第61話 「泥沼のストライキ。ベアトリスの妨害工作」
【数日後の朝:アシュトン・ハイウェイ建設現場】
アシュトン・ハイウェイの難所工事が終わり、計画の半分以上が達成された。
サービスエリアも大いに賑わっている。
残すは、王国を外へと繋ぐ後半の区画のみ。
ご主人様の計画達成は間近だ。
そうなれば、物流が改善されて生活は豊かになり、ハイウェイの利用やクルマの売れ行きも伸びて、借金返済も夢ではない。
ふふふ、明るい未来が見える。
――そう誰もが思っていた。
しかし、その安堵は束の間だった。
ある朝、現場からいつもの心地よい喧騒が消えた。
……シーン。
大地を揺らす削岩機の轟音も、慌ただしく行き交うダンプの走行音も、職人たちの威勢の良い掛け声もない。
そこにあるのは、まるで墓場のような不気味な静寂と、肌を刺すような敵意だけだった。
建設中の橋脚の前には、資材を積み上げたバリケードが築かれ、数百人の労働者たちが座り込んでいた。
彼らが掲げるプラカードには、赤い塗料で殴り書きされた文字。
『賃上げを要求する!』
『危険手当をよこせ!』
『アシュトン独裁反対!』
……急にどうしたの?
私は胸が締め付けられるような思いで、その光景を見ていた。
昨日まで、「アリアちゃん、これ食うか?」って笑っておにぎりをくれたおじさんも、「いい道を作るぞ」って泥だらけで張り切っていたお兄さんも、みんな私たちを睨んでいる。
まるで、親の仇を見るような目で。
信じていた背中に、ナイフを突き立てられた気分だ。
「てめえら! 仕事の時間だぞ! 納期が遅れたらどうするつもりだ!」
ガンテツ姉さんが、鬼の形相でバリケードを蹴り上げている。
でも、誰も動かない。
動こうとしない。
「うるせえ! 俺たちは奴隷じゃねえんだ!」
「ベアトリス商会なら、今の倍の給料を出すって言ってるぞ!」
罵声が飛ぶ。
群衆の中心に、見慣れない男が一人いた。
作業着を着ているけれど、手は白くて豆一つない。
目は油断ならない光を放っている。
あいつから、腐った臭いがする。
「皆さん、騙されてはいけません! この女社長は、あなた方を使い捨ての駒としか思っていない!」
男が拡声器で叫ぶ。
「魔物の出る山で働かされ、泥にまみれ……その対価がこれですか? アシュトンは儲けているのに、あなた方には還元されていない!」
「そうだそうだ!」
「俺たちの命は安いもんじゃねえ!」
不満の炎が燃え広がる。
違う。
ローズマリーさんはそんな人じゃない!
彼女は誰よりも現場を愛している。
私が叫ぼうとした時、イザベラさんが法律全書を盾に進み出た。
「待ってください! 労働契約法に基づけば、予告なしのストライキは違法ですわ! 損害賠償を請求することになりますわよ!」
「法律だと!? 貧乏人を紙切れで脅す気か!」
ビュンッ!
群衆から石が投げられた。
イザベラさんの顔面へ飛来する礫。
危ない!
パシッ。
私は反射的に手を伸ばし、その石を素手で掴み取った。
掌の中で、石が粉々に砕ける。
怒りで震えそうになるのを必死で抑え、私は悲しそうな目で労働者たちを見渡した。
「……危ないよ」
私の声は低く、震えていた。
怒りよりも、悲しみが勝っていた。
「みんな、どうしちゃったの? 昨日まで一緒に笑ってご飯食べてたじゃないですか……。石を投げる相手は、魔物でしょ? 仲間じゃないでしょ?」
「うっ……アリアちゃん……」
現場で共に汗を流し、時には私の「人間重機」っぷりを笑ってくれた仲間たちが、動揺して視線を逸らす。
彼らだって、本心じゃないはずだ。
でも、男がすかさず叫んだ。
「騙されるな! その女もグルだ! その怪力で脅してくるぞ! 我々は暴力には屈しない!」
空気が凍りつく。
今にも暴動が起きそうな一触即発の事態。
私が前に出れば出るほど、彼らは頑なになる。
言葉が通じない。
どうすればいいの?
