第57話 「道なき道を行け。インフラ整備競争」
【数日後:王都郊外・街道】
ザァァァァァッ!!
叩きつけるような豪雨が、視界を白く染め上げる。
その泥濘にはまった一台の「モデルA」が、悲鳴のようなエンジン音を上げて立ち往生していた。
運転していた商人が、頭を抱えて叫ぶ。
「畜生! またスタックした! せっかく車を買ったのに、これじゃ馬車より遅え!」
私は黄色いレインコートを着て、泥沼へと飛び込んだ。
あぁ、もう!
私たちが作った最高傑作が、泥だらけになって泣いてる!
冷たい泥水が膝まで浸かる。
靴の中にまで泥が入ってくる不快な感触。
でも、それ以上に悔しい。
ローズマリーさんが設計し、私たちが魂を込めて作った車が、こんな「環境」のせいでゴミ扱いされるなんて許せない。
「おじさん、ギアをローに入れて! 私が押すから!」
「お、おう! 頼む!」
私はバンパーに手を掛けた。
深呼吸。
ご主人様の名誉を守るためなら、馬力なんていくらでも湧いてくる。
「せぇのっ……ふんぬぅぅぅッ!!」
全身の筋肉が唸る。
ズズズッ、と重い音を立てて、泥の海から1トンの車体が押し出された。
タイヤが硬い地面を噛む。
「助かったよ、アシュトンさん! ……でもよぉ、こんな道じゃ商売あがったりだ」
商人は礼を言いながら、穴ぼこだらけの街道を指差して嘆いた。
王国の街道は、数百年前に馬車用に作られた石畳か、あるいは踏み固めただけの土の道だ。
雨が降れば沼になり、晴れれば土煙が舞う。
高速で走るゴムタイヤの車にとって、ここは地獄の悪路だった。
私は顔についた泥を拭い、深い溜息をついた。
「……はぁ。車は元気なのに。やっぱり地面がこれじゃあなあ」
せっかくいい車を作ったのに、この国はまだ泥遊びをしてる。
……もどかしい。
◇
【アシュトン・モーターズ:戦略会議】
その夜、ガレージの壁には巨大な王心地図が貼られていた。
ローズマリーさんは、地図上の主要街道に赤い×印をつけていく。
その横顔は険しい。
美しい眉間に、深いしわができている。
「東の街道は落石で通行止め。南は橋が崩落寸前。北は泥沼……。全滅ですわね」
イザベラさんが調査報告書を読み上げる。
彼女も今日は泥だらけの長靴を履いていた。
ノブレス・オブリージュを体現するイザベラさんが、だ。
「地権者との交渉も難航していますわ。……『車が通ると道が傷むから通行税をよこせ』と、各地の領主が検問を作っています」
車は売れた。
物流システムも作った。
なのに、また壁だ。
これでは、アシュトンの車はただの「高性能な役立たず」になってしまう。
ローズマリーさんは椅子に深く沈み込んだ。
その姿が小さく見える。
「……ハードウェア(車)の進化に、社会(OS)が追いついていない。典型的な技術革新のボトルネックです」
ガンテツ姉さんが、ウイスキーをあおりながら言った。
「国は何やってんだ? 道路の整備なんざ、お上の仕事だろうが」
「その『お上』が動かないのですよ」
ローズマリーさんは、一枚の書状をテーブルに叩きつけた。
差出人は『王立道路管理局』。
内容は『予算不足および環境保全のため、新規の道路舗装工事は却下する』。
「……裏にベアトリスがいますね」
またあの女か。
私は拳を握りしめた。
物流を止められなかったから、今度は地面ごと腐らせる気か。
悔しい。
私にできることなんて、泥だらけの車を押すことくらいしかないの?
