第50話 「新車発表会。嵐を呼ぶ真紅の蠍」
【正午:王都中央広場・特設ステージ】
雲ひとつない青空の下、王都の中央広場はかつてない熱気に包まれていた。
急ごしらえの木のステージ。
その中央には、白い布で覆われた「私たちの夢」が鎮座している。
私は、ステージの袖でその光景を見つめ、胸がいっぱいになっていた。
黒いタイトスカートの秘書スーツ。
鼻には伊達メガネ。
正直、動きにくいし、ストッキングは痒い。
でも、今日だけはこの格好が誇らしかった。
これは、ローズマリー社長の「秘書」であるという証だから。
……やっと、ここまで来た。
数日前まで、私たちは何も持っていなかった。
屋敷は瓦礫の山。資金はゼロというかマイナス。
材料なし。
工場はスラムの廃ガレージ。
スクラップの山から鉄を拾い、行政の嫌がらせを乗り越え、油まみれになって組み上げた鉄の塊。
それが今、世界にお披露目されるのだ。
「……緊張しますね、マリアさん」
隣で声をかけてきたのは、イザベラさんだ。
彼女も今日は制服ではなく、シックなドレススーツに身を包んでいる。
手には分厚い資料を抱え、少し震えていた。
「大丈夫ですよ、イザベラさん! あんな怖い査察官を追い返したんですから、お客様へのプレゼンなんて楽勝ですよ!」
「ふふ、そうですね。……わたくしたち、やれることは全部やりましたものね」
イザベラさんが微笑む。
「このままうまくいけば、大成功間違いなしですね!」
「ええ! これが売れれば、マリアさんの借金も……!」
二人が手を取り合ってキャッキャと喜んでいると――
ピシャッ。
冷たい扇子が、二人の頭を軽く叩いた。
「……浮かれるのは早すぎます、貴女たち」
振り返ると、そこには完璧にメイクを整え、漆黒の勝負スーツを纏った私の社長――ローズマリーさんが立っていた。
その立ち姿は、どんな宝石よりも美しく、鋭い。
「まだ一台も売れていません。それに、見てごらんなさい」
ローズマリーさんが顎で示した先。
広場に集まった市民や投資家たちの目は、期待よりも「疑念」に満ちていた。
「『馬なし馬車』なんて眉唾だ」
「アシュトン家は破産寸前だろ? 詐欺商品じゃないか?」
世間の風当たりは冷たい。
ローズマリーさんは眼鏡の位置を直し、不敵に笑った。
「この冷ややかな視線を、熱狂に変えるのが今日の仕事です。……行きますよ」
◇
ローズマリーさんがステージの中央に進み出ると、ざわめきが少し収まった。
彼女がマイク(拡声魔道具)を握る。
その背中を見ているだけで、私の心臓が高鳴る。
見てください、この人が私の自慢のご主人様です!
「王都の皆様。……かつて私は、この国を物理的な脅威から守りました。ですが今日、私は皆様に『自由』を提供しに来ました」
彼女の合図で、私とイザベラさんが左右から布を引く。
バサァッ!!
現れたのは、無骨な銀色の四輪車。
戦車の装甲を再利用したメタルボディ。
傷だらけの鉄板を磨き上げた、決して洗練されているとは言えない姿。
だが、その機能美は見る者を圧倒する迫力があった。
「アシュトン・モーターズ製、試作一号車『モデルA・シルバー』。……これは貴族のためではありません。市民による、市民のための足です」
「はっ、あんな鉄の塊が動くもんか!」
観客の一人が野次を飛ばす。
その時だった。
「へっ! ナメんじゃねえぞ!」
運転席に座っていたガンテツ姉さんが、ニヤリと笑ってキーを回した。
キュルルル……
ズドォォォォンッ!!
ボボボボボボボボ……ッ!!
腹の底に響く重低音。
マフラーから青い炎が吹き出し、車体が生き物のように振動する。
「うおっ!? なんだあの音は!」
「魔獣か!?」
ガンテツ姉さんは窓から顔を出し、太い腕を突き上げた。
「見ろ! こいつの心臓部は、アタシが鍛え上げたミスリル製『魔導V型エンジン』だ! 馬20頭分のパワーがある!」
ガンテツ姉さんがアクセルを空吹かしする。
ブォン! ブォォンッ!!
爆音と共に、ステージの床板が震える。
「馬力だけじゃねえ! アリア、積み込みな!」
「はい、姉さん!」
私はステージ脇にあった、重さ100キロはある鉄骨資材を軽々と持ち上げた。
観客が息を呑むのがわかる。
ふんっ!
私はそれを、車の後部荷台に豪快に放り込んだ。
ドスーンッ!
車体が沈み込むが、ガンテツ姉さんが戦車の足回りから移植した頑丈なサスペンションが、衝撃をしっかりと受け止める。
「見ての通りだ! 荷物を満載してもビクともしねえ! これが戦車の装甲で作った『頑丈さ』だ!」
ガンテツ姉さんはギアを入れ、クラッチを繋いだ。
モデルAがゆっくりと、しかし力強くステージ上を動き出す。
その場で旋回し、観客の目の前まで迫って急停車。
キィッ!
「どうだ! 買い物にも、旅行にも、荷運びにも使える! こいつは貴族のオモチャじゃねえ、お前らの相棒だ!」
姉さんの熱いアピールに、観衆の目が変わった。
「すげえ……本当に動きやがった!」
「あれなら俺たちの商売にも使えるぞ!」
「いくらだ!? 予約はどこだ!?」
疑念が驚きへ、そして熱狂へと変わっていく。
「これからは馬はいりません。魔法の知識もいりません。アクセルを踏めば、誰でもどこへでも行ける。……この車が、私たちの生活を変えます!」
ローズマリーさんの熱弁。
空気が温まってきた。
いける。
このまま予約受付を開始すれば――。
その時だった。
ブロロロロロロロロ……ッ!!
