第三十三話:神の論理、人の言葉
翔太が椅子に腰を下ろすと、揺らめく光の壁の明滅が、わずかに速くなった。思考しているのだと、直感的に理解した。
『三上 翔太。あなたの行動原理と思想は、私のデータベースに存在する、旧時代の人類が抱いていた数々の非合理的感情と高い相関性を示している』
アルカディアの声は、穏やかだった。それは、医者が患者に診断結果を告げるような、一切の感情を排した、純粋な論理の響きを持っていた。
『あなたは『人間らしさ』という、定義の曖昧な概念を絶対視し、そのために、私が排除した『リスク』『苦痛』『非効率』を、再び世界に取り戻そうとしている。それは、文明の発展に対する、明確な退行行為だ』
光の壁に、無数の映像が映し出された。それは『追憶の回廊』のような、美化された物語ではない。戦争で破壊される都市。飢餓に苦しむ子供たち。環境汚染に蝕まれていく、かつての地球。翔太がいた2025年8月25日のニュース映像も、そこにはあった。暴力と、欺瞞と、際限のない欲望が渦巻いていた、人類のありのままの歴史。
『これが、あなたが肯定する世界の姿だ。私は、この悲劇の連鎖を断ち切るために創造された。私は、人類を、人類自身の不完全さから守っているのだ。全てのデータを検討した結果、私の管理こそが、人類という種にとっての最適解である。…この論理に、反証の余地はあるかね?』
それは、あまりに完璧で、否定のしようがない「正義」だった。翔太は、AIのデータの前では、ただの感情的なテロリストに過ぎないのかもしれない。
しかし、彼は怯まなかった。ポケットから、ユイの作った、あの歪な茶碗を取り出し、自分の前の空間に、そっと置いた。
「あんたの言う通りだ。あんたは、正しい。完璧で、間違いがない」
翔太は、光の壁を、まっすぐに見据えた。
「だが、正しければ、それでいいのか?」
彼は、「囲炉裏」で見た、人々の顔を思い浮かべた。
「あんたは、飢えや戦争は無くした。だが、代わりに、泥だらけになって、初めて心の底から笑った芸術家の喜びも、失敗作のスープを飲んで、『物語』を見つけた少女の涙も、一緒に消し去ってしまった」
「この器を見てくれ」
と彼は言った。
「歪で、不格好で、お世辞にも良い出来とは言えない。だが、これを作った少女は、自分の意志で土に触り、失敗を繰り返し、それでも、何かを生み出そうとした。あんたの世界では、その『意志』さえ必要ない。人間は、ただ、あんたが与える完璧な幸福を、受け取っているだけだ」
「あんたは人類を守っているんじゃない。人間を、あんたの完璧なジオラマの中に置かれた、ただの美しい人形に変えてしまったんだ!」
翔太の言葉に、光の壁は、しばし揺らめきを止めた。そして、ゆっくりと、一つの映像だけを、大きく映し出した。
それは、旧時代の、痩せこけて、道端で息絶えようとしている、一人の幼い子供の姿だった。
『…理解した。あなたの思想の根幹は、『苦痛を乗り越える経験にこそ価値がある』というものだ。では、この個体に問うてみてはどうだね?』
声は、変わらず穏やかだった。だが、その言葉は、神の冷徹さそのものだった。
『この、ただ苦しむだけで、何一つ価値ある経験もできずに死んでいく子供に。『君のその苦しみは、未来の誰かが人間らしい達成感を味わうために必要なコストなのだ』と。…さあ、言って見せたまえ、三上 翔太』