ガレージの空気が重く淀む。
国も、既存のインフラも、全てが敵に回っているように思える。
「……詰みか?」
ガンテツ姉さんが呟く。
諦めの空気が漂った、その時。
ローズマリーさんが静かに立ち上がった。
その瞳から、迷いが消えていた。
あ、この目。
私が大好きな、世界に喧嘩を売る時の目だ。
「いいえ。……国がやらないなら、私たちがやります」
彼女は地図の真ん中に、ペンを突き刺した。
「『私たち』って……?」
「『プライベート・ハイウェイ』を作ります」
全員が絶句した。
時が止まったかと思った。
家の前の道を直すのではない。
王都から地方都市を結ぶ、何百キロという距離の道路を、一企業が作るというのだ。
「正気ですか社長!? 予算が国家レベルですわよ!?」
イザベラさんが悲鳴を上げる。
当然だ。
常識で考えれば狂ってる。
でも、ローズマリーさんの瞳は、狂気と理性が混ざったダイヤモンドのような光を放っていた。
「計算は済んでいます。作った道路の通行料で回収すれば、10年で黒字化します。……それに」
彼女は、まっすぐに私を見た。
「あの時のレースと同じです。『道がなければ作ればいい』。私たちならできる。そうでしょ?アリア?」
「えっ? あ、はい!」
「ベアトリスが道を塞ぐなら、私たちはその横に、より速く、より快適な『アシュトン・ロード』を通して、彼女の利権を時代遅れにしてやるのです」
あぁ、やっぱりご主人様は最高だ。
胸が熱くなる。
この人のためなら、私は世界の裏側までだって道を掘れる気がした。
◇
【アシュトン・モーターズガレージ】
「やるぞ! 土木工事だ!」
翌日から、アシュトン・モーターズは「アシュトン建設」の部門を設置した。
私はスーツを脱ぎ捨て、新品の作業着に袖を通した。
うん、悪くない。
むしろこっちの方が性に合ってる。
だが、工事を始めるには、専門家の協力が不可欠だ。
道路の舗装、橋の建設、トンネルの掘削。
これらは高度な技術を持つ「土木ギルド連合」の領域である。
私たちは、王都の土木ギルド本部――通称「鉄の砦」を訪れた。
ムッとするような汗と鉄と男の匂い。
そこは、筋骨隆々の男たちとドワーフたちが集う、男社会の頂点だった。
「……けっ! 帰んな、お嬢ちゃんたち!」
土木ギルドの奥で、ギルドの長である大親方、髭面のドワーフのイッテツが怒鳴り声を上げた。
「ここは油と泥の現場だ! ピカピカの靴を履いた貴族や、スカートの姉ちゃんが来ていい場所じゃねえ!」
ガンテツ姉さんが前に出る。
「おいジジイ! アタシだよ、ガンテツだ! 話くらい聞け!」
「ガンテツか……。お前も落ちぶれたもんだな。そんなチャラチャラした連中の下請けになり下がるとは!」
親方はテーブルを拳で叩き割った。
「俺たちはな、誇り高き土木屋だ! ベアトリス商会からは『伝統を守れ』って金をもらってる! お前らみたいなポッと出の『新しい道』なんざ、認めねえ!」
交渉決裂。
職人たちは、完全に心を閉ざしていた。
ベアトリスの金と、古い伝統への固執。
この二重の壁が彼らを縛っている。
ローズマリーさんが小さくため息をつこうとしたのが見えた。
待っててください、ご主人様。
……ここからは、私の領分です。
難しい交渉はイザベラさんに任せる。
賢い計算はローズマリーさんに任せる。
でも、こういう石頭たちに分からせるのは――「筋肉」の役目だ。
私は一歩前に出た。
ヘルメットの顎紐を締める。
「……親方さん。私たちは遊びで来たんじゃないです」
「あぁ? なんだその細腕は。ツルハシも持てねえくせに……」
「持てます」
私は、ギルドの入り口に飾ってあった「飾り用の巨大ハンマー」に手を掛けた。
鉄塊だ。
重さは優に200キロはあるだろう。
普通の人間なら持ち上げることすらできない、威厳を示すだけの象徴。
でも、私の「愛」に比べれば羽毛みたいに軽い。
「ふんッ!」
私は片手でそれを引き抜き、頭上で一回転させた。
ブンッ!
空気を切り裂く風圧が、親方の髭を揺らす。
ガヤガヤとしていた土木ギルドが、水を打ったように静まり返る。
男たちの目が点になっている。
「……口で言っても分からないなら、現場で勝負しましょう」
私はハンマーを肩に担ぎ、獰猛にニカっと笑った。
「私たちが、アンタたちより『いい仕事』をしたら……協力してくれますか?」
親方の目が、初めて私を「邪魔な小娘」ではなく「一人の職人」を見る目に変わった。
「……ほう。言うじゃねえか、小娘」
インフラ整備という名の戦争。
その第一関門は、頑固な職人たちとの「力比べ」から幕を開ける。
望むところだ。
岩だろうが常識だろうが、全部このハンマーで粉砕してやる!




