表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

32/32

第32話 「追放。雨の路地裏と、王子」

【深夜:王都・路地裏】


冷たい雨が、容赦なく私の身体を打ち据えていた。  


泥だらけのドレス、裸足の足、そして血の滲む手。  


ご主人様の匂いを追いかけ、たどり着いたのは王都の片隅にある薄暗い路地裏だった。


私は、軒下のわずかな雨宿りスペースにうずくまり、左手の指輪を見つめていた。  


魔力の供給は止まっている。  


かつてあんなに熱かった指輪は、今はただの冷たい銀の輪っかでしかない。


まるで、死んでしまったみたいに。


 『全部、嘘です』  『道具のメンテナンスですよ』


ローズマリーさんの冷酷な言葉が、呪いのように頭の中で反響する。  


胸が苦しい。


物理的に殴られたほうがマシなくらい、痛い。


「……嘘つき」


私は膝に顔を埋めた。  


考えろ、アリア。


ご主人様の言葉を鵜呑みにするな。  


本当に道具だと思っているなら、「解雇」なんてしない。


使い潰して、ゴミのように捨てればいいはずだ。  


本当にただのメンテナンスだというなら、あんなに悲しそうな顔で、自分の命を削ってまで魔力を注いだりしない。


あの時、私を振り払った手は、震えていた。  


あの時、私に向けられた瞳は、泣いていた。


……あんな顔、させたくなかった……。


私の胸に去来したのは、捨てられた怒りではなく、強烈な後悔だった。  


私は気づいてしまった。  


ローズマリーさんが私を突き放したのは、私が憎いからではない。


私が「不良品」だからでもない。  


これから始まる「地獄」から、私を逃がすためだったのだと。  


自分は燃え盛る戦場と共に死ぬ覚悟で、私には生きろと言ったのだ。


「……勝手だ。本当に勝手なご主人様だ」


顔を上げた。  


雨水か涙か分からない雫を拭う。  


勝手に気に入って、勝手に餌付けして、勝手に愛して、最後は勝手に守ろうとする。  


そんなの、許せるわけがない。


「誰が逃げるもんですか。……私は『駄犬』ですよ? 『待て』って言われて待てるほど、お利口じゃありません」


私は立ち上がった。  


泥を払い、前を見据える。  


帰ろう。


あのお節介で、不器用で、誰よりも孤独な主人の元へ。  


そして、あの綺麗な横っ面をひっぱたいてでも、「ただいま」と言ってやるのだ。  


地獄上等。


あの人がいない天国なんて、私には退屈すぎて死んでしまう。


私は走り出した。  


向かう先は、炎と黒煙が上がるアシュトン公爵邸の方角。


                 ◇


私が雨の大通りを駆けていると、前方から一台の豪華な馬車が現れ、道を塞ぐように停止した。  


王家の紋章が入った白亜の馬車。  


扉が開き、傘を差した従者が降りてくる。


そして、その後ろから現れたのは――。


「……やはり、ここにいたね。僕の銀狼」


第一王子、アルベルトだった。  


彼は泥だらけの私を見ても顔色一つ変えず、優雅に微笑んでいる。  


綺麗だ。


泥一つない白い服。


整った顔立ち。  


でも、なぜだろう。


私の本能が警鐘を鳴らしている。  


「乗るといい。ここは寒いだろう?」


私は警戒心を露わにしながら、足を止めた。


「……何の用ですか。私は急いでいるんです」


「アシュトン家へ戻るつもりかい? 無駄だよ。あそこはもうすぐ戦場になる。……いや、もうなっているかな」


アルベルトは私に歩み寄り、自身の着ていた暖かいマントを私の肩にかけた。  


上質な布の感触。優しい香水の匂い。  


でもそれは、私が求めていた温もりとは違う。


「聞いたよ。解雇されたそうだね。……酷い話だ。君ほどの才覚ある者を、使い捨ての道具のように扱うなんて」


