第56話 「アシュトン・モーターズセールスVSベアトリス連合商会ギルド」
【数日後:アシュトン・モーターズ(スラム工場)】
ガラン……。
活気に満ちていたはずの工場は、墓場のように静まり返っていた。
ガンテツ姉さんが、空っぽの部品箱を蹴り飛ばす音が、虚しく響く。
「ふざけやがって! ボルトの一本も入ってこねえぞ!」
注文は殺到している。
なのに、車を作るための鉄も、ゴムも、魔導石も、工場には届いていなかった。
それだけではない。
「ローズマリーさん……大変です!」
私は営業先から息を切らして戻り、ローズマリーさんに報告した。
悔し涙が滲みそうになるのを、必死でこらえる。
「お店に置いてもらっていたカタログが、全部撤去されてます! 『アシュトンに関わると、ベアトリス商会から商品が卸してもらえなくなる』って……どのお店もガタガタ震えてて……」
物流封鎖。
王都の経済を牛耳るベアトリス商会が、その影響力をフル動員し、「アシュトン村八分」を令状したのだ。
材料は入らず、商品は店に並ばない。
血管を止められたも同然だ。息ができない。
卑怯だ。
あの女、正面から勝てないからって、こんな陰湿な真似を……!
みんなの頑張りが、理不尽な力で踏みにじられていく。
殴り込みに行きたい。
あの高層ビルの最上階まで駆け上がって、あの女の澄ました顔を……!
そこへ、一台の豪華な馬車が工場に乗り付けた。
降りてきたのは、ベアトリスの腹心である商会長代理の男。
ニヤニヤと卑しい笑みを浮かべ、ローズマリーさんに書類を差し出した。
「ローズマリー様。ベアトリス様からの『救済案』です」
その書類にはこう書かれていた。
『アシュトン・モーターズの全株式をベアトリス商会へ譲渡すること。見返りに、物流ルートの使用を許可する』
「……なるほど。兵糧攻めで降伏を迫るわけですか」
「賢明なご判断を。このままでは、貴女の可愛い車たちは一台も作れず、一台も客の元へ届きませんよ?」
男が嘲笑う。
私は全身の毛が逆立つような怒りを感じた。
私たちの努力を、汗を、夢を、金で買い叩こうとしている。
殴りたい。
その歪んだ鼻をへし折ってやりたい。
でも、私が動けばご主人様の迷惑になる。
私は震える拳を太ももに押し付け、じっと耐えた。
だが、ローズマリーさんは優雅に微笑むと――書類をその場で破り捨て、紙吹雪のように宙に舞わせた。
「お帰りください。……ベアトリスに伝えて。『古い血管が詰まっているなら、バイパス手術をするだけよ』と」
……っ!
かっこいい……!
その凛とした横顔を見た瞬間、私の胸のモヤモヤが吹き飛んだ。
そうだ、この人は屈しない。
どんなに追い詰められても、私の主人は絶対に膝をつかない。
◇
【郵便局】
私たちが次に向かったのは、王都の片隅にある古びた建物――「王立郵便局」だった。
かつては手紙を運ぶ飛脚ランナーで賑わっていたらしいが、今は通信魔道具の普及で閑古鳥が鳴いている。
局長の老人が、カウンターで居眠りをしていた。
「……ん? なんだいお嬢ちゃんたち。手紙ならそこのポストへ……」
「いいえ、局長。ご相談があるのです」
ローズマリーさんは、カウンターに「金貨の袋」ではなく、「一枚の地図」を広げた。
その目は、戦場を見据える指揮官の目だ。
「貴局は、王国の法律によって『信書と小荷物』を全国津々浦々まで届ける義務と権利を持っていますね?」
「ああ、そうだが……。予算は削られる一方で、馬も足りん。配達員の人員も削減されたよ」
「では、私たちが『足』を提供しましょう」
ローズマリーさんは指を鳴らした。
その合図をもとに私は、一台の車を入口の前に乗り付ける。
それはいつもの銀色ではない。
ローズマリーさんの命令で、私が徹夜で塗装した、鮮やかな「赤色」の特注のモデルAバンだ。
「これは?」
「郵便局専用モデルです。荷台を拡張し、悪路でも走れます。……これを無償で貸与します」
「む、無償で!?」
「ええ。その代わり、貴局のネットワークを使って、私の『手紙』を全国に届けてください」
ローズマリーさんが差し出したのは、分厚い冊子。
表紙には、私がモデルAの横でぎこちなく微笑む写真。
タイトルは『月刊アシュトン・ライフ(通販カタログ)』。
うう……やっぱりこの写真、恥ずかしい……。
でも、ご主人様が「看板娘」だと言ってくれたから……!
