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第34話 「カミーラの独白。あの人の『遺言』」

【早朝:アシュトン公爵邸】


私がたどり着いた時、そこにはもう「家」はなかった。  


豪雨と、消火活動の蒸気が白く立ち込める中、かつて私が愛したアシュトン公爵邸は、無惨な瓦礫の山と化していた。  


美しかった庭園は荒れ、泥に塗れている。


私が毎晩眠っていた部屋も、ローズマリーさんが難しい顔で仕事をしていた執務室も、全てが崩れ落ち、黒い炭になっている。


「……あ、あぁ……」


私は泥の中に膝をついた。  


ドレスはボロボロで、裸足の足は瓦礫で傷だらけだったが、そんな痛みなど蚊に刺されたほどにも感じなかった。


痛いのは、心だ。


胸の奥が、冷たい泥水で満たされていくように息苦しい。


ここには、私の「世界」の全てがあった。  


厳しいけれど温かい日常。


カミーラさんが淹れてくれる紅茶の香り。


夜な夜な行われる秘密の儀式のような、甘い時間。


そして、大好きな主人の匂い。  


それが、跡形もなく消えていた。  


私の居場所が。


私がようやく見つけた「帰る場所」が、暴力によって奪われた。


「ローズマリーさん……どこ……」


瓦礫を素手で退ける。


爪が割れ、血が滲む。  


けれど、出てくるのは焦げた木材と、砕けた家具の破片だけ。  


嫌だ。


嘘だと言って。  


「……アリア、様……?」


瓦礫の影から、掠れた声が聞こえた。


「カミーラさん!?」


私が駆け寄ると、そこには崩れた柱に寄りかかるカミーラさんの姿があった。  


いつも完璧だったメイド長服は裂け、左腕はだらりと垂れ下がっている。頭から流れた血が、白いエプロンを赤く染めていた。


「カミーラさん、しっかり! ローズマリーさんは!? 一緒じゃないんですか!?」


私が肩を揺すると、カミーラさんは苦痛に顔を歪めながらも、私の顔を見て安堵の涙を流した。


「……よかった。ご無事で……。王子殿下の元へ行かれたと思っておりました」


「行くわけないでしょ! 私が誰の犬だと思ってるんですか! ご主人様はどこ!?」


私の叫びに、カミーラさんは悲痛な瞳を伏せた。


「……お嬢様は、王都の地下へ向かわれました」


カミーラさんは、血の滲む手で私の泥だらけの手を握りしめた。


「国境防衛戦は……壊滅しました。お嬢様が全財産を投じた『銀の戦車』隊も、帝国の物量の前には……」


私は息を呑んだ。


全滅?


