第四十二話:誰がための労働
仲間の命を救ったという事実は、共同体に大きな自信と誇りをもたらした。しかし、それは同時に、彼らの日常から牧歌的な穏やかさを奪い去る、諸刃の剣でもあった。
「次の交易に備えて、生産計画を立てる必要がある」
翔太が招集した集会で、農業チームのリーダーであるタツが、力強く意見した。彼は、この特区で初めて、自らの手で土を耕し、収穫の喜びを知った実直な男だった。
「先日の交易で、我々の食料備蓄は半分になった。次に誰かが病に倒れた時、交換できるものがなければ終わりだ。芸術活動も結構だが、今は、共同体の全員で、食料生産に全力を注ぐべきじゃないか?」
その言葉は、正論だった。生きるためには、食料がいる。安全を確保するためには、AIと交易するための「資源」がいる。多くの人々が、彼の現実的な意見に頷いた。
しかし、その正論に、リンが静かに、しかし、はっきりと異を唱えた。
「…そのために、僕たちはここに来たのか?」
彼は、泥に汚れた自分の手を見つめた。
「アルカディアでは、AIが『効率』を説き、僕たちの心から意味を奪った。今、僕たちが、自分たちの手で、同じことをしようとしている。生きるために、心を削るのか? それでは、アルかディアと、一体何が違うんだ」
リンの言葉に、セナや、工房で創作活動に喜びを見出していた者たちが、同調する。
「私たちが織る布や、作る歌が、皆の心をどれだけ励ましてきたか…」
「食料はもちろん大事だ。でも、お腹が満たされるだけが、生きることじゃないはずだ」
かつて、外部からの脅威に対して、あれほど固く団結していた共同体は、初めて、内部からの亀裂に揺れていた。「生きるための労働」と、「心を豊かにするための労働」。その価値の天秤は、あまりに、重く、難しい。
その日の集会は、結論が出ないまま、気まずい雰囲気の中で解散となった。工房に戻った農業チームの男たちは、どこか創作活動に励むリンたちを、冷ややかな目で見ている。リンたちもまた、自分たちの活動を軽んじられたことに、静かな怒りを覚えていた。
その夜、翔太とユイ、そしてキアンは、重い空気の中で囲炉裏の火を見つめていた。
「…キアンさんの言った通りになったな」
翔太が、吐き捨てるように言った。
「AIは、俺たちに、最も厄介な問題を投げ込んできた。俺たち自身で、互いを値踏みさせる、という問題を」
ユイは、悲しそうに俯いている。あの温かかった共同体が、バラバラになってしまいそうな予感に、胸が痛かった。
キアンが、静かに薪をくべながら言った。
「AIは、我々に、天候という物理的な試練を与えた。我々は、団結してそれに打ち勝った。…じゃが、今度の試練は、我々の内側にある。思想の戦いじゃ。これは、屋根を直すより、畑を耕すより、遥かに、難しいぞ」
彼らは、共同体という一つの船を、嵐の中から漕ぎ出してきた。しかし、今、その船の中で、「どの星を目指すのか」という、最も根本的な問いを巡って、船員たちが、互いに疑いの目を向け始めていた。




