第55話 「アシュトン・モーターズセールス。売れない車と、分割払いの魔法」
【数日後:アシュトン・モーターズ(スラム工場)】
「……おい、どうなってんだ社長! 一台も売れねえぞ!」
ガンテツ姉さんの怒号が、ガランとした工場に響き渡った。
拡張したばかりのガレージには、量産されたばかりの「モデルA」が20台、主を待つ忠犬のように整列している。
けれど、誰も迎えに来ない。
銀色のボディにうっすらと埃が積もっていくのを見るたび、胸が締め付けられる。
レースでの勝利から数日。
あの熱狂が嘘のように、注文はゼロ。
文字通りのゼロだ。
ローズマリーさんは、在庫の山を前にして、美しい眉間に深い皺を寄せていた。
その顔を見ているのが辛い。
あんなに頑張ったのに。
徹夜で設計図を引いて、泥だらけになって、レースで勝ったのに。
「……おかしいですね。性能は証明したはずなのに」
「性能以前の問題ですわ……」
イザベラさんが、街で集めてきたチラシをテーブルに広げた。
毒々しい赤文字で、こんな文言が躍っている。
『魔導車は爆発する!』
『 悪魔の乗り物!』
『馬を捨てるな! 職を奪う鉄屑を許すな!』
私は唇を噛み締めた。
ベアトリス。
また、あの女……!
正々堂々と勝負して負けた癖に、こんな汚い真似をして。
ご主人様を侮辱する奴は、私が全員ぶっ飛ばしてやりたい。
でも、暴力じゃこの「悪評」は消せない。
「ベアトリス商会のネガティブキャンペーンですね。……それに、市民の反応も冷ややかです」
私はしょんぼりと報告した。
街頭で一生懸命ビラを配ったけれど、みんな幽霊を見るような目で避けていくのだ。
悔しい。
私たちの発明を「悪魔」だなんて。
「『馬なしで動くなんて気味が悪い』とか、『早すぎて危ない』って……逃げられちゃいました」
早すぎる技術は、大衆にとって魔法ではなく、恐怖の対象でしかない。
さらに、もっと切実な壁があった。
言いづらいけど、でも事実を伝えた。
「それに……値段が高いって言われます。金貨50枚なんて、庶民は気軽に払えません」
モデルAは車としては破格の安さだが、それでも3年分の生活費に近い。
「恐怖」と「価格」。
この二重の壁が、私たちの前に立ちはだかっていた。
私の腕力なら壁なんて砕けるけれど、この壁はどうやって壊せばいいのか分からない。
無力感が募る。
「……なるほど。良いモノを作れば売れるというのは、幻想でしたか」
ローズマリーさんは眼鏡の位置を直した。
一瞬、落ち込んだように見えた。
けれど次の瞬間、そのルージュの瞳に、冷徹で、ゾクゾクするような鋭い光が宿った。
あ、この顔。
ご主人様が、「とびっきり悪いこと」を思いついた時の顔だ。
「ならば、売り方を変えましょう。……アリア、イザベラ。出かけますよ」
「え? どこへ?」
「市場です。……そこで『魔法』を使います」
◇
【青空市場】
王都の青空市場。
野菜や日用品を運ぶ馬車が行き交う、庶民の生活の場だ。
活気と怒号、そして馬の排泄物の匂いが充満している。
私たちは、そこに一台のモデルAを持ち込んだ。
銀色の車体が、朝日でギラギラと輝いている。
ターゲットは、大量の野菜を荷台に積み、汗だくになっている中年商人。
彼の馬車を引く老馬は、重さに耐えかねて膝を折っていた。
「くそっ、動けよ! 夕市に間に合わなくなるだろ!」
おじさんが鞭を振るう。
かわいそうに、馬は泡を吹いて動かない。
そこへ、私が颯爽と現れた。
「おじさん! 困ってるみたいですね?」
「あぁ? なんだ嬢ちゃん。……って、うわっ! 例の『馬なし車』か!? あっち行け! 爆発されたらたまらねえ!」
商人が怯えて後ずさる。
ムッとする。
爆発なんてしないよ。
すかさず、ローズマリーさんが進み出た。
その態度は、どこまでも優雅で、慈悲深い女神のようだ。
「爆発などしません。……論より証拠。その荷物、私たちが運びましょうか?」
「はぁ? タダでか?」
「ええ。もし遅れたら、荷物を全額買い取ります。……その代わり、間に合ったら話を聞いてください」
半信半疑の商人を助手席に乗せ、荷台に野菜を満載して、モデルAは走り出した。
ハンドルを握るのは私だ。
「しっかり捕まっててね、おじさん!」
ブルルンッ……!!
