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第44話 「勝利のお茶回。カミーラの涙」

【朝:アシュトン公爵邸】


朝日が、無残な瓦礫の山を優しく、そして残酷なまでに鮮明に照らしていた。  


かつて誇り高き公爵邸が建っていた場所は、黒焦げの柱と砕けたレンガが散乱する廃墟となっていた。


あぁ……全部、燃えちゃった。


私の大切な場所。  


雨風を凌いでくれた屋根も、フカフカの温かいベッドも、ご主人様の甘い匂いが染み付いた枕も、全部消えてしまった。  


胸にぽっかりと穴が開いたような喪失感。  


でも、不思議と絶望感はない。  


だって――。


「……はい、どうぞ。お嬢様、アリア様」


廃墟の一角、奇跡的に焼け残った一本の樫の木の下。  


傾いたガーデンテーブルに、真っ白なテーブルクロスが敷かれ、湯気を立てるティーセットが並べられている。  


カミーラさんがポットを傾け、カップに紅茶を注ぐ。  


彼女のメイド服は煤で汚れ、あちこち破れている。


いつもの完璧な姿とは程遠い。  


それでも、彼女の背筋はピンと伸び、その所作は王宮の晩餐会のように優雅で、完璧だった。


あぁ、やっぱりこの場所が、私の「家」なんだ。


屋根なんてなくても、壁なんてなくても、カミーラさんが紅茶を淹れてくれて、ご主人様が座っていれば、そこはアシュトン公爵邸になるんだ。


「……ありがとう、カミーラ」


ローズマリーさんは、カップを両手で包み込んだ。  


指先に伝わる温かさ。  


立ち上るベルガモットの香り。  


それが、彼女に「生きて帰ってきた」という実感を強烈に与えたのだろう。  


彼女の瞳が潤み、張り詰めていた糸がふわりと解けていくのが分かった。  


よかった。


ご主人様が、やっと普通の顔に戻った。


「ふぅー、ふぅー……うん、美味しい!」


私は、隣で行儀悪く音を立てて紅茶を啜った。  


熱い液体が喉を通り、冷え切った身体に染み渡る。


「生き返ります! やっぱりカミーラさんの紅茶じゃないと!」


口の中に残っていた鉄の味が、紅茶の香りで洗い流されていく。  


生きてるって、こういうことなんだ。


「……恐縮です。茶葉が少し湿気てしまっており、お湯の温度も焚き火で沸かしたものですから、完璧とは……」


カミーラさんはいつものように謙遜しようとした。  


けれど、その言葉は震えて途切れた。


ポタ、ポタ……。


彼女はトレイを抱きしめたまま俯き、テーブルクロスに染みを作っていた。


「……怖かった……怖かったです……」


普段は鉄仮面のように感情を見せない、カミーラさんが、肩を震わせて泣いていた。


「お嬢様が……もう二度と、この紅茶を飲んでくださらないのではないかと……アリア様が、戻ってこられないのではないかと……」


ごめんなさい……カミーラさん。


ずっと、一人で待っていたんだ。  


いつ帰るとも知れない主人のために、お湯を沸かし続けて。  


私が守りたかったのは、この涙だ。


「カミーラ……」


ローズマリーさんは席を立ち、カミーラさんをそっと抱きしめた。  


私も反対側から飛びつき、二人まとめてぎゅっと抱きしめた。  


温かい。


三人分の体温。


これが私の家族だ。


「ごめんなさい、カミーラさん。心配かけました。遅くなってごめんなさい!」


「……私は、貴女たちを置いて逝ったりしませんよ。……最高のメイドを置いていくなんて、主人の恥ですからね」


「う、うぅぅ……お嬢様ぁぁぁ……! アリア様ぁぁぁ……!」


カミーラさんはその場に泣き崩れた。  


私たちは廃墟の中心で、身を寄せ合った。  


屋敷という「箱」は失われたけれど、アシュトン家という「家庭」は、瓦礫の中でも傷つくことなく、以前よりも強く結びついていた。  


もう絶対に、この温もりを手放したりしない。


                   ◇


ひとしきり泣いた後、カミーラさんは少し照れくさそうに目を赤く腫らしながら、ポケットから包みを取り出した。


「……お茶請けも、無事でした」


取り出されたのは、少し砕けてしまった手作りのクッキー。  


私は目を輝かせて飛びついた。


「やった! いただきます!」


サクッ。


口いっぱいに広がるバターの香りと砂糖の甘さ。  


涙が出そうになるくらい、優しい味だ。  


どんな高級料理より、この割れたクッキーの方が何百倍も美味しい。


「んん~っ! 最高です! 世界一の味です!」


「……ええ。本当に」


