第14話 「図書室の密会。メイドは焦燥する」
【放課後:王立学園・大図書室】
王立学園が誇る大図書室は、知識の迷宮だ。
天井まで届く書架が迷路のように立ち並び、静寂と古書の匂いが支配している。
私は、その迷宮を彷徨っていた。
普段なら「文字を見ると三秒で眠くなる」と言って絶対に近づかない場所だ。
だが、今日は違った。
「(ローズマリーさん、どこに行っちゃったんだろう……)」
先日の闇オークションから、ローズマリーさんの様子がおかしかった。
いつものような罵倒もなければ、お仕置きもない。
奪取した「顧客リスト」を自室に持ち込み、一睡もせずに解析を続けていた。
そして今日の放課後、彼女は「調べ物がある」と言い残して姿を消したのだ。
「お昼ご飯も食べてなかった。……倒れてないといいけど」
私が心配しながら奥の閲覧スペース――滅多に生徒が来ない「経済・産業史」のコーナーへ足を踏み入れた時。
ドサッ、ドササッ。
本の山が崩れる音がした。
私が音のした方へ駆け寄ると、机の上に積み上げられた書物の塔の向こうに、一人の人影があった。
学園の備品である、地味なメイド服を着た少女。
大きな眼鏡をかけ、髪を三つ編みにしたその姿は、どこにでもいる図書委員のように見える。
だが、私はその正体を間違えるはずがなかった。
身体から漂うかすかな残り香と、魔力の揺らぎ。
「……ローズマリーさん?」
少女――変装したローズマリーさんが、ビクリと肩を震わせて顔を上げた。
その顔を見て、私は息を呑んだ。
酷い顔色だった。
目の下にはクマができ、唇は乾燥してひび割れている。
完璧に整えられていた爪先はインクで汚れ、いつもの冷徹な覇気が消え失せている。
そこには、「無敵のメイド長」も「冷酷なご主人様」もおらず、ただ何かに追いつめられた一人の少女がいた。
「……アリア。なぜここに?」
ローズマリーさんの声は、ガラスのように掠れていた。
「匂いです。ローズマリーさんの、いい匂いがしたから」
「……騎士団の犬並みですね。呆れます」
ローズマリーさんは自嘲気味に笑うと、再び手元の分厚い本に視線を落とした。
机の上を覗き込むと、そこには難解な図表や数値が書かれた本が散乱していた。
『帝国の産業年史』『国家破産論』『魔導資源の枯渇と代替エネルギー』……。
「こんなに難しい本を読んで、どうしたんですか? 期末テストの勉強?」
「……そんな平和なものであれば、どれほど良かったか」
ローズマリーさんは眼鏡を外し、疲れたように目をこすった。
「アリア。先日手に入れた『顧客リスト』……あれに何が書かれていたと思います?」
「えっと、悪い貴族の名前?」
「それだけではありません。彼らが帝国へ流した『王国の資金』の総額が記されていました」
ローズマリーさんは震える手で、ノートの一ページを開いて見せた。
私には桁が多すぎて読めない数字が並んでいる。
「この国は、既に死んでいるのです」
ローズマリーさんの言葉は、図書室の冷たい空気に溶けて、重く響いた。
「保守派の貴族たちは、私腹を肥やすために国の資産を切り売りし、その金は全て隣国や帝国へ流れています。一方、帝国はその金で『産業の構造改革』を成功させ、圧倒的な軍事力と経済力を手に入れた」
彼女は積み上げられた本を指差した。
「公爵家が進めようとしている改革も、鉄道も、工場も……全てが遅すぎたのです。今の王国の国庫は空っぽ。借金まみれの泥舟です。……あと半年もすれば、戦争にならなくても経済破綻で国が滅びます」
ローズマリーさんは机に突っ伏した。
「計算が合いません。どう計算しても、間に合わないのです……」
背中が震えていた。
私は知った。この人が、たった一人で何と戦っていたのかを。
彼女は、目に見える敵だけでなく、「時代」や「数字」という勝てるはずのない怪物と戦っていたのだ。
泣き言一つ言わず、誰にも頼らず、たった一人で。
……馬鹿だ。
私のご主人様は、本当に馬鹿で、愛おしい。
「ローズマリーさん」
私はそっと近づき、彼女の隣に立った。
難しいことは分からない。数字も読めない。
でも、お腹が空いている人と、泣いている人の見分けはつく。
「私、難しいことは分かりません。でも、計算が合わないなら、計算式をぶっ壊せばいいんじゃないですか?」
「……は?」
ローズマリーさんが顔を上げる。
「お金がないなら、悪い奴らから奪い返せばいいです。時間が足りないなら、私が走って稼ぎます。……ローズマリーさんは頭がいいから、『正解』を探しすぎなんですよ」
私は、ローズマリーさんが握りしめていたペンを優しく取り上げ、その冷え切った手を自分の両手で包み込んだ。
私の手は温かかった。
日々の労働と、鍛錬で培われた、生命力の熱。
「ローズマリーさんは、一人じゃありません。私っていう、最強の『ペット』がいるじゃないですか」
私はニカッと笑った。
「計算できないなら、腕力で解決しましょう。……ね? ご主人様」
ローズマリーさんは呆気にとられ、やがてふっと息を吐き出した。
ルージュの瞳に、わずかに光が戻る。
「……計算式を、壊す。……貴女らしい、野蛮で愚かな提案です」
ローズマリーさんは私の手を握り返した。
その力は弱々しかったが、確かに熱が伝わってくる。
「ですが……そうですね。正攻法で勝てないなら、盤面ごとひっくり返すしかありません。……ふふ、馬鹿な飼い犬のおかげで、目が覚めました」
ローズマリーさんは立ち上がり、眼鏡をかけ直した。
その表情からは、先ほどの悲壮感は消え、いつもの不敵な「メイド長」の笑みが戻っていた。
「アリア。お腹が空きました。屋敷に戻って、作戦会議の続きをしますよ」
「はい! 今日の夕飯は何ですか?」
「貴女の脳みそに糖分を補給するための、特大のケーキです」
「やったぁ!」
私たちは並んで図書室を後にする。
その背中には、まだ重い運命がのしかかっている。
だが、一人で背負っていた時よりも、その足取りは軽かった。
――しかし。
私たちは気づいていなかった。
書架の陰から、その様子をじっと見つめる視線があったことに。
「……見つけた。あれが、帝国の障害となる『特異点』か」
瓶底眼鏡をかけた、地味な女子生徒。
彼女の懐には、帝国の紋章が入った手帳が隠されていた。
留学生たちの影が、学園に忍び寄っていた。
次回予告 :アシュトン家の完璧な従者カミーラさんは、最近のローズマリーさんの変化に気づいていた。 「ローズマリー様、その玩具に入れ込みすぎではありませんか?」 夜な夜な私の寝顔を見に来るローズマリーさんと、それに気づかず涎を垂らして寝る私。 冷徹なカミーラさんだけが知る、二人の微笑ましくも歪んだ関係性。
次回、「【閑話】カミーラは見ている 〜ローズマリー様、その玩具に入れ込みすぎです〜」




