表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

54/98

第52話 「アシュトン・モーターズ、スラムの祝杯」

【同日夜:アシュトン・モーターズ(スラム廃ガレージ)】


「「「アシュトン・モーターズの勝利に……カンパーーイッ!!」」」


油と鉄の匂いが染み付いたガレージに、割れんばかりの歓声と、ジョッキがぶつかり合う音が響き渡った。  


王都グランプリでの大金星。  


その夜、スラムの廃ガレージは、世界で一番熱い即席の宴会場と化していた。


テーブル代わりのドラム缶には、山盛りの料理と酒。  


集まったのは、社員である私たちだけじゃない。


部品集めを手伝ってくれたスラムの悪ガキたち、噂を聞きつけた近所の労働者たち。  


「貴族のパーティー」とは真逆の世界だ。


ドレスも宝石もない。  


でも、ここには嘘がない。


みんなが本気で笑って、本気で祝ってくれている。  


この熱気が、たまらなく心地いい。  


その中心で、工場の主であるドワーフのガンテツ姉さんが、マグナムボトルの安酒をラッパ飲みしていた。


「ぷはぁーっ! 美味ぇ! 五臓六腑に染み渡るねぇ!」


彼女は赤ら顔で、自身の背丈ほどもある巨大なスパナを指揮棒のように振り回し、上機嫌に叫んだ。


「見たかい、あのベアトリスの顔! 『階段を走るなんて聞いてない』だとさ! ギャハハ! ざまあみろってんだ!」


「最高でしたよ!ガンテツ姉さん! 姉御の設計のおかげで、あのジャンプでもサスペンションが折れなかった!」


私は、レーシングスーツから秘書スーツに着替え、両手に巨大なピザを持っていた。  


スラム名物「全部乗せピザ」。


具材は謎だが、とにかく味が濃くて脂っこい。  


私は大きな口を開けてかぶりついた。


「ん~っ! このジャンクな味が最高! 王宮の料理より美味しいかも!」


これよ、これ!  


肉汁とチーズの暴力!  


極限まで戦って空っぽになった胃袋に、カロリーが染み渡っていく……!  


生きているって味がする。  


レースの緊張が解けて、食欲が爆発しそうだ。


私が夢中で食べていると、口元についたソースを、カミーラさんがハンカチで拭き取ってくれた。


「お行儀が悪いですよ、アリア様。……ですがまあ、今日ばかりは大目に見ましょう」


カミーラさんもまた、普段の厳格な表情を崩し、少しだけ微笑んでいる。  


いつも厳しいメイド長の、ふとした優しさ。  


胸がじんわりと温かくなる。


そんな喧騒の中、一人だけ挙動不審な人物がいた。  


イザベラさんだ。  


彼女は渡されたジョッキの中身――茶色く濁った液体を、実験用ビーカーを見るような恐ろしい目で見つめていた。


「こ、これは……何でしょうか? 毒……いえ、魔薬の類いでは? 泡立っていますわ……」


「失礼なこと言うねぇ、お嬢ちゃん。こいつはスラム特製『ドブネズミ殺し(密造酒)』だよ。度数は高いが味は保証するぜ?」


ガンテツ姉さんがニカっと笑い、イザベラさんの背中をバシッと叩いた。


「さあ飲みな! 勝利の美酒だ! 飲まなきゃ帰さないよ!」 「ひゃうっ!?」


イザベラさんは勢いでジョッキを傾け――中身を一気に喉に流し込んだ。


「んぐっ、ごふっ……! か、辛い……喉が焼けるようですわ……!」


彼女は目を白黒させ、激しく咳き込んだ。  


大丈夫かな。


優等生のイザベラさんに、こんな劇物は刺激が強すぎるんじゃ……。  


だが次の瞬間、彼女の頬がカッと朱に染まり、瞳がとろんと潤んだ。


「……あ、あれぇ? なんだか、世界が回って……ふわふわしますわ……」


ドサッ。


イザベラさんは私の肩にもたれかかった。  


「マリアさぁぁん! すごかったですわぁ! あの『溝落とし』! 道路交通法的には完全にアウトですけどぉ、私のハートもドリフトしちゃいましたわぁ~!」


「わわっ、イザベラさん酒臭い! 近いです!」


イザベラさんは私の首に抱きつき、猫のように頬ずりをしてきた。


甘えん坊モードだ。


「わたくしぃ、貴族の窮屈な生活に疲れてたんですぅ……。教科書なんて燃やしてやりたいと思ってましたの……。でもぉ、今日は生きてるって感じがしましたわぁ! 法律よりも、破壊の方が気持ちいいなんてぇ……私、不良になっちゃったかもぉ~!」