「……下がりなさい。言葉も、力も、今は逆効果です」
凛とした声が響いた。
ローズマリーさんが、静かに私とイザベラさんを下がらせる。
その横顔には、焦りも怒りもない。
ただ、静かな決意だけがあった。
「じゃあどうすんだよ社長! このままじゃ現場が腐っちまう!」
ガンテツ姉さんが叫ぶ。
ローズマリーさんは、不敵に微笑むと、着ていたジャケットを脱ぎ捨て、真っ白なワイシャツの袖をまくり上げた。
「アリア。……『肉』を持ってきなさい。あと一番大きい寸胴鍋も」
「えっ? 肉……ですか?」
「腹が減っては戦も、交渉もできません。……お昼にしましょう」
◇
現場の片隅に急遽設置された炊き出し用のテント。
ローズマリーさんは、自ら包丁を握り、大量の玉ねぎを刻み始めた。
その手つきは、魔法の演算のように正確で、恐ろしく速い。
トトトトトッ! と心地よいリズムが響く。
「ローズマリーさん、本当に料理するんですか……?」
「食材を美味しくする魔法も得意ですよ」
私は言われた通り、先日狩ったばかりの「ロック・イーター」と「クイーン・ワイバーン」の肉を倉庫から引っ張り出してきた。
岩みたいに硬い肉だけど、実は霜降りで美味しいのだ。
「投入します!」
豪快に肉を鍋に放り込む。
そこへ、ローズマリーさんが調合した数十種類のスパイスと、隠し味の「微量の回復ポーション」が加えられる。
まるで錬金術だ。
グツグツグツ……。
やがて、殺伐とした現場に、暴力的なまでに芳醇な香りが漂い始めた。
スパイスの刺激と、肉の甘い脂の匂い。
それは、怒りで凝り固まった労働者たちの胃袋を直撃する「戦略兵器」だった。
本能に訴えかける匂いだ。
「な、なんだこの匂いは……」
「ぐぅ……(腹の音)」
あちこちで、腹の虫が鳴き始める。
扇動する男が焦って叫ぶ。
「無視しろ! これは罠だ! 毒が入ってるかもしれんぞ!」
だが、ローズマリーさんは鍋の蓋を開け、黄金色に輝くカレーをおたまで一杯すくうと、一番近くにいた強面の職人に差し出した。
「毒見は私がしました。……食べなさい。冷めますよ」
職人はゴクリと喉を鳴らし、震える手で皿を受け取った。
一口食べる。
その瞬間、彼の目から涙がボロボロと溢れ出した。
「う……美味ぇ……!」
口の中でほろほろに崩れる肉。
疲れ切った体に染み渡るスパイスと魔力。
それは、空腹を満たすだけでなく、荒んだ心を溶かす「お袋の味」の究極系だった。
「なんだこれ、力が湧いてくる……!」
「俺にもくれ!」
「こっちもだ!」
一人が食べ始めると、堰を切ったように全員が列を作った。
私は笑顔でカレーをよそい、イザベラさんが水を配る。
殺気立っていたバリケードは、いつの間にか青空食堂のテーブルに変わっていた。
◇
全員がカレーを平らげ、満足げなため息をついている頃。
ローズマリーさんは資材の上に立ち、静かに語りかけた。
「……ベアトリス商会は、今の倍の給料を出すと言いましたね」
現場が静まり返る。
「それは魅力的な提案です。行きたい者は行きなさい。止めはしません」
労働者たちが顔を見合わせる。
ローズマリーさんは続けた。
その声は優しく、けれど芯が通っていた。
「彼女は、貴方たちの『時間』を金で買うでしょう。……ですが、私は貴方たちの『歴史』を買いたいのです」
「歴史……?」
「この道を見てください。……泥にまみれ、魔物と戦い、岩を砕いて作ったこの道を。これは、貴方たちが生きた証です」
ローズマリーさんは、完成しかけた橋脚を指差した。
夕日に照らされた橋脚は、無骨だけど、神々しく輝いていた。
私たちが命がけで作ってきたものだ。
「100年後、貴方たちの孫がこの道を通った時、こう言えるでしょう。『この道は、俺の爺さんが作ったんだ』と。……ベアトリスの金で、その誇りが買えますか?」
ローズマリーさんは最後に、青ざめた扇動する男を見据えた。
「もちろん、生活は大事です。……今回のプロジェクトが成功した暁には、全員に特別ボーナスを配布することを約束します。……私と一緒に、夢を見ませんか?」
ウォーォォォォォッ!!
現場が歓声に包まれた。
「一生ついて行きます社長!」
「俺たちの道を作るぞ!」
「おかわり下さーい!」
◇
「ば、馬鹿な……金よりプライドだと……?」
孤立した扇動する男は、後ずさりした。
誰も彼の言葉になど耳を貸さない。
私は、空になった巨大な寸胴鍋を片手で持ち、ニッコリ笑って扇動する男の前に立った。
「……おじさん。これ、残り物の汁だけど食べる?」
「ひぃっ! け、結構だ!」
扇動する男は尻尾を巻いて逃げ出した。
ベアトリスの工作は、一杯のカレーと、ご主人様の言葉によって完全に粉砕されたのだ。
◇
ストライキは終わり、現場には再び心地よい槌音が戻った。
ガンテツ姉さんが、少し気まずそうに頭を掻きながらローズマリーさんに近づいた。
「……悪かったな社長。アタシの指導不足だ」
「いいえ。雨降って地固まる、です。……それに、久しぶりに料理が出来て息抜きになりました」
ローズマリーさんは、洗い物をする私の背中を見つめた。
その瞳は冷静さを取り戻している。
「ですが、ベアトリスも焦っている証拠です」
「へっ、どんとこいだ。……今のあいつらなら、嵐が来ても止まらねえよ」
結束を固めたアシュトン建設。
この人と仲間がいれば、どんな嵐だって乗り越えられる。




