ここを通って、たくさんの笑顔が生まれるんでしょ!? なら……絶対に……流させないッ!」
私の瞳が銀色に輝く。
闘気を全開にする。
水を弾き、衝撃を殺す。
でも、限界は近い。
上流から、家一軒分ほどもある巨大な流木が、私に向かって流れてくるのが見えた。
あ、あれは止められないかも……。
死の予感が背筋を撫でた。
でも、ご主人様の夢を守れるなら、ここで死ぬのも悪くない。
その時だった。
視界の端で、信じられない光景が見えた。
ローズマリーさんが、杖を抜き、自らも泥水の中へ踏み込んできたのだ。
「社長!?」
「ご主人様、来ちゃダメ……! 危ないですよ!」
「黙りなさい! 駄犬が体を張っているのに、飼い主がただ見ているわけないでしょう!」
ローズマリーさんは、濁流の岸辺ギリギリに立ち、杖を私に向けた。
そのルージュの瞳は、嵐よりも激しく燃えていた。
「イザベラ! 全魔力を私に回しなさい! ガンテツ! ありったけのワイヤーを持ってきなさい!」
「は、はいっ! コネクト!」
「おうよ!」
イザベラさんが背後からローズマリーさんに抱きつき、魔力を供給する。
ローズマリーさんの杖から、青白い光の鎖が放たれた。
「――構造固定・最大出力!!」
魔法の鎖が私と橋脚に巻き付き、その場に縫い止める。
支えができた!
でも、川の力は凄まじい。
私を支えようとする反動で、ローズマリーさんのブーツが泥にめり込み、ずるずると川へ引きずり込まれていく。
真っ白なワイシャツに泥が跳ね、顔にかかる。
「くっ……重い……! これが自然の力ですか……!」
「社長! 流されますよ! 離して! 私は大丈夫だから……!」
「離しません! 貴女を守るためなら、泥だろうが油だろうが被ってやります!」
ローズマリーさんが叫んだ。
雨音を切り裂く、魂の叫び。
「踏ん張りなさいアリア! 私が後ろにいる限り、貴女は絶対に流されない! 私が貴女を離すものですか!」
涙が出そうになった。
いや、もう泣いていた。
私の命を、この橋と同じくらい――いいえ、それ以上に大事だと言ってくれている。
ああ、やっぱり私は、この人のためなら何だってできる。
この腕がちぎれたって、絶対に離さない!
その光景が、呆然としていた労働者たちの魂に火をつけたようだ。
あの高慢な社長が、泥水に浸かって秘書を支えている。
俺たちが、見てるだけでいいのか?
そんな空気が爆発した。
「……ふざけんな! 女二人にカッコつけさせてたまるか!」
一人の職人が飛び出した。
彼はローズマリーさんの腰に巻かれた命綱を掴み、全力で引いた。
「引けぇぇぇッ! 社長を川に落とすな!」
「橋を守れぇぇぇッ!」
一人、また一人。
数百人の労働者たちが、泥まみれになってロープを掴む。
私を支えるローズマリーさんを、全員で支える。
数百人の命が、一つの線で繋がった。
「うぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
男たちの咆哮が、雷鳴をかき消した。
背中にかかっていた重みが、フッと軽くなった気がした。
物理的な重さは変わらないはずなのに、心が羽が生えたように軽い。
ガンテツ姉さんが指揮を執る。
「今だ! 予備の杭を打て! アリアの負担を減らせ!」
嵐の中、必死の工事が再開された。
私は、背中に感じる冷たい水圧よりも、心に繋がった「絆」の温かさに震えていた。
重くない。
痛くない。
みんなが支えてくれている。ご主人様が繋がっていてくれる。
これなら、朝までだって耐えられる!
◇
数時間後。
嘘のように雨が上がり、雲間から朝日が差し込んだ。
水位の下がった川には、無傷とは言えないが、堂々と立つ「アシュトン大橋」の姿があった。
勝った。
私たちは嵐に勝ったんだ。
岸辺に引き上げられた私は、泥だらけで大の字になっていた。
指一本動かせない。
でも、生きてる。
「~ッ! 生きてるぅ~!」
「本当に無茶ばかりをする駄犬ですね」
その横に、同じく泥だらけのローズマリーさんがへたり込む。
高級スーツは見る影もなくドロドロで、髪もボサボサだ。
でも、今まで見た中で一番美しいと思った。
私たちは顔を見合わせ、プッと吹き出した。
「酷い顔ですよ、ご主人様」
「駄犬こそ。……ドブネズミみたいです」
ローズマリーさんは、泥だらけの私の手を、自分の泥だらけの手で強く握りしめた。
冷え切ったその手を、自分の体温で温めるように。
「……よく耐えましたね。褒めてあげます」
「えへへ。……ボーナス、期待していいですか?」
「ええ。……新しいスーツと、あとで温かいお風呂を用意させます。私が背中を流してあげましょう」
「えっ!? ご主人様が!?」
背後では、ガンテツ姉さんやイザベラさん、労働者たちが肩を抱き合って歓声を上げている。
嵐を乗り越えた橋は、単なるインフラではなく、アシュトン建設の「結束の象徴」となって、朝日に輝いていた。
私は繋がれた手を握り返した。
ベアトリスの妨害も、自然の猛威も、もはや私たちを止めることはできない。
道は繋がった。
いよいよ、全線開通の時が迫る。
私たちの夢が、走り出す時だ。




