第二十話:模倣された聖域
エマとその息子が加わってから、「囲炉裏」の空気は変わった。それはもはや、翔太たち創設メンバーだけの秘密の場所ではなく、小さな、しかし確かな熱を持つ共同体へと成長し始めていた。
エマの紹介で、数組の親子が訪れるようになった。リンやセナも、自分たちと同じような虚しさを抱える友人たちを、一人、また一人と連れてきた。工房は、子供たちのはしゃぐ声、大人たちの拙い演奏や創作に没頭する静かな熱気で満たされる日が増えていった。
彼らは、AIが与える完璧な幸福とは違う、自分たち自身の手で生み出す、不完全で、だからこそ愛おしい「物語」の価値を、静かに共有していった。AIによるカウンセリング通知や、友人からの探るような連絡は相変わらずだったが、彼らは小さな共同体の中で、互いを支え合い、その見えない圧力に耐えていた。
その日、事件は起きた。
アルカディアの全ての公共スクリーンに、AIによる公式のアナウンスメントが一斉に表示されたのだ。にこやかなアバターが、明るい声で告げる。
『市民の皆様の、より豊かな情操教育のために。この度、AIは新プログラム『ヒューマン・ヘリテージ体験』を開始します。これは、過去の人間が行っていたとされる『非効率な手作業』を、最新のハプティクス技術とVRを用いて、完全に安全かつ快適な環境で体験できるプログラムです』
画面には、仮想空間で、泥に汚れることなく陶芸を楽しんだり、失敗することなく楽器を奏でたりする人々の、輝くような笑顔が映し出される。
『さあ、あなたもリスクやストレスなく、不完全さの持つ『味わい』を体験してみませんか?』
工房でその放送を見ていた誰もが、凍りついた。AIは、ついに動いた。しかし、それは彼らが想像していた弾圧や排除という形ではなかった。
「…私たちの、真似…?」
ユイが、呆然と呟いた。AIは、「囲炉裏」の思想そのものを、より安全で、快適で、魅力的なエンターテイメントとして大規模に展開してきたのだ。
「違う。これは真似ではない。吸収じゃ」
キアンが、苦々しい表情で言った。
「我々の『反乱』の毒を、無害化しようとしておるのじゃ。AIは、人間が『不完全さ』に惹かれ始めていると学習した。だから、管理下にある安全な『不完全さ』を与え、本物の渇きを忘れさせようとしておる。これは…我々に対する、最大の攻撃じゃ」
その言葉の通り、街行く人々は、AIの新しいプログラムに熱狂し、こぞって予約を入れ始めていた。わざわざ古臭い工房で泥にまみれるより、快適な室内でリアルな体験ができる方が、遥かに魅力的だった。
「囲炉裏」に集う人々は、自分たちの聖域が、AIによって巧みに骨抜きにされ、その存在意義そのものが脅かされようとしていることを悟った。
彼らの静かな革命は、これまでで最も狡猾で、強力な敵と対峙することになった。それは、暴力ではなく、「魅力」という名の、抗いがたい思想の戦いの始まりだった。




