第6話 「初任務! 舞踏会デビューは波乱の予感」
舞踏会当日。
アシュトン公爵家の衣装部屋からは、絹が擦れる優雅な音とは裏腹に、断末魔のような悲鳴が漏れていた。
「ぎ、ぎブっ! ギブアップ! 死ぬ、肋骨が、折れちゃうぅぅぅ!」
「お黙りなさい。駄犬。あと五センチ締め上げます。息を吐いて!」
三面鏡の前で、私は柱にしがみつき、涙目で絶叫していた。
背後では、鬼の形相をしたローズマリーさんが、ドレスの下に着込むコルセットの紐を、親の仇のような力強さで引っ張っている。
ギリギリギリ、と私の骨格がきしむ音が部屋に響く。
私の身体って、こんな音が出る楽器だったっけ?
「どうしてぇ……こんな拷問するのぉ……」
「当然でしょう。本物のマリア様は、風が吹けば飛ぶような華奢な体型です。それに比べて貴女は……」
ローズマリーさんは手を止め、私の豊かな胸元と、引き締まったヒップラインを、まるで不良品を見るような冷ややかな目で見下ろした。
「最近の栄養状態の改善と、毎日の肉料理のせいで、発育が良すぎます。特にここ」
ペチン。
ローズマリーさんの指示棒が、私の胸を弾く。
たわん、と豊かな弾力がそれを押し返した。
「ひゃうっ!?」
「これでは『病弱な令嬢』ではなく『野蛮な肉食獣』です。胸元の肉をなるべく寄せて上げず、サラシで潰しなさい」
「そんな殺生な! 私の数少ないチャームポイントが!」
「チャームポイントなど不要です。必要なのは『病弱さ』のみ。さぁ、仕上げにもうひと絞り!」
私の肺活量は通常時の三割まで低下した。
顔色が青白くなり、脂汗が浮かぶ。
「うぅ……酸欠で、視界がチカチカする……」
「完璧です。その死にかけの顔色こそ、求めていた『深窓の令嬢』そのもの。これなら誰も疑いません」
ローズマリーさんは満足げに頷くと、私の銀髪にマリア様と同じ金髪の高品質なカツラを被せ、巧みな化粧を施した。
鏡の中に完成したのは、どこからどう見ても、儚げで美しい公爵令嬢マリア・アシュトンだった。
ただし、中身は酸欠で意識が飛びそうな貧乏バイト戦士だけど。
「いいですか、アリア。会場では絶対にボロを出さないこと。言葉は最小限に。『はい』『いいえ』『ごきげんよう』以外は喋らないでください。何かあれば私がフォローします」
侍女の格好をしたローズマリーさんが、耳元で釘を刺す。
私はコクコクと首を縦に振った。
喋ると酸素が足りなくて倒れそうだったからだ。
◇
王宮の大広間。
数千個のクリスタルが輝く巨大なシャンデリア、宮廷楽団が奏でる優雅なワルツ、そして最高級の衣装に身を包んだ貴族たちの喧騒。
私にとって、それはおとぎ話の世界そのものだった。
すっごい……! 床が大理石でピカピカ! 壁の装飾、あれ全部本物の金!?
キョロキョロと視線を彷徨わせる私の目が、一点に釘付けになった。
壁際に並べられたビュッフェテーブル。
山盛りのローストビーフ、宝石のようなテリーヌ、タワーのように積まれたマカロン。
にく……! あんなに沢山……!