ローズマリーさんも一口かじり、微笑んだ。  


その笑顔を見ているだけで、私はお腹がいっぱいになる。  


このクッキーの味と、隣で笑う私とカミーラさんがいれば、また一から始められる。  


何もない場所からだって、私たちは何度でも立ち上がれるんだ。


「さて。……これからのことを考えなくてはいけませんね」


ローズマリーさんは背筋を伸ばし、凛とした主の顔に戻った。  


頼もしい。


私の大好きな、不屈のご主人様だ。


「まずは住む場所の確保。そして、領地の復興。……幸い、私の頭脳とアリアの腕力があれば、金貨の山などすぐに築けます」


「そうですよ! 私、またダンジョンとか闘技場で稼ぎますから! 賞金首狩りでも用心棒でもなんでもやりますよ!」


「それは最終手段です。……まあ、なんとかなるでしょう」


勝利の余韻と未来への希望。  


爽やかな朝の空気の中、アシュトン家の再出発は前途洋々に見えた。  


この時は、本気でそう思っていたんだ。  


――そう、あの時までは。


                  ◇


ザッ、ザッ、ザッ。


瓦礫を踏みしめる、無粋な足音が響いた。  


この幸せな空間に土足で踏み込んでくるのは誰だ。


「失礼する。……アシュトン公爵閣下はおられるか?」


現れたのは、王宮の紋章が入った制服を着た官僚と、数人の護衛兵だった。  


手には、分厚い羊皮紙の束を抱えている。  


嫌な予感がする。


「……何か?」


ローズマリーさんがいぶかしげに答える。  


官僚は、廃墟で優雅にお茶をしている三人に一瞬呆気にとられたが、すぐに事務的な表情に戻り、羊皮紙をテーブルに置いた。


ズシン。


重い音がした。


「王宮事務局より通達です。……今回の『王都防衛戦』における、アシュトン公爵家の戦闘行為に関する報告書、および……」


「および?」


「『損害賠償請求書』です」


ローズマリーさんの手が止まった。  


私がクッキーを喉に詰まらせそうになる。  


げほっ、ごほっ! 


え、今なんて?


「……は? 賠償? 私たちは国を守ったのですよ? むしろ報奨金を貰う立場では?」


「ええ、その功績は認められています。……ですが、守り方が『派手』すぎました」


官僚は羊皮紙をめくりながら、淡々と読み上げ始めた。


「一、王宮正門および外壁の全壊。……修復費用、金貨二千万枚」


あ、それ私が殴ったやつ……。


「一、王都中央大橋の物理的切断。……再建費用、金貨五千万枚」


あ、それ私が踵落とししたやつ……。


「一、王宮地下『古代遺跡』の損壊、およびシステム暴走による周辺地盤の沈下。……対策費用、測定不能(時価)」


あ、それ私が天井ぶち破ったやつ……。


「一、その他、市街地の道路、建物、公共物への被害多数……」


読み上げられるたびに、ローズマリーさんの顔色から血の気が引いていく。  


私は冷や汗が止まらない。


視線を逸らす。  


あれ? 


これ全部、私のせいじゃない?  


やばい。


やばいぞ。


「あ、あの……橋は、ご主人様が『落とせ』って……」


「しっ! 黙りなさいアリア!」 「さらに」


官僚は最後の一枚を提示した。


無慈悲なトドメだ。


「貴家が使用した私設兵器『銀の戦車』隊の残骸撤去費用と、周辺被害への慰謝料。……これらを合計しますと、概算で……」


提示された金額を見た瞬間。  


ローズマリーさんの手から、カップが滑り落ちた。


ガシャンッ。


乾いた音が廃墟に響く。  


その金額は、アシュトン家の全盛期の資産はおろか、小国の国家予算に匹敵する天文学的な数字だった。  


ゼロが多すぎて数えられない。一、十、百、千……億!?


「……嘘、でしょ……?」


ローズマリーさんが白目をむいて、糸が切れたように椅子から崩れ落ちる。  


ベヒモスの一撃にも耐えたご主人様が、紙切れ一枚で撃沈した!


「お嬢様ぁぁぁッ!!」


「ご主人様ぁぁぁッ!! しっかりして! まだ死なないで!」


カミーラさんと私が駆け寄る。  


勝利の朝は一転、借金地獄の幕開けとなった。  


帝国の将軍より、ベヒモスより、この「請求書」の方がよっぽど凶悪だ。  


私の筋肉じゃ、借金は殴り倒せない!


私は空を見上げた。  


雲ひとつない青空が、やけに恨めしかった。


「……闘技場じゃ、全然足りないかも」


私たちの戦いは、終わっていなかった。  


むしろ、ここからが本当の地獄の始まりだったのだ。

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