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第1話 「その日暮らしの貧乏子爵令嬢、税金で詰む」

「――あぁ、お腹すいた」


私のつぶやきは、風切り音と目の前の化け物の断末魔にかき消された。

 

場所は王都から少し離れた岩山。  


私の目の前にそびえ立つのは、自分よりも五倍はデカい「鉄喰い熊(アイアン・ベア)」。


その名の通り鉄鉱石をバリバリ食べる偏食家で、毛皮は鋼鉄よりも硬い。


並の冒険者の剣なんて爪楊枝みたいに弾き返すし、騎士団だって小隊を組んで挑むレベルの災害指定種だ。


でもね、今の私にとってこいつは「敵」じゃない。  


単なる、「歩く金貨」だ。


「そこどいてよ! あんたの毛皮を売らないと、明日のパンも買えないの!」


叫ぶと同時に、私は熊の懐に飛び込んでいた。  


武器? 


そんなものはない。


いや、正確にはさっきまで安物の剣を持っていたけど、開始三秒でポッキリ折れちゃったからね。  

だから今は、この(ステゴロ)ひとつ!

 

無意識のうちに魔力が溢れ出し、私の右手が青白く輝く。


――ドォォォォン!!


まるで大砲が着弾したような轟音。

 

鋼鉄の皮膚ごと、熊の巨体が宙を舞い、背後の岩盤にめり込んだ。


白目を剥いてピクピクしているのを確認して、私は大きく息を吐く。


「ふぅ……。よし、鮮度良好。傷も少ないし、これなら高く売れるはず」


額の汗を拭いながら、私は皮算用を始めた。  


継ぎ接ぎだらけの冒険者服なんて着ているから誰も信じないけど、私、アリア・フォン・ベルンシュタインはこれでも貴族。


かつての名家、ベルンシュタイン子爵家のたった一人の跡取り娘。

 

……まあ、両親は借金を残して蒸発し、残されたのはボケたお爺ちゃんと傾いた屋敷、そして莫大な借金だけなんだけど。


「これで……これでやっと、王立学園の入学金が貯まるかも!」


私は気合を入れ直すと、巨大な熊の足首をガシッと掴み、ズルズルと引きずりながら山を下り始めた。

 

重い? 


そんなこと言ってる場合じゃない。これは(カネ)だ。


金は命より重いんだ。

 

                  ◇


「はい、こちらが今回の討伐報酬、金貨五枚になります」


冒険者ギルドのカウンターで、受付嬢さんが笑顔と共に革袋を差し出してくれた。


き、金貨五枚……!  


一般市民なら三ヶ月は遊んで暮らせる大金だ。


私の頬がだらしなく緩むのを止められない。


「ありがとうございます! これでおじいちゃんに美味しいお肉を……」


「――ですが」


私のささやかな夢を断ち切るように、受付嬢さんの笑顔が事務的な鉄仮面に切り替わった。


嫌な予感しかしない。


「ベルンシュタイン家には、王国への税金未納分がございます。また、先日の魔道具破損の賠償金、領地の固定資産税、冒険者登録の更新料、それから……」


受付嬢さんの手が残像に見えるほどの速度で、書類にスタンプを押していく。

 

ガシャン、ガシャン、ガシャン。  


その無機質な音は、私にとって処刑台の足音そのものだった。


「差し引きまして、手取りは銅貨八枚となります」


「……え?」


カウンターにコトンと置かれたのは、掌に乗るだけの、錆びた銅貨八枚。

 

金貨じゃない。


銀貨ですらない。


銅貨だ。


パンが三つ買えるかどうかの端金(はしたがね)


「う、嘘ですよね? あんなに命がけで熊を殴ったのに!?」


「王国法により、貴族の皆様には高潔な納税義務ノブレス・オブリージュが課せられております。……現在は不況ですし、周辺諸国との緊張も高まっていますから、特別徴税も加算されておりまして」


申し訳無さそうに眉を下げるお姉さん。


彼女に罪はない。


悪いのは、この国の腐敗した経済と、逃げた両親だ。

 

私は震える手で銅貨を握りしめた。

 

王立学園の入学金は、金貨百枚。

 

……あと何百年熊を殴り続ければいいの?