このカタログは、郵便局のネットワークに乗って王国中に行き渡る。
お店がダメなら、直接お客さんの家まで届けちゃえばいい。
郵便局は、国の機関。
民間企業のベアトリス商会でも、ここには手が出せない。
ローズマリーさんの作戦はこうだ。
ベアトリスが支配しているのは「商店」と「大口物流」だ。
ならば、店を通さず、客に直接商品を売ればいい。
血管が詰まっているなら、毛細血管を使えばいいのだ。
◇
数日後。
王都だけでなく、地方の村々にまで、赤い車に乗った郵便配達員たちが現れた。
私も運転指導員として、同行した。
「郵便でーす! アシュトン新聞も一緒にお届けしまーす!」
娯楽の少ない地方の民にとって、きらびやかな写真が載ったカタログは、それだけで極上のエンターテインメントだった。
村人たちが目を輝かせて集まってくる。
「なんだこれは? 『週末は家族でドライブ』?」
「素敵な服!」
「この車、手紙で注文できるのか!?」
「部品も郵送してくれるのか!」
注文用紙が、郵便局を通じて大量に返送されてくる。
部品の供給も、地方の小さな鍛冶屋たちと直接「郵便小包」でやり取りすることで、ベアトリスの大口封鎖をすり抜けた。
楽しい……!
私はハンドルを握りながら、風を感じた。
王都の冷たい視線とは違う。
ここには、純粋な好奇心と、感謝がある。
「ありがとう」
「助かるよ」。
そんな言葉をもらうたびに、胸が温かくなる。
私たちのビジネスは、こうして誰かの役に立てるんだ。
◇
もちろん、ベアトリスも黙ってはいない。
王都の関所で、ベアトリス商会の息のかかった衛兵たちが、赤いバンを止めた。
「止まれ! 商会規定により、許可なき商業物資の通行は禁止だ!」
荷台には、アシュトン製の車の部品とカタログが満載されている。
運転席の私は舌打ちしたくなった。
またか。
力づくで突破してもいいけど、それじゃご主人様が困る。
運転席の私は、わざとらしく困った顔を作ってみせた。
ふふん、来ると思ってましたよ。
助手席から降りてきたのは、法律全書を盾のように構えたイザベラさんだった。
瞳が、キラーンと光る。
「……公務執行妨害で告発しますよ?」
「な、なんだと!?」
「この車は『王立郵便局』の車両であり、積載物は『郵便物』です。……郵便法第5条、『何人たりとも郵便の配送を妨げてはならない』。これは国王陛下が定めた権利ですわ!」
イザベラさんが印籠のように「郵便マーク」の入った許可証を突きつける。
衛兵たちはぐうの音も出ない。
郵便物は聖域。
たとえ中身が車の部品だろうが、切手が貼ってあればそれは「手紙」なのだ。
「ぐぬぬ……と、通せ!」
ゲートが開く。
私はイザベラさんとハイタッチをして、アクセルを踏み込んだ。
「やったねイザベラさん! 法律最強!」
「ふふん! 法の抜け穴……いえ、正当な権利行使です! ざまあみあそばせですわ!」
助手席で高笑いするイザベラさんを見て、私は思った。
この人も大概、アシュトン家の空気に染まってきたな、と。
◇
一方、アシュトン・モーターズ。
通販の成功で注文は捌けたが、新たなクレームが殺到していた。
「ローズマリーさん! お客様から苦情です!」
私は電報を受け取った。
その内容は、切実なものばかりだった。
「『せっかく車を買ったのに、道が悪すぎてタイヤがパンクした』
『隣町まで行こうとしたらガス欠して、スタンドがない』……」
せっかく買ったのに、走れないなんて……。
ローズマリーさんは、王国の地図を広げた。
そこには、馬車時代の古い街道しか描かれていない。
穴だらけで、細くて、曲がりくねった道。
「……やはり、そうなりますか。車が進化しても、道が追いついていない」
ローズマリーさんは立ち上がり、なぜかヘルメットを持った。
え、まさか。
「道がないなら、作るまでです。……アシュトン道路公団を設立します」
「えっ!? 道路工事もやるんですか!?」
「ええ。……ですが、その前に『土木ギルド』の頑固親父たちを説得しなければなりません。……アリア、ツルハシを持ちなさい。今度は力仕事ですよ」
私は自分の腕を見つめた。
ツルハシ……!
ふふ、やっと私の出番ってわけですね!
難しい交渉や計算は分からないけれど、力仕事ことなら、誰にも負けない。
ご主人様が進む道は、私が物理的にこじ開けてみせる。
道を作れば、もっと遠くへ行ける。
もっと多くの人に、この車を届けられる。
ご主人様が見ている景色を、私も一緒に見たい。
「イエス、マム! 岩盤だろうが利権だろうが、私が砕いてみせます!」
商流の戦いを制した私たちの前に、物理的な「国土」の壁が立ちはだかる。
でも大丈夫。
今の私たちなら、どんな壁だって壊せる気がする。




