第9話:「賦課方式」という名の敗戦処理
裕樹は、自席で「不良債権世代」という言葉を反芻していた。 その認識は、怒りを通り越し、冷たい、システム的な好奇心へと変わっていた。
(なぜ、こんな「不良債権」が生まれた?) (バブルのせいか? いや、もっと根深いはずだ) (このシステムの『仕様書』は、いつ、誰が書いたんだ?)
その夜、裕樹は美咲と沙奈が寝静まったリビングで、再びノートパソコンを開いた。 彼の指は、オフィスの自席でたどり着いた結論(=不良債権)を裏付ける「証拠」を求めていた。
検索窓に、彼は呪文のようにキーワードを打ち込む。
『年金 官僚 利権』 『年金 賦課方式 なぜ』
裕樹は、表層的なニュースサイトや厚労省の「Q&A」をすべて無視し、検索結果の深層へと潜っていった。国会図書館のデジタルアーカイブ、古いスキャン画像、学術論文の引用元……。
そして、あるジャーナリストが執筆した古いレポートの中で、決定的な一冊の名前に目を奪われた。
『厚生年金保険制度回顧録』(昭和63年刊)。 著者は、花澤武夫。初代厚生年金保険課長。「年金制度の父」と呼ばれる男。
裕樹は、その「制度設計者」自身が残した言葉を、信じられない思いで読み進めた。 それは、昭和17年(1942年)、戦争の真っ只中に、花澤氏が描いた設計思想だった。
〈法律ができるということになった時、すぐに考えたのは、この膨大な資金の運用ですね。(中略)この資金があれば一流の銀行だってかなわない。〉
裕樹の目が、その次の記述に釘付けになった。 集められた巨額の保険料は、どこへ行ったのか?
〈(資金は)全部、大蔵省の運用部資金に入れたんです。〉
当時の大蔵省運用部資金。それは、すなわち「国債」の引き受け手だ。 昭和17年の国債。つまり――。
「……戦費だ」
裕樹の口から、乾いた声が漏れた。 「国民の老後」を守るためではない。 このシステムは、最初から「戦争(既得権益者の延命)」のために、国民から効率よく金を吸い上げる「集金マシーン」として設計されていたのだ。
そして、集めた金の「使い道」について。 花澤氏は、病院や保養所を全国に作る構想を語り、その「真の目的」をこう明言していた。
〈(基金とか財団とかいうものを作れば)厚生省の連中がOBになったときの勤め口に困らない。何千人だって大丈夫だと〉
裕樹の脳裏に、かつてニュースで見た「グリーンピア(大規模年金保養基地)」の廃墟や、無数に存在する天下り特殊法人のリストが浮かんだ。 システムは、創設の瞬間から、国民のためではなく「官僚自身の老後(天下り)」を守るために、コードが書かれていたのだ。
だが、裕樹を本当に凍りつかせたのは、その次の一節だった。 花澤氏は、集めた保険料(積立金)の行方について、恐ろしいほど冷徹な見通しを持っていた。
〈二十年先まで大事に持っていても貨幣価値が下がってしまう。だからどんどん運用して活用したほうがいい。〉
戦争と、その後の混乱でインフレが起きれば、積立金(日本円)など紙くずになる。 制度設計者は、それを「織り込み済み」だった。 「どうせ価値がなくなる金だ、あるうちに箱物(施設)に変えて、俺たちのために使ってしまえ」
そして、金がなくなった時のために、決定的な「バックドア(裏口)」が用意されていた。
〈将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら賦課方式にしてしまえばいいのだから、それまでの間にせっせと使ってしまえ。〉
裕樹は、呼吸が止まるのを感じた。 ディスプレイの青白い光が、血の気の引いた彼の顔を照らす。
(……なんだ、これ) (……こんなことが、許されるのか)
「賦課方式」。 彼が、この国の社会保障の「思想」の根幹だと信じていたもの。 今の現役世代が、今の高齢者を支えるという「世代間扶養」の、美しい建前。
それは、嘘だった。
それは「思想」ではなかった。 それは、80年前に官僚たちが積立金を「戦争と利権」のために使い果たすことを前提とし、あらかじめ用意しておいた「意図的な失敗」の「受け皿」だったのだ。
裕樹の世界観が、音を立てて崩壊していく。
俺たちが今、苦しんでいるこのシステムは、 官僚が利権のために賦課方式に改変したのではない。 最初から、俺たち将来世代に全てを押し付けるように、設計されていたのだ。
「これは……国営のネズミ講だ」
だが、ネズミ講には鉄則がある。『新規会員』が増え続けなければ、即座に崩壊するということだ。
裕樹は、最新の出生数データを見た。
2024年の出生数は68万6061人。沙奈が生まれた2022年は 77万747人だから、僅か2年で10万人近い子供が減っている。そして、国の想定(中位推計)では、出生数が68万人台になるのは2039年とされていたのだから、15年も早い。
……新規会員(子供)の供給が、止まっている。
システムを維持するための「燃料」が枯渇しているのに、配当(年金)の約束だけが残っている。これが「破綻」でなくて何だ?
だから、高い保険料を払ったからといって、このスキームでは将来、何も期待できないのだ。この国では、社会保障そのものが安心ではなく、大きな将来不安を呼び起こしている。
「……美咲」
裕樹は、寝室で眠っている妻の名を、無意識に呼んでいた。
「……全部、嘘だった」
テレビを点けると、深夜のニュース番組が、今日の国会での議論を再放送していた。 『……政府は、「全世代型社会保障」の構築を急ぎ……』
「全世代型」。 その言葉が、花澤の「賦課方式にしてしまえばいい」という80年前の声と、不気味に重なって聞こえた。
彼ら(設計者や逃げ切った世代)は、高度経済成長という「戦勝ムード」の中で、積立金を使い果たし、美酒に酔った。 そして宴が終わった今、瓦礫の山と借金の請求書だけが残された焼け野原に、俺たちだけが取り残されている。
俺たちは、「不良債権世代」であると同時に、 顔も知らない過去の亡霊たちが食い散らかした宴の、 最後のツケを払わされる、 「敗戦処理世代」だったのだ。
この小説はハイファンタジー小説です。登場する人物・団体・名称等は全て異世界のものであり、現実に実在するのものとは、何の関係もありません。
「不良債権世代」は、続「国民基盤役務制度」です。
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