王子の言葉には、計算された同情と、甘い誘惑が含まれていた。  


違う。


あの人は私を使い捨てようとしたんじゃない。


私を生かそうとしたんだ。  


何も知らないくせに。


「僕なら、君をそんな風には扱わない。君の強さを、美しさを、正当に評価しよう」


アルベルトは私の手を取り、その場で跪いた。  


雨の中のプロポーズ。


絵本ならここで「はい」と言う場面だろう。


「アリア。僕の近衛騎士になりなさい。いや、僕の妃になってもいい。……君が望むなら、君の過去を全て消し、新しい名前と、最高の名誉を与えよう。アシュトン家という泥舟から、僕が君を救い出してあげる」


完璧な虚像の提案だった。  


――でも。  


私の心は、氷のように冷めていた。  


「泥舟」?  


この男は今、私の大切な「家」を、そう呼んだのか。


私たちが笑い合ったあの食卓を。 


私たちが愛し合ったあの場所を。


ローズマリーさんが血を吐いて守ってきたあの場所を。


ふざけるな。


グワシッ!!


「……え?」


アルベルトの笑顔が凍りついた。  


私は、王子の胸倉を両手で掴み上げ、強引に引き寄せた。  


「……救い出す? 泥舟?」


私は低い声で唸った。


腹の底からマグマのような怒りが湧き上がってくる。


「ふざけるなよ、王子様。……ご主人様を、悪く言うな」


「な、何を……君は捨てられたんだぞ!?」


「捨てられたんじゃない! ご主人様が優しすぎて、不器用すぎるから、私を遠ざけただけだ!」


私は王子を揺さぶった。  


周囲の近衛兵たちが剣を抜こうとするが、私の殺気がそれを制する。


「貴方は何も分かってない! ご主人様が、どんな思いで一人で立っていたか! 血を吐きながら、どれだけのものを守ろうとしていたか! 貴方がのうのうとパーティーをしている間、あの人は命を削っていたんだ!」


私の目から、雨とは違う熱い雫が溢れる。  


そうだ、私はあの人が好きなんだ。  


綺麗なだけの宝石なんていらない。


私は、あの人の傷だらけの魂が愛おしいんだ。


「『道具』扱い? 上等だよ! 私はご主人様の道具だ! ご主人様の犬だ! ……ご主人様以外の首輪なんて、ダイヤモンドで出来てたってクソ食らえだ!」


「き、君は……」


「悪いけど、貴方の提案はお断りです」


私は王子の胸を突き飛ばした。  


よろめく王子を見下ろし、私はニカッと笑った。  


きっと今の私は、最高に凶悪で、最高に晴れやかな顔をしているはずだ。


「私は泥遊びが好きなの。……安全で退屈な城より、あの方と一緒に地獄に落ちる方が、百倍マシ!」


私は王子に背を向けた。


「マント、返します!」


バサリとマントを脱ぎ捨て、私は再び走り出した。  


豪雨の向こう、燃え盛るアシュトン邸の方角へ。


                   ◇


私は走る。  


肺が焼けつくほど呼吸をし、泥水を跳ね上げて。  


ドレスはボロボロ。足の裏からは血が出ているかもしれない。  


でも、心は驚くほど軽かった。  


迷いなんてない。


私の帰る場所は、たった一つしかないのだから。


待っててください、ローズマリーさん!


アシュトン邸の方角からは、爆音が響き続けている。  


もう「ごっこ遊び」は終わりだ。  


ここからは、本物の戦争。


ご主人様が私をクビにしても、知ったことか。


私は勝手に再就職します!  


ご主人様が一人で死のうとするなら、私が横で暴れて邪魔してやる!  


死なせない。


絶対に死なせない。  


ご主人様が私を諦めても、私はご主人様を諦めない。


私の瞳に、公爵邸を包む紅蓮の炎が映り込む。  


その炎よりも熱い魂を燃やして、私は愛するご主人様の元へとひた走る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