「お嬢様は、最後の手段を選ばれました。王都の地下深くに眠る『古代都市防衛システム』。……それを強制起動し、王都に侵入した敵軍ごと、自爆するおつもりです」


「じ、自爆……!?」


思考が真っ白に染まる。   


ローズマリーさんは、自分を犠牲にして、この国と――私を守ろうとしているのだ。  


私をクビにしたのは、巻き込まないため。


私を遠ざけたのは、自分と一緒に死なせないため。  


なんて……なんて馬鹿な人なんだ。


「そんなの……ダメだ! 止めなきゃ!」


「止められません。システム起動の触媒となるのは、お嬢様の『命』そのものですから」


カミーラさんは泣きながら首を横に振った。


「私は……お嬢様と共に死ぬつもりでした。ですが、お嬢様は私に『最後の命令』を下されました」


カミーラさんは、瓦礫の下に隠していた大きなジュラルミンケースを引きずり出した。  


表面には、アシュトン家の紋章と、「(アリアへ)」という文字が刻印されている。


「これは……?」


「お嬢様が、夜なべをして開発されていたものです。『いつかあの子が、自分の意志で戦場に立つ日が来たら』と……」


カミーラさんがロックを解除し、ケースを開く。  


中に入っていたのは、流体金属のように輝く、銀色の戦闘服(バトルドレス)だった。  


伸縮性の高いミスリル繊維で編まれ、要所には魔力増幅回路が組み込まれている。  


かつて私が着ていたボロボロの革鎧とは違う。  


これは、私の身体能力を極限まで引き出し、そして何より「私を守るため」に設計された、世界に一つだけの「牙」と「毛皮」だ。


その上に、一通の手紙が置かれていた。  


私は震える手で封を開けた。  


見慣れた、流麗で少し癖のある筆跡。


それを目にした瞬間、視界が涙で滲んだ。


『アリアへ。  駄犬がこれを読んでいるということは、私はもうこの世にいないか、あるいはその直前でしょう。  駄犬を突き放したこと、恨んでもらって構いません。  ただ、駄犬を道連れにしたくなかった。  アリアは自由です。私の道具でも、ペットでもない。  その服を持って、どこか遠く、平和な国へお行きなさい。  ……愛しています。私の可愛いワンちゃん。  ローズマリー』


読み終えた手紙が、雨に濡れて文字が滲んでいく。  


私の心の中で、何かが音を立てて切れた。


「……ふざけないでよ」


私の手の中で、手紙がくしゃりと握りつぶされた。  


「自由」? 


「遠くへ行け」?  


そんなものが、私の幸せだとでも思っているのか。  


ご主人様は何も分かっていない。


「勝手に決めないでよ!」


私の叫びが、廃墟に木霊する。


「私は自由なんて欲しくない! 美味しいご飯も、ふかふかのベッドも、平和な国も、ご主人様がいなきゃ何の意味もない! ご主人様がいない世界なんて、私にとっては広すぎる牢獄と同じだ!」


涙が止まらない。  


愛しています、なんてズルい。


最後にそんな言葉を残して、自分だけ綺麗に消えようなんて許さない。  


私はローズマリーさんの道具でいい。


ペットでいい。  


ご主人様の隣にいられるなら、地獄の業火だって天国なんだ。


カミーラさんは、私の激昂を見て、初めて微かに微笑んだ。  


それは、どこか誇らしげな笑みだった。


「……やはり、お嬢様の見込み違いでしたね。貴女は、ただ守られるだけの愛玩動物ではなかった」


カミーラさんは、ケースを私の方へ押し出した。


「行ってください、アリア様。……今ならまだ、システムが完全起動する前かもしれません。場所は王宮の地下、最深部『原初の祭壇』です」


「カミーラさんは……?」


「私はここで、お二人の帰りを待つ準備をします。……お茶の用意をしておかないと、お嬢様に怒られますから」


私は、深く頷いた。  


覚悟は決まった。


もう迷わない。


「……カミーラさん。お茶を楽しみにしてますね。必ず、あの分からず屋のご主人様をひっ捕まえて、首根っこ掴んででも引きずって帰ってきます!」


                    ◇


数分後。  


瓦礫の中から、銀色の閃光が立ち上がった。  


私は、ローズマリーさんが遺した戦闘服を身に纏っていた。  


身体のラインに完璧にフィットするボディスーツ。銀色の装甲板が急所を守り、背中にはマントのように放熱フィンがなびいている。  


まるで、伝説の魔獣「銀狼」そのものの姿。


私は拳を握りしめた。  


この服全体から、ローズマリーさんの匂いと、「アリアを守りたい」という執念にも似た魔力が伝わってくる。


温かい。


ご主人様に抱きしめられているようだ。  


でも、これは私を守る盾じゃない。  


ご主人様を守るための、私の「牙」だ。


「……着心地、最高です。ご主人様」


私は王宮の方角を見据えた。  


そこには、帝国軍の包囲網と、無数の魔導戦車が待ち受けている。


地獄の只中。  


上等だ。  


ご主人様を泣かせた連中を、一人残らずミンチにしてやる。


ドォォォンッ!!


地面を蹴り、跳躍する。  


その速度は音速に迫り、衝撃波が雨雲を吹き飛ばす。


「待ってて。……今度は私が、ご主人様を守る番だ」


私の魂が吠える。  


私は私の意志で、ご主人様の元へ還るのだ。

次回予告 王都炎上。地獄と化した戦場を、一筋の銀閃が駆け抜ける。ご主人様が遺した『銀の戦闘服』を纏い、私はただひたすらに走る。目指すは、命を賭して古代兵器を起動しようとするご主人様の元。

次回、「覚醒。私は『道具』じゃない、『共犯者』だ」

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