「そんな……。学園に入らないと、子爵家を継げない決まりなのに……」


この国では、王立学園を卒業しないと家督を継げない。


入学できなければ、ベルンシュタイン家は取り潰し。


お屋敷は没収され、私とお爺ちゃんは路頭に迷うことになる。

 

とぼとぼとギルドを出ると、王都のメインストリートは賑わっていた。


でも、その光は私には眩しすぎる。


                   ◇


「……ただいま」


 街外れにある、(つた)に覆われた古びた我が家。

 

ドアを開けると、ギシギシと床が悲鳴を上げた。


家具のほとんどは借金のカタに売払われていて、無駄に広いホールが寒々しい。


「おお、帰ったか。アリアよ」


火の入っていない暖炉の前で、ロッキングチェアに揺られている白髪の老人。

 

私のお爺ちゃん。


かつて「剣聖」と呼ばれた英雄。


今はもう、私の顔すら時々わからなくなる。


「見てくれ、アリア。庭の木が魔物に見えてな。斬っておいたぞ」


「おじいちゃん……それ、隣の家との境界線の杭だよ……また弁償しなきゃ」


頭を抱える私に気づかず、お爺ちゃんは私の手を握りしめる。


枯れ木のように細いけれど、温かい手。


「そうかそうか。それで、学園はどうだ? 剣の腕は磨いているか? ベルンシュタイン家の誇りを忘れるな。お前なら、立派な当主になれる……」


その言葉が、胸を締め付ける。

 

お爺ちゃんは知らない。


もう家には金がなく、今日食べるものさえ困っていることを。

 

男手一つで私を育ててくれた恩人。


この人の最期を、路地裏の野垂れ死にになんてさせるわけにはいかない。


「うん、任せておいて。私、絶対に学園に入るから」


精一杯の笑顔を作って、銅貨八枚で買った堅い黒パンをお爺ちゃんの夕食に出した。

 

私は「外で食べてきたから」と嘘をついて、水だけで腹を膨らませる。


もう慣れっこだ。



その夜。  


空腹で眠れない私は、街の掲示板の前に立っていた。

 

ギルドの依頼(クエスト)だけじゃ、どう計算しても間に合わない。


もっと効率よく、短期間で稼げる仕事はないか。  


薬草摘み? 単価が安すぎる。


ドブさらい? 先週やった。


治験バイト? あれ飲んだら三日間体が紫色になったから二度とやらない。


その時、一枚のチラシが風に吹かれて、私の足元に張り付いた。


『急募! 屋敷の住み込みメイド』

『経験不問・衣食住完備』

『特別手当あり。短期間で金貨五十枚も可能』

『※ただし、体力に自信のある方に限る』


「金貨……五十枚!?」


私の目は、獲物を見つけた猛獣のように輝いたと思う。

 

これだ。


これしかない。  


体力に自信? 


そんなの私の唯一の取り柄じゃないの。

 

場所は……貴族街の一角にある大きなお屋敷。


「住み込みなら食費も浮くし、おじいちゃんの世話代も払える。……ちょっと怪しいけど、背に腹は代えられない!」


私はそのチラシを胸に抱きしめた。  


それが、運命の――そしてとんでもない地獄の――扉を開く鍵だとも知らずに。


                   ◇


翌日。

 

私はお気に入りのワンピース(五年前に買ったものだからパッツンパッツンだけど)を着て、指定された場所へと向かった。

 

そこには、鉄格子のついた重厚な馬車が待っていた。


「応募者の方ですね? さぁ、中へ」


御者の男がニヤリと笑った気がしたけど、私の頭の中は金貨と黒パンと、明るい未来で埋め尽くされていたから気にしなかった。

 

馬車に乗り込み、扉が閉まる。


カチャリ。


外から、鍵がかかる音がした。


「え?」


走り出した馬車は、貴族街ではなく、なぜか歓楽街の裏通りへと進んでいく。

 

窓から見える景色に、私の顔から血の気が引いていく。

 

……あれ? これ、もしかして詰んだ?

次回予告: 高額バイトの実態は、やはりアレだった! 拘束され、魔力を封じられたアリアの前に現れたのは、不気味な仮面の男。 「いい身体だ。素質がある」 絶体絶命のアリアに、男の指が這う。

次回、「金貨50枚のメイド募集? それ絶対怪しいやつです」

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