第8話:不良債権世代
健太の「オワコン」という言葉が、頭に刺さったまま抜けなかった。 裕樹はオフィスの自席に戻ったが、ディスプレイに映るコードは、もはや意味のある文字列として認識できなかった。
(オワコン……)
稼ぐ力(人的資本)さえもが、AIによって陳腐化し、「終わったコンテンツ」になる。
その瞬間、裕樹の脳内で、この数週間、彼を苛み続けてきた全ての「数字」と「事実」が、一つの巨大な回路図としてカチリと組み上がった。
【入力】
直接負担: 『子ども・子育て支援金』という名の永久債。(第2話)
セーフティネット毀損: 『高額療養費』が2.1倍に値上げ。(第3話)
将来資産毀損(自動): 『マクロ経済スライド』によるステルス・デフォルト。(第5話)
将来資産毀損(意図的): 現高齢者の「手取り増」の財源としての、俺たちの年金資産5%毀損。(第5話)
間接負担(賃金抑制): 『シニア人材活用』による労働市場の低コスト化。(第6話)
人的資本毀損: 『AI』によるスキルの陳腐化。(第7話)
【出力】
俺たちの『手取り』と『資産』の、際限なき減少。
一つ一つは、独立した「制度改悪」や「市場動向」に見えていた。 だが、こうして並べると、その意図は明白だった。
すべてが、俺たち(現役世代)の「稼ぎ」と「資産」を、あらゆる角度から、容赦なく削り取りに来ている。
この状況、俺たちは破産でもしてしまったのか。
なぜこんなに負担と改悪ばかりなんだ。
裕樹は、数日前に読んだ経済レポートの一節を、まるで啓示のように思い出していた。 それは、今の日本の社会保障制度を分析した、あるエコノミストの冷徹な所見だった。
『少子化時代を生きる現役世代にとって、賦課方式の社会保障はすでに投資ではなく、純粋なコスト、すなわち不良債権(Non-Performing Asset)と化している』
裕樹は、自社のサーバー室で稼働し続ける、誰も仕様を把握していない数十年前のメインフレームを思い出した。
維持費だけで年間数億円。リプレイスしようにも、あまりに巨大すぎて誰も手を出せない。だから、若手のエンジニアを貼り付けて、バグが出たらその場しのぎのパッチを当てて、延命し続ける。
この国は、あれと同じだ。
俺たちの人生は、新しい価値を創造するためではなく、この国の「壊れかけたOS(昭和の社会保障システム)」が、完全にクラッシュするのを防ぐための、「保守運用コスト」として計上されているに過ぎない。
俺たちはプレイヤーじゃない。 死にゆくシステムの、メンテナンス要員だ。
社会保障は助け合いであって投資ではない。そういうキレイごとは、社会保障の為の保険支払いよりも、貰いが大きい世代だけがいえることだろう。
「助け合い」。 政府やメディアは、その美しい言葉を「免罪符」のように使う。だが、システム的に見れば、それは致命的な「バグ」を「仕様」と言い張っているに過ぎない。
一方が過剰に支払い、一方が過剰に受け取る関係が固定化されているなら、それは「助け合い」ではない。「収奪」だ。
俺たちは、「道徳」という名の暗号化通信によって、その収奪の実態を見えなくされている。「高齢者を敬え」「社会の恩恵」……そんな言葉でコーディングされたプログラムが、俺たちの思考をロックし、反論という「エラー処理」を封じ込めてきたんだ。
不良債権――。
その言葉が、雷のように裕樹を撃ち抜いた。
そうだ。
俺たちは、この「社会保障」という名の金融商品を、もはや「投資」として購入しているのではない。 これは、俺たちが生まれるずっと前に、とっくに返済不能になっていた巨額の負債だ。
俺たちは、その「不良債権」の処理コストを、人生のあらゆる局面で支払わされている。
『支援金』という名の、追加の処理費用を請求され、
『賃金抑制』という形で、処理費用を稼ぐ力を奪われ、
『給付削減(年金・医療)』という形で、過去に投資した元本(資産)を踏み倒される。
俺たちは、「団塊ジュニア世代」でも「氷河期世代」でもない。
「……不良債権世代だ」
裕樹は、誰にも聞こえない声で呟いた。 俺たちは、この国という巨大な「不良債権処理システム」を維持するためだけにエネルギーを供給し、使い潰される――。
そして、このシステムフローの最悪のバグは、どこにも「終了条件」が記述されていないことだ。
借金なら返せば終わる。燃え盛る恋や愛にも終わりがある。だが、この「不良債権処理」には終わりがない。 少子化が進めば進むほど、処理すべき負債は増え、処理する人員(俺たち)は減る。そして、負担が重くなるほど少子化は加速する。
while (true) {
搾取();
}
永遠に繰り返される無限ループ。 抜け出す方法は、システムがクラッシュ(国家破綻)するか、処理を実行するCPU(俺たち)が焼き切れる(過労死する)か。その二つに一つしかない。
その、身も蓋もない「システムの仕様書」を、裕樹は完全に理解してしまった。




