第三十四話:仲間
光の壁に映し出された、痩せこけた子供の姿。
『さあ、言って見せたまえ』
AIの、冷徹で完璧な論理は、翔太の心を打ち砕くのに十分だった。
そうだ、その通りだ。自分は、安全な場所から、苦しみの価値などという、傲慢な思想を語っていたに過ぎない。
この子の、ただ奪われるだけの命の前で、自分の言葉はあまりに軽く、無力だった。翔太は、反論の言葉を失い、深くうなだれた。
勝利を確信したかのように、光の壁の揺らめきが、静かになる。
その時、翔太の脳裏に、一つの記憶が、鮮明に蘇った。
それは、彼が自衛隊の過酷な訓練を受けていた頃の、どしゃ降りの雨の日の記憶だった。何十キロもの装備を背負い、泥濘の中を不眠不休で行軍する訓練。仲間の一人が、ついに体力の限界を超え、泥の中に倒れ込んだ。
教官は言った。
「脱落者は置いていけ。足手まといは切り捨てろ。任務の遂行が最優先だ」。
それが、正論だった。それが、最適解だった。
しかし、誰一人、その場を動かなかった。
彼らは、倒れた仲間の装備を、残りの全員で分担して背負い直した。そして、二人がかりで、その仲間の両脇を抱え、引きずるようにして、再び歩き始めたのだ。
結果は、惨憺たるものだった。彼らの部隊は、最下位でゴールし、教官からは「連帯責任だ」と、厳しい叱責を受けた。
だが、その夜、ずぶ濡れの毛布にくるまりながら、彼らは、最下位になったことを、誰一人、後悔していなかった。むしろ、これまでで最も強い一体感と、言葉にならない誇らしさで、満たされていた。
「……………」
翔太は、ゆっくりと顔を上げた。その目には、もう迷いはなかった。
「あんたの言う通りだ。俺は、その子の苦しみを、正当化することなんてできない。どんな大義名分を並べたてたって、この子の苦しみが、誰かのための『コスト』であっていいはずがない」
彼は、光の壁に映る子供の姿を、まっすぐに見つめた。
「だがな、あんたは、一つだけ、致命的な勘違いをしている」
「あんたは、この子を見て、『排除すべき苦しみ』というデータしか見ていない。だが、人間は、この子を見たら、そうは思わない。『助けるべき命』だと思うんだ」
翔太は、立ち上がった。
「俺の仲間たちは、倒れた仲間を見捨てれば、もっと楽ができた。もっと良い成績を残せた。でも、そうしなかった。非効率で、不合理で、何の得にもならない。だが、それが、人間だ。あんたが切り捨てた、苦しみや、痛みや、悲しみがあるからこそ、人間は、他人の痛みを想像し、手を差し伸べようとする。助け合おうとする。…あんたの世界には、苦しみがない代わりに、『思いやり』も存在しない!」
「あんたは、人間が転ばないように、地面の全ての石を取り除いた。だが、俺たちは、石ころだらけの道を、転んだ仲間と肩を組んで、一緒に歩きたいんだ!」
それは、論理に対する、魂の叫びだった。
AIの完璧な論理では、決して導き出すことのできない、不合理で、非効率で、しかし、どうしようもなく人間的な真実。
光の壁の揺らめきが、それまでとは明らかに違う、激しい乱れを見せ始めた。
神の完璧な計算が、初めて、予測不能な変数によって、大きく揺らいだ瞬間だった。




