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第31話 「『全部嘘よ』 ローズマリーの冷酷な拒絶」

【港湾区】


爆風で吹き飛ばされた雨雲の切れ間から、冷たい月光が差し込んでいた。  


白煙が晴れていく中、私は膝をつき、目の前の人物を見下ろしていた。


サイズが合わずに肩がはだけた漆黒の儀礼服。  


雨に濡れて頬に張り付く、長く艶やかな黒髪。  


そして、苦痛に歪むその蒼白な顔は――私が世界で一番大切にしている、あの愛しいご主人様のものだった。


「……ローズマリー、さん……?」


声が震えた。  


指輪から流れていた温かい魔力のパスがプツリと途切れ、冷たい雨の感覚だけが肌に残る。  


目の前にいるのは、あの強気で傲慢な騎士レオンハルトではない。  


ボロボロに傷つき、折れそうなほどか弱い少女だ。


「……っ、う……」


ローズマリーさんが長い睫毛を震わせ、うっすらと目を開けた。  


焦点の定まらない瞳が彷徨い、私と目が合う。  


その瞬間、彼女のルージュの瞳に、明確な「絶望」が走った。


「……見、られ……た……」


その掠れた声を聞いた瞬間、私の思考は真っ白になった。  


騙されていた? 


変装? 


そんなことはどうでもいい。  


私は泥だらけになるのも構わず、彼女を抱き起こした。


「ローズマリーさん! 血が……こんなに血が出てる!」


私は自分のドレスの裾を力任せに引き裂き、ローズマリーさんの肩の傷口を圧迫した。  


赤い血が、私の手とドレスを染めていく。


「どうして……どうして言ってくれなかったんですか! 私、気づかないで……守られてばかりで……!」


「……アリア?」


「痛いですよね? 寒くないですか? ごめんなさい、私もっと早く気づけばよかった!」


私は泣きじゃくりながら、冷え切った彼女の身体をさすり、自身の体温で温めようと必死だった。  


怒りなんて、微塵も湧かなかった。  


ただ、ご主人様が傷ついていることへの悲しみと、守れなかった自分への不甲斐なさで、胸が張り裂けそうだった。


「帰りましょう。お屋敷に帰って、カミーラさんに手当てしてもらって、温かい飲み物でも飲んで……」


私は震える笑顔を作った。  


何事もなかったかのように。いつもの幸せな日常に戻れると信じて。  


ウゥゥゥゥゥゥ――ッ!!


不気味なサイレンの音が、王都の空に響き渡った。  


見上げれば、港だけでなく、王宮の方角、そして貴族街の数カ所から、赤い火の手が上がっている。  


敵襲。


それも、大規模な。


「……あ……」


ローズマリーさんの瞳が、燃え上がる王都を映した。  


その瞳から、みるみるうちに「少女」の弱さが消え、凍てつくような「鉄の女」の色が戻っていく。


「……離しなさい」


ローズマリーさんは、低い声で呟いた。  


そして、私の手を乱暴に払いのけた。


バチンッ!