車が滑らかに発進する。
商人が悲鳴を上げる。
「うわぁぁっ! 馬がいねえのに動いたぁぁ!?」
だが、その恐怖はすぐに驚きへと変わった。
石畳のガタガタ道。
普段なら荷崩れを気にして徐行する場所を、モデルAはスイスイと進んでいく。
ガンテツ姉さん自慢のサスペンションが、ゆりかごのように衝撃を吸収しているのだ。
「す、すげえ……! 卵一つ割れねえぞ! それに、なんて速さだ!」
市場までの道のり、普段なら1時間かかるところを、わずか10分で到着してしまった。
商人は興奮して車から降りた。
「こいつはすげえ! これなら隣町まで一日に3往復できる! 馬の餌代もいらねえ!」
商人の目が輝く。
恐怖よりも、利益の匂いを嗅ぎつけたのだ。
商人の本能ってやつだ。
おじさんはモデルAのボディを愛おしそうに撫でた。
そうでしょ? いい子でしょ、この車。もっと褒めて!
私は自分の子供が褒められたみたいに誇らしかった。
「気に入った! ……で、いくらなんだ?」
「金貨50枚です」
ローズマリーさんが告げると、商人の顔色がサッと青ざめた。
「ご、50枚!? 無理だ無理だ! 俺の全財産叩いても5枚もねえよ!」
商人は首を振り、去ろうとした。
やっぱりダメか。
庶民には高嶺の花なのだ。
どんなに便利でも、買えなきゃ意味がない。
私は唇を噛んだ。
だが、ローズマリーさんは逃がさない。
むしろ、ここからが「狩り」の本番だった。
「……では、金貨『1枚』ならどうですか?」
商人が足を止めた。
私も耳を疑った。
え? 1枚?
ローズマリーさん、安売りしすぎじゃ!?
「は? 1枚?」
「ええ。今日は手付金として金貨1枚だけ頂ければ、この車は貴方のものです」
ローズマリーさんは、イザベラさんに合図をした。
イザベラさんが、分厚い契約書と計算機を取り出す。
「残りの49枚は、これから毎月、金貨1枚ずつ払って頂ければ結構です。……5年かけてゆっくりと」
「そ、そんな美味い話があるのか!? 後で法外な利子を取るんじゃ……」
「利子は年利5%。……これを見てください」
イザベラさんが素早く計算し、将来の収支表を見せる。
「この車を使えば、貴方の売上は3倍になります。そこから毎月1枚払っても、手元に残る利益は今の倍以上ですわ」
商人の脳内でソロバンが弾かれる音が聞こえるようだった。
私は計算なんてできないけれど、雰囲気でわかった。
今のなけなしの金で、未来の巨万の富を買う権利。
それを「借金」とは呼ばない。
「投資」と呼ぶのだ。
「……か、買う! 買ったぁ! 契約書だ! サインはどこだ!」
商人が震える手でサインをする。
記念すべき、最初の一台が売れた瞬間だった。
これが、ローズマリーさんの言っていた「魔法」。
剣も魔法も使わずに、ただの「紙切れ」と「言葉」だけで、不可能を可能にしてしまった。
◇
モデルAを購入した商人の成功は、瞬く間に市場中に広まった。
「1枚で買えるらしいぞ!」
「馬より稼げるぞ!」
噂を聞きつけた商人たちが、アシュトンのブースに殺到する。
「俺にも売ってくれ!」
「こっちは配送に使いたい!」
「ローンだ! その魔法の契約書をくれ!」
てんてこ舞いになるイザベラさん。
試乗運転で走り回る私。
そして、その中心で涼しい顔をして現金を数えるローズマリーさん。
その姿は、まるでオーケストラの指揮者のようだった。
人々の欲望と希望を操り、新しい時代の音楽を奏でている。
すごい……。
やっぱり、ご主人様は世界一だ。
私はハンドルを握りながら、バックミラー越しに彼女を見た。
あの華奢な背中が、王様よりも大きく見える。
この人は、本当に世界を変えてしまうんだ。
誇らしい。
この人の「共犯者」でいられることが、たまらなく嬉しい。
その様子を、遠くから見つめる影があった。
ベアトリスの部下だ。
彼は青ざめた顔で通信機に向かって叫んでいた。
「ほ、報告します! アシュトンが……『金融』に手を出しました! 市民が借金をして車を買っています! 止められません!」
ふふふ。
私たちの勢いは、もう誰にも止められない。
◇
【夜:工場】
その日の夜。
20台の在庫は完売し、さらに50台の予約が入った。
空っぽになったガレージで、ガンテツ姉さんが涙を流して喜んでいる。
「売れた……! アタシたちの車が、みんなの手に渡ったんだな!」
「ええ。……ですが、これは始まりに過ぎません」
ローズマリーさんは、山積みになった契約書を見つめ、不敵に笑った。
その笑顔は、勝利した将軍のように美しく、残酷だ。
「モノを売る時代は終わりました。……これからは、『信用』を売る時代です」
難しい理屈はわからない。
でも、ローズマリーさんが楽しそうなら、それでいい。
私は、油まみれの手でローズマリーさんに抱きついた。
「すごいですよローズマリーさん! みんな喜んでました! 『これで生活が楽になる』って!」
ローズマリーさんは少し迷惑そうな顔をしたけれど、私を突き放さなかった。
その身体から伝わる熱が、私の心を溶かす。
「当然です。……さあ、忙しくなりますよ。工場を拡張し、人を雇いなさい。……ベアトリスが気づいて邪魔をしてくる前に、王都中の物流を塗り替えます」




