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幕間 「傷跡への口づけ。あるいは、所有権の再確認」

【深夜:アシュトン公爵邸・地下室】


パーティー会場の煌びやかな喧騒から離れ、私たちが帰ってきたのは、焼け落ちた屋敷の地下室だった。  


瓦礫に埋もれず奇跡的に無事だったこの場所は、「調教」を受ける場所であり、世界の誰にも邪魔されない、私たち二人だけの聖域だ。  


湿った空気と、古い石の匂い。  


それが、高ぶった神経を少しずつ鎮めていく。


ここは落ち着く。


私たちの「巣」だ。


カツ、カツ、カツ……。


冷たい石床に、ローズマリーさんのヒールの音が鋭く響く。  


無言だ。  


車を降りてから、ご主人様は一言も発していない。  


その沈黙が、私の心臓を早鐘のように叩く。  


怒っているのか、それとも呆れているのか。  


私は祈るような気持ちで、その華奢な背中を追った。  


叱られるのは構わない。


でも、無視されるのだけは耐えられない。  


部屋の中央にある寝台の前まで来た時、不意に腕を強く引かれた。


ドンッ!


「あ……っ!」


私は寝台に乱暴に押し倒された。  


背中を打った衝撃に呻く間もなく、ローズマリーさんが覆いかぶさってくる。  


薄暗い魔石灯の光の中で、ご主人様のルージュの瞳が妖しく、そして静かな怒りの炎を宿して光っていた。  


美しい。  


怒っている貴女は、どうしてこんなにも綺麗なんだろう。  


ぞくり、と背筋が震える。


恐怖じゃない。


期待だ。


「……ご、ご主人様?」


「静かに」


ローズマリーさんの指先が、私の唇を塞ぐ。  


その指は氷のように冷たかったが、触れられた場所から火傷しそうな熱が伝わってくる。


「……随分と楽しそうでしたね、アリア」


ローズマリーさんは、私の真っ赤なドレスの胸元に、這うように指を滑らせる。  


そこには、先ほどまでベアトリスが着けさせたダイヤモンドのチョーカーの痕が、うっすらと赤く残っていた。  


彼女の指が、その赤い線をなぞる。


憎々しげに、執拗に。  


まるで汚れを拭い去ろうとするかのように。


「あの商売女に触られて、高価な石をつけられて……尻尾を振っていましたね? ダイヤの首輪は、着け心地が良かったですか?」


「ち、違います! 私は嫌でした! あんな女……私は、ご主人様だけの……!」


「口答えは許可していません」


ジャラッ……!


ローズマリーさんが指を鳴らすと、壁から影のような「黒い鎖」が伸び、私の両手首と足首を寝台の支柱に縛り付けた。  


魔法による拘束。  


逃げられない。  


――いや、違う。私の本能が、逃げることを拒否しているんだ。  


この拘束こそが、私が誰のものかを示す証だから。  


もっと縛って。


もっと私を独占して。  


ご主人様の鎖に繋がれている時だけ、私は本当に自由になれる気がする。


「お仕置きが必要です。……貴女の身体に染み付いた、あの女の薄汚い匂いを『消毒』しなくてはなりません」


ローズマリーさんは、私の首筋――ベアトリスが指でなぞった場所に、自身の唇を押し当てた。


「んっ……ぁ……!」


甘い口づけではない。  


鋭い犬歯を立て、肉を噛みちぎるような、痛みと独占欲に満ちた愛撫。  


痛みと共に、そこからローズマリーさんの魔力が流し込まれる。


「痛いですか? ……でも、感じるでしょう?」


「は、い……っ! ご主人様の……魔力が……!」


私の背筋がゾクゾクと震えた。  


魔力のパス。  


それが今、噛み傷という直接的な接触を通じて、奔流となって体内に雪崩れ込んでくる。  


熱い。  


苦しい。  


でも、たまらなく甘美だ。  


ベアトリスの甘ったるい香水の匂いが、痛みによって消され、ローズマリーさんの冷たい夜の香りで上書きされていく。  


私の中が、ご主人様で満たされていく。


「貴女の皮膚も、肉も、骨も……流れる血の一滴まで、すべて私のものです。……他の誰にも触らせない」


ビリィッ!


ローズマリーさんの手が、ベアトリスが用意した高価なドレスを容赦なく引き裂いた。  


露わになった白い肌に、次々と「所有の印」を刻み込んでいく。  


鎖骨に、胸に、そして腹部に。


「ひぁ、あ……っ! もっと……もっと奥まで……!」


私は腰をくねらせ、鎖をジャラジャラと鳴らした。  


痛みは快楽のスパイスでしかなかった。  


魔力を注がれるたびに、身体の奥底が熱く疼き、脳が白く溶けていく。  


自分はこの人のものだ。  


その絶対的な事実が、私に極上の安心感と悦びを与えていた。  


私はご主人様の道具で、ご主人様の武器で、ご主人様の愛玩動物。


それでいい。


それがいい。


「……だらしない顔ですね。よだれが垂れていますよ」


ローズマリーさんは冷ややかに嘲笑しながらも、そのルージュの瞳は熱情で潤んでいた。  


私は気づいてしまった。  


彼女の手が、微かに震えていることに。  


彼女もまた、渇いていたのだ。  


私を失うかもしれないという恐怖。


ベアトリスへの嫉妬。


アルベルト王子への対抗心。  


それらを埋めるように、私の身体を貪り、自身の存在を刻み込もうとしている。  


なんて、愛おしい人。


不器用で、寂しがり屋な私の主人。  


私が守ってあげなきゃ。


私が全部受け止めてあげなきゃ。


「ご主人様……大好き……愛して……」


ローズマリーさんはふっと表情を緩め、拘束魔法を解いた。  


自由になった手で、即座にローズマリーさんの背中に回り、しがみつく。


「……本当に、手の掛かる駄犬です」


ローズマリーさんは私の唇を奪った。  


今度は、深く、ねっとりと絡み合うような口づけ。  


唾液と魔力が混ざり合い、二人の境界線が曖昧になっていく。  


世界が溶けていく。  


ただ、この熱だけが真実だ。


「んんっ……ぷはっ……!」


唇が離れると、銀の糸が引いた。  


私は涙目で、頬を紅潮させ、恍惚の表情でご主人様を見上げていた。


「……許してあげます。ですが、次はもっと酷いことをしますよ?」


「はい……! いつでも、好きなだけ……!」


ローズマリーさんは満足げに微笑み、私の汗ばんだ額にキスをした。  


それは、支配者としての慈悲であり、何よりも深い愛の証だった。


「さあ、夜はまだ長いです。……たっぷりと『エネルギー』を充填しておきましょうか」


地下室の闇の中、二人の吐息と肌を叩く音が、朝まで響き続けた。  


瓦礫の下の密室。  


そこは、世界で一番安全で、倒錯した愛に満ちた楽園だった。  


明日からまた戦いが始まる。  


でも、今夜だけは、ご主人様だけの玩具でいさせて。

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