「……え?」


私の手が宙を彷徨う。  


ローズマリーさんはよろめきながら立ち上がった。  


血を吐き、足は震えている。


立っているのが不思議なほどだ。  


だが、その表情からは一切の感情が消え失せていた。  


かつての「鉄の女」以上の、絶対零度の仮面。


「馴れ馴れしく触らないでください。……汚らわしい」


「け、汚らわしいって……、ご主人様。熱があるんですね? ほら、肩を貸しますから……」


「聞こえませんでしたか? 駄犬。汚らわしいと言ったのですよ」


冷徹な言葉が、私の思考を凍らせた。


「……っ! た、確かに、私は泥だらけですけど! 今は、それどころじゃないじゃないですか! さあ、一緒にお家へ帰りましょう!」


「なぜ一緒に帰る必要があるのです? 貴女と私は、赤の他人だというのに」


「……何を言ってるんですか! 私たちは食事も寝床も共にした家族みたいなものじゃないですか!」


私は叫んだ。  


あの温かい夜を、優しいキスを、忘れるはずがない。


「いつまで『家族ごっこ』を続けるつもりですか? ……ああ、本当に滑稽でしたよ。貴女が何も知らずに、私の嘘に騙されて、尻尾を振っている姿は」


彼女は、侮蔑の色を浮かべて冷ややかに笑った。


「全部、嘘です」


「……嘘?」


「そもそもローズマリーという人物はいません。貴女のような単純な馬鹿を操るために作った、架空の虚像」


彼女は一歩踏み出し、私を見下ろした。


「貴女はただの『暴力装置』。強靭な肉体を持つ便利な道具。……だから採用したのです。アシュトン家を守る番犬にするためにね」


「ち、違います……だって、ご主人様は私に優しくしてくれた! 毎晩、魔力をくれて……命を削ってまで私を……!」


「メンテナンスですよ」


ローズマリーさんは即答した。


「道具が錆びつかないように油を差しただけ。……勘違いしないでください」


言葉のナイフが、的確に私の心臓を抉っていく。  


私は首を振った。


信じない。


信じたくない。


「……嘘だ。だって、私を守ってくれたじゃないですか! さっきだって、身を挺して!」


「道具が壊れると、買い直すのが面倒ですから。……ですが」


ローズマリーさんは、燃え盛る王都を背に、冷酷に告げた。


「考えが変わりました。貴女はもう『不良品』です。命令を聞かずに勝手に動き、私の計画を狂わせ、あまつさえ私の正体を見た」


遠くから、軍靴の音が近づいてくる。


ローズマリーさんは、最後の一撃を放った。


「クビです、アリア」


その言葉は、爆音よりも大きく私の耳に響いた。


「本日付でアシュトン家から解雇します。……二度と私の前に顔を見せないでください。薄汚い屋敷へ帰りなさい」


「……いやだ」


私はその場に崩れ落ちた。  


左手の薬指にある指輪を、右手で強く握りしめる。  


魔力の供給は止まっている。


もう、ただの冷たい銀の輪でしかない。  


それでも、私にはそれが手放せなかった。


「ここから動きません……私は、貴女の犬です……!」


「……勝手にしなさい。野良犬の死に場所になど興味はありません」


ローズマリーさんは冷たく背を向けた。  


その時、倉庫街の入り口から、武装した集団が現れた。  


アシュトン家の紋章をつけた鎧を着ているが、その装備は古く、傷ついている。


「閣下! お迎えに上がりました!」


「王都防衛ラインが突破されました! 最終防衛戦を行います!」


私兵団の隊長が叫ぶ。  


ローズマリーさんは頷き、口元の血を拭って歩き出した。


「ええ、参りましょう。……アシュトン家の最後の誇りをかけて」


その背中は、もう「か弱い少女」のものではなかった。  


死地へ向かう「指揮官」の背中だった。  


彼女は行くのだ。


私を置いて、死ぬために。


「待って! 待ってくださいローズマリーさん! 私も戦います! 連れてってよぉぉぉッ!」


私が泥を這って叫ぶ。  


だが、ローズマリーさんは一度も振り返らなかった。  


私兵団と共に、彼女の姿が炎と闇の向こうへと消えていく。


私は一人、雨の中に残された。  


周囲には、破壊された倉庫の瓦礫と、冷たい雨音だけ。  


私は泥水の中でうずくまり、身体を丸めた。  


左手の指輪を、胸に押し当てる。  


かつてあんなに温かかった「ご主人様の熱」は、もうない。  


冷たい金属の感触が、拒絶の言葉をリフレインさせる。


 『全部、嘘です』  『汚らわしい』


「……う、あぁぁぁぁぁ……ッ!!」


守りたかった。


ただ、隣にいたかった。  


それだけなのに。  


私の手の中で、魔力を失った指輪だけが、鈍く、悲しげな光を放っていた。

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