会場の空気を引き裂くような、甲高いエキゾーストノートが響き渡った。
「な、なんだあの音は!?」
観衆が割れる。
広場の入り口から、一台の真紅の車が滑り込んできた。
流線型のボディ、ピカピカに磨き上げられた塗装、高級革のシート。
ベアトリスの愛車、スーパーカー「レッド・スコーピオン」だ。
無骨な「モデルA」とは対照的な、圧倒的な「富」と「美」の象徴。
それが、ローズマリーさんのステージの真ん前で、挑発的にエンジンを空吹かしした。
ヴォンッ! ヴォォォンッ!!
「あらあら。……相変わらず汚い鉄屑ね、ローズマリーちゃん」
運転席から降り立ったのは、深紅のドレスを纏ったベアトリス。
彼女はサングラスを外し、私たちの血と汗の結晶であるモデルAを、鼻で笑った。
「こんなゴミを市民に売りつけるなんて、詐欺罪で訴えられるわよ?」
「……ベアトリス」
ローズマリーさんの表情が凍りつく。
ベアトリスは、ステージの下からローズマリーさんを見上げ、広場全体に聞こえる声で言った。
「皆さん、騙されてはいけなくてよ? これは戦場のスクラップを繋ぎ合わせただけの棺桶。……本当の『車』というのは、こういうもののことを言うのよ」
彼女が自分の愛車を撫でる。
その優美な姿に、観衆の目が奪われる。
せっかく作った空気が、一瞬でひっくり返された。
悔しい。
あの女、またしてもご主人様の邪魔を……!
「帰ってください、ベアトリス」
ローズマリーさんが一歩前に出る。
「ここは正規の手続きを経て借りた会場です。貴女の行為は営業妨害です」
「あら、私は一市民として意見を言っただけよ? 言論の自由でしょう?」
ベアトリスがしらばっくれる。
私が怒りで拳を握るが、ローズマリーさんが目で制す。
代わりに動いたのは、イザベラさんだった。
「……言論の自由にも限度はあります、ベアトリス代表」
イザベラさんがステージから降り、ベアトリスの前に立ちはだかった。
法律全書を片手に、毅然とした態度で。
「貴女の発言は、根拠のない誹謗中傷による『信用毀損罪』に該当します。また、許可車両以外乗り入れ禁止の広場への車両侵入は『道路交通法違反』ですわ」
「あら、可愛い子猫ちゃんね。……法律? この国で一番強い法律は『金』よ?」
ベアトリスは懐から分厚い札束を取り出し、イザベラさんの胸元に入れた。
「罰金? これで足りるかしら」
「……ッ! 侮辱しないでください!」
イザベラさんが札束を叩き落とす。
一触即発の空気。
ベアトリスはつまらなそうに肩をすくめた。
「堅苦しいわねぇ。……じゃあ、分かりやすく『実力』で決めましょうか」
ベアトリスは、ステージ上のモデルAを指差した。
「論より証拠。……その鉄屑と私の愛車、どっちが速いか勝負しましょう?」
「レース、ですか?」
「ええ。明日の正午。コースは王都の外壁路を一周。……観客はこの市民たち全員」
ベアトリスはニヤリと笑った。
「もし貴女が勝てば、私はここから大人しく引き下がるわ。アシュトン・モーターズへの出資もしてあげる」
会場がどよめく。
だが、ベアトリスの瞳は蛇のように冷たかった。
「でも、もし負けたら……この広場での発表会は中止。会社は解散。そして――」
彼女はステージの袖にいる私を見た。
「借金の返済期限を待たずに、アリアちゃんの身柄を即時引き渡してもらうわ」
「なっ……!?」
私が息を呑む。
圧倒的なスペック差。
スーパーカーと、手作りの大衆車。勝てるわけがない。
だが、ローズマリーさんは即答した。
「……受けましょう」
「「社長!?」」
イザベラさんとガンテツ姉さんが驚く。
ローズマリーさんはマイクを通し、高らかに宣言した。
「アシュトン家の辞書に『逃走』という言葉はありません。……いいでしょう、ベアトリス。その鼻っ柱、へし折って差し上げます」
歓声が上がる。
新車発表会は一転、因縁の対決の場となった。
ベアトリスは満足げに車に乗り込んだ。
「楽しみねぇ。……せいぜい、アリアちゃんへの別れの手紙でも、書いておくことね」
爆音と共に去っていく真紅の車。 残されたステージで、私は震えるローズマリーさんの手を握った。
ご主人様は、笑っていたけれど、指先は氷のように冷たかった。
私のために、また無理な賭けを……。
「大丈夫ですか、ご主人様……」
「……勝算はあります。いえ、作るのです」
ローズマリーさんは私を見つめ、静かに告げた。
「アリア。……明日のドライバーは貴女です。貴女の『野生の勘』だけが、あのマシンの性能差を埋められます」
「私が……」
私は自分の手を見た。
ハンドルなど握ったこともない手。
だけど、この手はご主人様を守るための手だ。
ご主人様の運命も、自分の自由も、全てはこの手に託された。
「やります。……ぶっちぎってやりますよ!」
その日、王都中に号外が出回った。
『世紀の対決! 王都グランプリ開催!王子も観戦へ!?』
アシュトン・モーターズの社運をかけた、最初で最後の大勝負が幕を開ける。




