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第45話 「ハゲタカたちの宴。そして悪魔は微笑む」

【数日後:アシュトン公爵邸・正門前】


アシュトン公爵邸の焼け残った外塀の周囲は、異様な熱気に包まれていた。  


数百人もの人間が、門を取り囲み、怒号を上げているのだ。


「金を出せ! 工事代金が未払いだぞ!」

「魔導戦車が壊した倉庫の賠償金を払え!」

「公爵家は破産したそうじゃないか! 俺たちの金を返せ!」


ハゲタカたち。  


彼らの目は血走っていて、昨日の戦場よりも恐ろしい。  


私たちは国を救ったはずなのに。


みんなを守ったはずなのに。  


彼らにとっては、そんなことはどうでもいいのだ。


貸した金が回収できるか、それだけが正義。  


悔しい……! 


私の拳は魔物を砕けても、この「借金」ってやつは殴れない!


門の内側では、私は銀色の戦闘服(バトルドレス)を纏い、数人の私兵と共に必死にバリケードを支えていた。


「下がってください! これ以上近づくと、実力行使しますよ!」


「うるせえ! その銀色の服を売れば金になるだろうが! 剥ぎ取っちまえ!」


暴徒と化した債権者たちが、バリケードを乗り越えようとする。  


欲望に塗れた手が、私に伸びる。


戦場の殺気とは違う、もっとドロドロとした執着。  


私が威嚇のために拳を握りしめた、その時だった。


ブロロロロロロロロ……ッ!!


聞いたこともない、猛獣の唸り声のような重低音が響き渡った。  


空気が震える。


「な、なんだ!?」


人々が振り返る。  


道の向こうから、砂煙を上げて「紅い稲妻」が迫っていた。  


それは、馬車ではなかった。


馬がいない。


魔物でもない。  


流線型のボディに、真紅の塗装。


ガラスの窓に、銀色のバンパー。  


美しくも凶暴な、鉄の獣。


キキィィィィィッ!!


赤い車は減速することなく、債権者の群れに突っ込んだ。  


悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げる人々。


「ど、どけぇぇぇッ! 轢かれるぞ!」


車はそのままアシュトン邸の正門へ突進してくる。  


嘘でしょ? 


止まる気がない!?


「ちょっ、止まってくださ――」


私の制止も虚しく。


ドガァァァァァァンッ!!


