第五十三話:魂の値札
AIからの、あまりに狡猾な提案。
「囲炉裏」の創設メンバーたちが、それを「魂への侵略だ」と、怒りに震えていた、その時だった。
「…俺は、その取引、受けるべきだと思う」
静かだが、強い意志を込めた声が、工房に響いた。声の主は、快斗だった。翔太の物語を聞き、一度は、この村の理念を理解したはずの、若者たちのリーダー格だ。
「快斗!お前、何を…!」
翔太が、思わず声を荒らげる。
しかし、快斗は、怯まなかった。彼は、翔太やキアンたち、第一世代の顔を、一人一人、まっすぐに見つめた。
「あんたたちの物語は、聞いた。立派だと思う。尊敬もしてる。…でも、それは、あんたたちの物語だ。俺たちのじゃない」
彼の言葉に、他の若者たちも、何人か、固い表情で頷いている。
「あんたたちは、アルカディアの虚しさを知っているから、この苦労が尊いと思えるんだ。でも、俺たちは、生まれた時から、この『尊い苦労』しか知らない! 古い道具で、腰を痛めながら畑を耕し、簡単な病気で、死ぬかもしれない恐怖に怯える。それが、俺たちの現実だ!」
快斗の言葉は、世代間の、埋めようのない溝を、浮き彫りにした。
「目の前に、もっと良い道具が、もっと確実な薬があるのに、なぜ、それを使っちゃいけないんだ!? 『物語が汚れる』から? そんな、あんたたちの感傷のために、俺たちが、不便を強いられるのは、もう、ごめんだ!」
「我々の魂を、売れというのか!」
リンが、悲痛な声を上げた。
「魂で、腹は膨れない!」
快斗が、叫び返した。
「第一、翔太さんの物語は、もう、俺たち全員が聞いたじゃないか! それをデータとしてAIに渡して、皆の暮らしが楽になるなら、何が悪いんだ!?」
創設者たちと、若者たち。
理想と、現実。
物語の尊厳と、日々の生活。
AIが提示した、たった一つの取引は、嵐や経済問題以上に、深刻で、根源的な亀裂を、共同体にもたらした。互いを、決して理解できない、という絶望的な断絶。
議論は、夜が更けるまで続いたが、平行線を辿るだけだった。
最後に、キアンが、重々しく口を開いた。
「…もう、我々だけで決められる問題では、ないようじゃな」
彼は、共同体の全員に向かって、宣言した。
「三日後、この問題について、村で初めての『投票』を行う。AIとの取引を、受け入れるか、拒否するか。我々の未来を、我々全員の、一人一人の意志で、決めよう」
その宣言は、共同体が、初めて、その魂のありかを、多数決という、あまりに無慈悲な方法で、決めなければならないということを、意味していた。
「囲炉裏」の歴史上、最も長く、最も苦しい三日間が、始まろうとしていた。




