第53話 「地下室の情事。スーツと黒タイツの儀式」
【深夜:アシュトン公爵邸・地下室】
祝勝会の喧騒から抜け出した私たちが向かったのは、焼け残った屋敷の地下室だった。
分厚い鉄の扉が重い音を立てて閉ざされ、カチャリと鍵が掛かる。
その硬質な金属音が、私の理性のスイッチを切る合図だった。
ああ、この音……。
外の世界から完全に隔絶された、二人だけの聖域。
ここには、法律も、身分も、世間の目もない。
あるのは、私とご主人様だけ。
薄暗い魔石灯の青白い光が、部屋の中央にある無機質な実験台を照らし出している。
私はゴクリと喉を鳴らした。
心臓が早鐘を打っている。
今日のレース、死と隣り合わせのデッドヒートの時でさえ、こんなに脈は速くなかった。
これは、もっと甘く、もっと痺れるような、捕食される直前の小動物の緊張感。
私の体は、もうご主人様に食べられる準備ができている。
ローズマリーさんは、実験台に腰を掛けると、妖艶に足を組み、私を手招きした。
「来なさい、アリア」
その一言だけで、私の足は磁石に吸い寄せられるように動く。
拒否権なんて最初からない。
あるのは絶対的な服従と、それを上回る歓喜だけ。
私が近づくと、ローズマリーさんは私のネクタイを指先で絡め取り、鎖のように手繰り寄せた。
「今日の駄犬は……最高に、美しかったですよ」
言うが早いか、ローズマリーさんは私の唇を奪った。
祝勝会での安酒の味、染み付いたオイルの匂い、そして微かな汗の香り。
それらが混ざり合った、荒々しくも深い口づけ。
「んっ……ぁ……! ご主人、様……!」
唇が離れると、銀の糸が引いた。
目の前に揺れるルージュの瞳。
それは、昼間の冷静な「社長」のものではなく、愛犬を愛でる「主人」の熱を帯びていた。
見つめられるだけで、身体の奥が融解していく。
膝から力が抜ける。
もっと見て。
その瞳で私を貫いて。
ローズマリーさんの手が、私のジャケットの肩に触れる。
「今日は、少し……野性的すぎましたね」
耳元で囁かれる吐息が、鼓膜を震わせる。
ローズマリーさんは私のジャケットを肩から脱がせた。
衣擦れの音が、静寂な地下室に大きく響く。
私は抵抗せず、されるがままに腕を抜く。
「すみません……夢中になってしまって……」
「謝る必要はありません。ですが……」
ローズマリーさんは正面に回ると、私のブラウスの第一ボタンに指を掛けた。
「今は『秘書』の時間です。……野生を捨てて、私の管理下に戻りなさい」
プチッ。
一つ目のボタンが外される。
ローズマリーさんの指は、わざとらしいほどゆっくりと動く。
二つ目。
三つ目。
白いブラウスが開いていき、肌が冷たい空気に晒されるたびに、私の心臓が爆発しそうになる。
焦れったい……!
もっと乱暴にしてくれていいのに。
引きちぎってくれていいのに。
私の体はもう、貴女に触れられるのを待って、疼いている。
ご主人様の手で、私を「躾けて」ほしい!
「ローズマリーさん……もっと、早く……」
「焦ってはいけません。……待つのも仕事ですよ?」
ローズマリーさんは冷たく言い放ち、ブラウスの裾をスカートから引き抜いた。
露わになった鎖骨に、冷たい指先を這わせる。
ビクッと身を震える。
「んっ……!」
「いい反応です。レース中の強気な顔とは大違いですね」
ローズマリーさんは私の反応を楽しむように、ブラウスを完全に脱がせず、肩にかけたままの状態で、私を実験台に押し付けた。
彼女は再び、私の腰を引き寄せる。
目の前にあるのは、黒いタイトスカートに包まれた腰と、その下に伸びる黒タイツの脚。
「……綺麗な脚です。タイツの感触は、どうですか?」
ローズマリーさんの手のひらが、私の太ももを撫で上げる。
布越しの感触。
薄いナイロンの繊維が擦れる、シャリッという微かな音が、私の神経を逆撫でする。
あぁ、ダメ……。
その音、頭がおかしくなりそう……。
皮膚の下の血管が、貴女の指の形を覚えている。
「あ、ぅ……! 敏感に、なって……っ!」
「でしょうね。今日は魔力を使った後で、感覚が鋭敏になっているはずです」
ローズマリーさんの指先が、太ももの裏、膝の裏、そしてふくらはぎへと這う。
素肌に直接触れるよりも、一枚の薄い膜を隔てた愛撫の方が、熱がこもって感じられる。
閉じ込められている。
この薄い黒い膜の中に、私の全てが。
そしてその膜の上から、ご主人様に弄ばれている。この背徳感がたまらない。
「この黒い膜一枚で、貴女の野生を封じ込めている……そう思うと、ゾクゾクしませんか?」