鉄の門が飴細工のように弾き飛ばされた。  


衝撃波が走り、私は尻餅をついた。  


車は瓦礫の山となった前庭に強引に乗り入れ、急ブレーキとドリフトで土煙を上げながら、仮設テントの前でピタリと停止した。  


静まり返る庭。  


テントの中から、騒ぎを聞きつけたローズマリーさんとカミーラさんが出てくる。


「何事ですか! ……って、これは……?」


ローズマリーさんが目を丸くする前で、車の運転席の扉が開いた。  


降りてきたのは、深紅のドレスを纏い、サングラスをかけた美女。  


豊満な肢体を誇示するように背伸びをし、ヒールの音を響かせて歩み寄る。  


強烈な香水の匂い。  


隣国の武器商人にして、裏社会の女帝。  


ベアトリス・ヴァン・ルージュ。  


私の野生の勘が告げている。


「天敵」だと。


「あらあら。……相変わらず汚い庭ね、ローズマリーちゃん」


彼女はサングラスを外し、妖艶に微笑んだ。


「生きていて何よりだわ」


ローズマリーさんは、破壊された正門と、乗り着けられた赤い鉄の塊(車)を交互に見て、眉間の血管をピクリとさせた。  


あ、ご主人様がキレた。


「……ベアトリス。貴女、人の家の門を何だと思っているのですか?」


「あら、ごめんなさい。……私の愛車『レッド・スコーピオン』のブレーキ、ちょっと効きが悪くて」


「言い訳は結構です」


ローズマリーさんは冷徹に指をさした。


「不法侵入および器物損壊です。……あの門は、アシュトン家伝統の意匠が凝らされた特注品。修理費および精神的慰謝料を含め、金貨五百枚を請求します」


かっこいい。


破産寸前だというのに、一歩も引かないこのふてぶてしさ。  


これぞ私のご主人様だ。  


ベアトリスは一瞬きょとんとして、それからケラケラと笑い出した。


「あはは! いいわねぇ、その強欲さ! 相変わらずね!」


ベアトリスは胸元から金貨の入った袋を取り出し、ローズマリーさんの顔に押し付けた。


「はい、金貨千枚。……釣りはいらないわ」


金貨の袋がドンと落ちる。  


その圧倒的な資金力に、周囲の空気が凍りついた。  


ローズマリーさんは表情一つ変えず、カミーラさんに目配せして金を拾わせた。


「……で? 何をしに来たのですか。私たちは今、忙しいのですが」


彼女は手元の羊皮紙――『アシュトン復興株式』の束を見せた。  


資金調達のために発行しようとしていた、苦肉の策だ。


「投資なら歓迎しますよ。一口いかがですか?」


「プッ。……そんな紙くず、トイレの紙にもなりゃしないわ」


ベアトリスは株券を鼻で笑い、車の後部座席から黒いアタッシュケースを取り出した。  


それをボンネットの上に置き、開く。


カチッ、パカッ。


中には、目がくらむような宝石と、大陸中央銀行の小切手束が詰まっていた。  


その総額は、アシュトン家の負債を全て返済しても、まだ城が建つほどの金額だ。  


めまいがする。


これがあれば、アシュトン家は救われる。


「助けてあげに来たのよ。ローズマリーちゃん。……アシュトン家の借金、私が全部肩代わりしてあげてもよくてよ?」


外で騒いでいた債権者たちが、その輝きを見て息を呑む。  


でも、タダなわけがない。  


この女の目は、獲物を狙う蛇の目だ。


「……条件は?」


ローズマリーさんが問う。  


ベアトリスは扇子で口元を隠し、ねっとりとした視線で、車の横で呆然としている私を指差した。


「その子を頂くわ」


「……は?」


私は赤い車から目を離し、間の抜けた声を出した。  


え? 私?


ローズマリーさんのルージュの瞳から温度が消えた。


「……アリアを?」


「ええ。アリアちゃんの『所有権』を私に譲渡しなさい」


ベアトリスは楽しげに私に近づき、その銀髪を指で弄んだ。  


冷たい、ヌルリとした感触。


背筋が凍る。  


まるで品定めするような目。


「私の国の闘技場なら、もっと稼げるわ。それに……夜のお相手も、いい値段がつきそう」


「さ、触らないでください!」


私は手を振り払った。  


本能が警鐘を鳴らしていた。


この女は危険だ。  


私をご主人様から引き剥がそうとする悪魔だ。  


「ふざけないでください! アリアは物ではありません!」


ご主人様……!  


その言葉だけで、私は救われた気がした。


「あら、怖い。……でも、断れば外のハゲタカたちが雪崩れ込んでくるわよ? アリアちゃんも路頭に迷うわ」


逃げ場のない詰み(チェックメイト)。  


ローズマリーさんは唇を噛み締めた。  


血が滲むほど強く。  


その葛藤が、痛いほど伝わってくる。


「……金は借ります。ですが、アリアの『所有権』は渡しません」


「じゃあ、交渉決裂ね」


ベアトリスがケースを閉じようとする。


「待ち、なさい! ……『使用権』なら、認めます」


ローズマリーさんは屈辱に震えながら、絞り出すように言った。


「手形借入金を完済するまでの間、アリアの労働力を貴女に提供します。……ですが、アリアはあくまで私の従者です!」


それは、実質的な人身御供契約だった。  


私のために、ご主人様が泥をかぶる。  


私の「心」だけは守るために、ご主人様はプライドを捨てたんだ。  


なら、私は――。


私は拳を握りしめた。  


拒否なんてできない。


私が働くことでアシュトン家が救われるなら、泥水だって啜る。  


それが「忠犬」の役目だ。


ご主人様のその決断を、無駄にしちゃいけない。


「……ふふ。いいわ、交渉成立ね」


ベアトリスは満足げに小切手をローズマリーさんに投げ渡した。  


そして、私の耳元で甘く囁いた。


「楽しみねぇ。ローズマリーちゃんが破産したら、私が新しい『ご主人様』よ」


ふざけるな。


私のご主人様は、死んでもローズマリーさん一人だ。  


ベアトリスは高笑いと共に車に乗り込み、エンジンを吹かした。  


助手席のドアが開く。


地獄への入り口だ。


「さあ、乗りなさいアリアちゃん! これから祝賀パーティーよ。……貴女を着せ替え人形にするのが楽しみだわ!」


私は振り返った。  


ローズマリーさんが、拳を震わせて俯いている。

 

「行ってきなさい。アリア。必ず取り戻します」


泣かないで、ご主人様。  


私は、貴女のものです。


どこにいても、何をされても、魂までは売らない。


「……行ってきます、ご主人様」


私は赤い車に乗り込んだ。  


唸りを上げるエンジン音。  


新たな戦場の始まりだ。

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