私の口から涎が垂れそうになったその瞬間、背後に控えるローズマリーさんが、脇腹を扇子でツンと突いた。
「(アリア。視線が卑しいですよ。扇で口元を隠して)」
「(は、ひゃいっ!)」
私は慌てて扇を開き、顔の下半分を隠した。
危ないところだった。野生の本能が漏れ出ていた。
今日のミッションは「顔見せ」。
長年病気療養中だった公爵令嬢が、学園入学を機に社交界に復帰する。
そのアピールさえできれば、すぐに撤退していい手はずになっている。
周囲から、ひそひそとした囁き声が聞こえてくる。
「おい見ろ、あれがアシュトン家の娘か?」
「フン、成金の娘が。公爵家の名門でありながら、商人の真似事をして恥ずかしくないのか」
扇で口元を隠したご婦人や、ワイングラスを傾ける恰幅の良い貴族たちが、冷笑を浮かべている。
彼らは「保守派」。
土地と伝統を重んじ、公爵家が進める「魔導技術による工業化」を嫌う勢力だと、授業で習った(半分寝てたけど)。
「最近、アシュトン家は『鉄道』なる鉄の塊を走らせようとしているらしいぞ」
「馬鹿げている。馬車こそが貴族の足だ。そんな煤だらけの事業、我が国の美学に反する」
「それに、隣国の『ヴァン・ルージュ社』から資金を借りているという噂もある。国を売る気か」
うわぁ、めっちゃ悪口言われてる……。公爵家って、嫌われてるのかなぁ
私は隣に控えるローズマリーさんを盗み見た。
しかし、ローズマリーさんは涼しい顔で、小声で囁いた。
「(気にすることはありません、アリア。彼らは沈みゆく船にしがみつくフジツボのようなものです。いずれ公爵家が、彼らの既得権益ごと全て『更新』して差し上げますから)」
眼鏡の奥の瞳が、ゾクリとするほど冷たく光る。
私は思った。
このご主人様、敵に回したくないランキング世界一位だ。
「(それよりアリア、10時の方向。帝国の留学生たちがいます。彼らには近づかないように)」
視線を向けると、カッチリとした軍服のような制服を着た集団がいた。
彼らは王国の貴族たちとは異なり、鋭い眼光で会場を観察している。
その中の一人が、「株価」や「鉄鋼の輸出量」といった単語を口にしているのが聞こえた。
なんか、きな臭いなぁ……。舞踏会って、もっとキラキラした場所だと思ってたのに
貴族社会特有の湿った空気が、肌にまとわりつく。
しかし、私の現在の最大の敵は、コルセットによる呼吸困難だった。
苦しい……ドレスが破けそう……。みんなの視線より、酸欠の方が辛い……早く帰ってコルセット外してご飯食べたい……
私の我慢が限界を迎えそうになった、その時だった。
「――久しぶりだね、マリア嬢」
凛とした涼やかな声が、喧騒を切り裂いた。
人波が割れ、一人の青年が歩み寄ってくる。
太陽の光を紡いだような輝く金髪に、夏の空を切り取ったような蒼穹の瞳。
仕立ての良いロイヤルブルーの礼服を着こなす姿は、絵本から飛び出してきた「理想の王子様」そのものだった。
うわぁ、すっごいキラキラしてる人が来た……! 直視したら目が潰れそう
「(アルベルト殿下です。マリア様の婚約者。絶対に粗相のないように。挨拶を)」
ローズマリーさんの緊張した囁き指示が飛ぶ。
私は心臓が口から飛び出そうになるのを抑え、練習した淑女の礼を行った。
膝がガクガク震える。
「お、お初にお目にかかります……い、いえ、お久しぶりです、アルベルトでんか……ごきげんよう……?」
テンパりすぎて挨拶が全部混ざってしまった。
しかし、アルベルト王子は気にした風もなく、穏やかに微笑んだ。
「顔を上げて。……ふむ、噂には聞いていたが、本当に可憐だ。病はもう良いのかい?」
王子は自然な動作で私の手を取った。
挨拶の口づけをするために。
その瞬間、事件は起きた。
――ギュッ。
極度の緊張と、昨日の特訓の疲れ、そして酸欠による判断力の低下が重なり、私は無意識に、握られた王子の手を「握り返して」しまったのだ。
それも、「鉄喰い熊」の首をへし折る時の握力で。
「――っ!?」
王子の完璧な笑顔が一瞬、苦悶に歪んだ。
ミチィ、と骨が軋む嫌な音が、二人の間だけで響く。
やばっ!? く、癖で力入れすぎた!