ローズマリーさんは、爪を立ててタイツの表面をゆっくりと撫でた。
痛みはない。
だが、伝線するかしないかのギリギリの刺激が、私の背筋を駆け上がる。
「ご主人様……! 破いて……! めちゃくちゃにして……!」
「ダメです。……今日はこのままで味わいます」
ローズマリーさんはスカートの裾を捲り上げると、黒タイツに包まれた内太ももに、自身の顔を埋めた。
「んあぁっ!?」
熱い吐息が、ナイロン越しに肌を焼く。
ローズマリーさんは、その滑らかな黒い脚を舐め上げるように愛撫し、そして――鋭く甘噛みした。
「痛っ……ぁ……!」
痛みと共に、噛み跡からローズマリーさんの濃厚な魔力が注入される。
私は実験台に手をつき、背中を大きく反らせた。
「あ、あぁ……ッ! 入ってくる……ご主人様の魔力……!」
レースで枯渇しかけていた私の体内に、主人の力が奔流となって満ちていく。
それは、性的な絶頂を遥かに超える、魂が震えるような充足感。
私はただの器。
ご主人様の魔力で満たされるためだけの、空っぽの器。
ああ、幸せだ。
私はこの人の一部なんだ。
この人のエネルギーで生かされているんだ。
ローズマリーさんは顔を上げ、潤んだ瞳の私を見上げた。
その口元には、私のタイツ越しに滲んだ唾液が光っている。
「駄犬のエンジンを回すのは、私の魔力だけです。……他の誰にも、指一本触れさせない」
ローズマリーさんは立ち上がり、台の上で崩れ落ちそうになっている私の顎を掴んだ。
「駄犬は誰のものですか? アリア」
愚問だ。
そんなの、最初から決まっている。
私は、乱れた呼吸を整え、恍惚の表情で答えた。
「私は、ご主人様のモノ……です……! ……秘書であり、忠実な犬です……! ご主人様以外の誰にも、尻尾なんて振りません……!」
「よろしい」
ローズマリーさんは満足げに微笑むと、私のネクタイを鎖のように掴み、唇を重ねた。
深く、長く、所有権を刻み込むようなキス。
魔石灯の青白い光が、机の上で絡み合う二人の影を長く伸ばす。
ローズマリーさんは、私の耳元で囁いた。
「でも、イザベラに寄り添われた時……楽しそうにしていましたね?」
「えっ……?」
ローズマリーさんの声色が、ふと低くなる。
温度が下がる。
「私以外の人間で興奮するなんて……悪い犬です」
嫉妬。
それは、絶対零度の氷のような独占欲。
嬉しい。
どうしようもなく嬉しい。
この完璧な人が、私ごときに心を乱している。私を独占しようとしている。
もっと嫉妬して。
もっと私を縛って。
私にはご主人様しかいないって、思い知らせて!
ローズマリーさんは私の太ももを強く掴んだ。爪が食い込む。
「駄犬を興奮させていいのは、私だけです。……もっとお仕置きが必要ですね」
「ふあぁ……っ! 許して……ご主人様……!」
私は懇願しながらも、その身体は期待に震えていた。
もっと。
もっと私を貴女の色に染めて。
ご主人様が向ける執着こそが、孤独だった私にとって最大の幸福なのだから。
「いい声です。……もっと鳴きなさい。王都最速の銀狼が、飼い主の前でだけ見せるその無様な顔……ゾクゾクします」
ローズマリーさんは、私のスカートをさらに捲り上げ、その秘所――タイツのクロッチ部分――に手を這わせた。
布越しに伝わる熱。
濡れた感触。
「濡れていますね。……駄犬」
「うぅ……ごめんなさい……ご主人様……!」
ローズマリーさんは、理性の糸が切れた私の唇を塞ぎ、その全てを支配した。
スーツ姿のまま、地下室の闇に溶け合う二人。
そこにあるのは、対等なパートナーシップのさらに奥にある、絶対的な「支配と依存」の甘い檻だった。
私は、一生ここから出たくない。
◇
【夜明け】
情事の後。
私は実験台に座ったローズマリーさんの足元に座り込み、その膝に頭を預けていた。
スーツは着崩れ、タイツには結局、ローズマリーさんの爪によって一筋の伝線が入ってしまっていた。
でも、それが勲章のように思えて、私は満ち足りていた。
「……充電完了、ですね」
ローズマリーさんが私の乱れた銀髪を優しく梳く。
その手つきは、さっきまでの激しさが嘘のように優しい。
「ええ。……明日からは戦争ですよ、アリア。車を売るための、本当の戦いです」
「はい、ご主人様。……どこまでもお供します」
二人は静かに笑い合った。
地下室の重い扉を開ければ、そこにはまた、騒がしくも過酷な世界が待っている。
でも、この夜の儀式がある限り、私たちの絆は決して揺らがない。
私は、世界で一番幸せな「駄犬」なのだから。