「あはは、十分不良ですよイザベラさん」


私は苦笑しながらも、彼女の背中をさすってやった。  


身分も、種族も、立場も関係ない。  


ただ一つの目的のために戦った仲間たちが、バカ騒ぎをして笑い合う。  


こんな素敵な夜が、他にあるだろうか。


でも、私の目は、無意識にある一点を探していた。  


この喧騒の、一番静かな場所。


ガレージの隅にあるドラム缶のそば。


パイプ椅子に座るローズマリーさんがいた。  


彼女の手には安酒ではなく、カミーラさんが淹れた最高級の紅茶。  


周りは鉄屑と油汚れだらけなのに、彼女が座ればそこは玉座の間になる。  


ローズマリーさんは、バカ騒ぎする私たちを、静かなルージュの瞳で見つめていた。


「……騒がしいですね。頭痛がしそうです」


口では憎まれ口を叩きながらも、その口元は穏やかに緩んでいる。  


知ってる。  


ご主人様がそういう顔をする時、本当はすごく嬉しいってこと。  


素直じゃないんだから。


ガンテツ姉さんが、つまみを持ってローズマリーさんの隣に座った。


「へっ、素直じゃねえな社長。……どうだ? アタシたちが作った『鉄屑の奇跡』は」


「悪くありません。……いえ、最高でしたよ」


ローズマリーさんは、ガレージの奥に鎮座する、泥だらけでボロボロになった「モデルA」を見上げた。  


その瞳には、深い慈愛と誇りが宿っている。


「金で買える技術には限界があります。ですが、私たちの『執念』は、金では買えないスペックを叩き出しました。……感謝します、工場長」


「ケッ! 礼を言うならボーナス寄越しな!」


ガンテツ姉さんは照れ隠しに笑い、再び宴の輪に戻っていった。  


一人になったローズマリーさんは、カップを置き、私に向かって小さく手招きをした。


クイクイ。


その仕草だけで、私の心臓が跳ね上がる。  


レースの時とは違う、甘い緊張感。  


私は、絡みつくイザベラさんをカミーラさんに預け、尻尾を振る犬のように駆け寄った。


「ローズマリーさん! 楽しんでますか?」


「ええ。……ですが、少し飲みすぎました」


ローズマリーさんは嘘をついた。  


彼女は一滴も飲んでいない。


紅茶だけだ。  


だが、その瞳はアルコールよりも強い、とろりとした熱を帯びていた。  


私を捕食しようとする、肉食獣の瞳だ。


彼女は立ち上がり、すれ違いざまに私のネクタイを指先でくいっと引っ張った。


「……そろそろお開きにして、帰りますよ」


「え? もうですか? みんなまだ盛り上がってますけど……」


「ええ。……ここには人が多すぎます」


ローズマリーさんは、私の耳元に唇を寄せ、甘く、低い声で囁いた。


「貴女には、まだレースの『特別報酬』を渡していませんからね。……家に帰ったら……、たっぷりと、可愛がってあげますから」


ドキリ。


背筋に電流が走る。  


その言葉の意味を理解し、身体の奥が疼くように熱くなる。  


今日のレースの興奮。


極限状態での共闘。


死と隣り合わせのスリル。  


それらが全て、形を変えた「欲」となって溢れ出してくる。


もっと触れてほしい。  


褒めてほしい。  


乱してほしい。  


この熱狂の余韻を、二人きりの密室で、肌で確かめ合いたい。  


私もまた、それをどうしようもなく渇望していたのだ。  


「……イエス、マム」


声が震えてしまったかもしれない。


二人は目配せをし、宴の喧騒からそっと抜け出した。  


外に出ると、スラムの夜空には満月が輝いていた。  


冷たい夜風が火照った肌に心地いい。  


月明かりの下、二つの影が寄り添うように重なり、アシュトン邸の方角へと消えていく。


宴は続く。  


だが、ここからは二人だけの、もっと熱く、もっと激しい「夜の祝勝会」が始まる。  

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