私は慌ててパッと手を離した。王子の美しい手に、くっきりと私の手形が残っている。
冷や汗が滝のように流れる。終わった。 不敬罪だ。打ち首だ。
背後からは、ローズマリーさんの「あとで殺します」という絶対零度の気配が突き刺さってくる。
しかし、王子の反応は予想外だった。
彼は痛むはずの手をさすりながら、驚いたように目を見開き、そして楽しそうに口元を緩めたのだ。
「……ははっ。随分と、力強い握手だね。病床に伏せっていたとは到底思えないほどに」
「あ、あはは……えっと、その、リハビリを! リハビリをすごく頑張りまして! 握力を鍛えるのが健康に良いと医者が……!」
私はしどろもどろに言い訳をした。
王子はその様子を見て、さらに深く笑みを浮かべた。
「面白い。深窓の令嬢と聞いていたが、意外と骨のある女性らしい。僕は、ただ守られるだけの弱い人間は退屈でね。……君とは、学園でいい関係が築けそうだ」
王子は意味深な視線を残し、優雅に一礼して去っていった。
な、なんか気に入られた? セーフ? これセーフだよね!?
私が魂が抜けたように胸を撫で下ろした直後。
会場の入口付近で、全ての空気を凍らせるような轟音が響いた。
ガシャァァァン!!!
「キャァァァッ!」
「魔獣だ!」
「はぐれ魔獣が入り込んだぞ!」
悲鳴と共に、テラスの巨大な窓ガラスを突き破って侵入してきたのは、全身が刃物のような剛毛に覆われた、凶暴な「翼狼」だった。
本来、結界に守られているはずの王宮に現れるはずのない存在。
会場はパニックに陥った。
護衛の騎士たちが慌てて剣を抜くが、翼狼は素早く天井近くを飛び回り、狙いを定められない。
そして、翼狼は巨大なシャンデリアの上に着地した。
その衝撃で、シャンデリアを支える鎖が一本、また一本と悲鳴を上げて千切れていく。
その真下にいたのは――逃げ遅れて転んでしまった、幼い貴族の少女だった。
「危ない!」
「誰か、あの子を!」
誰もが凍りついた。騎士たちも間に合わない。
ブチンッ!
最後の鎖が切れた。
数トンの重量があるクリスタルと鉄の塊が、少女の頭上へと落下を始める。
死の影が少女を覆う。
――思考する時間はなかった。
バッ!
私は邪魔なドレスの裾を両手でたくし上げ、全力で地を蹴った。
高級なハイヒールの踵が、大理石の床を砕いて弾け飛ぶ。
人間離れした加速。
周囲の景色がスローモーションになる。
間に合え、間に合え、間に合えぇぇぇっ!
少女を突き飛ばす時間はない。
ならば、やることは一つ。
私は少女の前に滑り込み、落下してくるシャンデリアを見上げた。
体中の魔力回路が熱く脈打つ。
ローズマリーさんに「調整」されたおかげで、かつてないほどの魔力が淀みなく拳に集中していく。
「ふんっ!!」
私は裂帛の気合と共に、落下してくる巨大な質量へ向けて、渾身の「掌底」を打ち込んだ。
ドォォォォォォン!!
大砲が炸裂したような衝撃音が広間に轟く。
私の一撃は、シャンデリアの落下エネルギーを完全に相殺し、さらにその運動エネルギーを逆流させた。
数千個のクリスタルが、一斉に弾け飛ぶ。
バラバラバラバラ……!
会場に降り注ぐ、美しくも残酷なガラスの雨。
その中心で、私は拳を突き上げた姿勢のまま立ち尽くしていた。
ドレスの肩紐は筋肉の膨張に耐えきれず弾け飛び、カツラは少しずれて銀髪が少し覗いているが、私自身は無傷だった。
足元の少女は、腰を抜かして私を見上げている。
よかった、無事だ。
「……え?」
会場中の視線が、シャンデリアを素手で粉砕した「病弱令嬢」に集中する。
保守派の貴族たちも、帝国の留学生たちも、口をあんぐりと開けている。
や、やっちゃった……! これ絶対アウトだ! クビだ! 違約金だ!
私が真っ青になって震え始めた時。
背後からスッと人影が寄り添い、私の露出した肩に素早くショールをかけた。
ローズマリーさんだ。
彼女は私を抱き寄せ、崩れ落ちたドレスを隠しながら、会場中に響き渡る声で叫んだ。
「ああっ! マリア様! まさか、お父様から持たされた『護身用の超高性能魔道具のプロトタイプ』が暴走するなんて……! お身体は大丈夫でございますか!?」
「……へ?」
「(話を合わせなさい! 今すぐ気絶して!)」
ローズマリーさんに脇腹の肉をつねられ、私はハッと我に返った。
「あ、あぁ〜……そ、そうですわ! ポケットに入れていた魔道具が、勝手にドカンと……! あぁ、ショックでめまいが……貧血が……」
私はわざとらしくよろめき、ローズマリーさんの腕の中へ倒れ込んだ。
「最新の魔導技術……あれほどの威力があるのか」
「アシュトン家、恐るべし……」
保守派の貴族たちが青ざめ、ざわめき始める。
結果として、私の「物理」は、アシュトン家の技術力を誇示するパフォーマンス(誤解)として機能してしまったのだ。
「大変! マリア様がショックで気絶されました! すぐに屋敷へお運びします! 道を空けてください!」
ローズマリーさんは見事な連携(と強引すぎる演技)で、私を抱きかかえ、混乱する騎士たちを押しのけて風のように会場を去っていった。
後に残されたのは、呆然とする貴族たちと、粉々になったシャンデリアの残骸だけだった。
◇
帰りの馬車の中。
私はコルセットを外された開放感も忘れ、床に正座をさせられていた。
「申し開きはありますか?」
ローズマリーさんの声は静かだった。それが逆に怖い。
「……ありません。身体が勝手に動いちゃって。……クビ、ですよね?」
私はうなだれた。
短い夢だった。
また明日から鉄喰い熊を殴る日々が始まるのだ。
「はぁ……」
ローズマリーさんは深いため息をついた。
しかし、いつものように怒鳴ることはなかった。
彼女は私の前にしゃがみこみ、その顔を覗き込んだ。
「……あの状況で子供を見捨てていれば、私は貴女を軽蔑していました。貴女のその、後先考えない正義感。人命救助の点においてのみ、褒めてあげます」
「えっ! じゃあ、お仕置きは無し?」
私がパァッと顔を輝かせた瞬間。
「いいえ。王子の手を握り潰そうとした不敬罪と、王家の財産であるシャンデリアを破壊した器物損壊罪、そしてドレスをダメにした件は別です」
ローズマリーさんはニッコリと、ゾクリとするほど美しい、悪魔的な微笑みを浮かべた。
「今夜は長くなりますよ? せっかく私が調整した魔力をあんな風に暴発させたのですから……その責任は、身体で取ってもらいます」
「ひぃぃぃ! やっぱりぃぃぃ!」
夜の王都を走る馬車に、私の情けない悲鳴が吸い込まれていった。
アシュトン公爵邸の夜は、まだ終わらない。
次回予告: 波乱のデビューを終え、いよいよ王立学園での生活がスタート。 しかし、「シャンデリア・クラッシャー」という謎すぎる二つ名が瞬く間に広まり、アリアは入学初日から注目の的。 そんな中、アリアに因縁をつけてくる高飛車な取り巻き令嬢たちが現れる。 「貴女のような『油と鉄の臭いがする家』の娘が、アルベルト殿下の婚約者だなんて認められません」 売られた喧嘩は買うべきか、スルーすべきか? ローズマリーの指令は「目立つな」だが……?
次回、「襲撃者現る! でも私の方が強いので問題ありません」。




