表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/36

第7話:陳腐化するスキル

「稼ぐ力」さえあればいい。


それが、裕樹の最後の砦だった。

社会保険料(直接負担)が上がろうと、低コストのシニア人材(間接負担)に賃金を抑制されようと、自分自身の「人的資本(じんてきしほん)」の価値、すなわち稼ぐ力さえ高め続ければ、このシステムから逃げ切れなくとも、溺れ死ぬことはない。


彼はそう信じ、この数ヶ月、沙奈(さな)美咲(みさき)が寝静まった深夜、睡眠時間を削って最新のAI関連技術を学習していた。

システムエンジニアとして、ジェネレーティブAIの波を乗りこなし、自らの単価を上げる。それこそが、唯一の積極的な「自衛」のはずだった。


その翌日。オフィスの休憩室で、裕樹は自販機の缶コーヒーを握りしめたまま、寝不足の頭痛に耐えていた。


「裕樹さん、顔色悪いっすよ」


声をかけてきたのは、同じチームの後輩、健太(けんた)だった。


「……ああ。昨日の夜も、AIの勉強しててな」

「うわ、マジすか。熱心っすね」


「笑い事じゃないだろ。食われないようにするには、こっちが使いこなす側に回るしかない」

裕樹が真剣な顔で言うと、健太は、いつもの冷めた笑いを浮かべた。


「ああ、それ。もう手遅れっていうか、焼け石に水っていうか」

「……なんだよ」


「ちょっと、こっち来てください」

健太は裕樹を自席に呼び、ノートPCの画面を向けた。


「昨日、俺ら一日中、あのクライアントから来たクソ仕様書(50ページ)の解読と、アーキテクチャ設計で会議、潰したじゃないですか」

「……ああ。斉藤さん(第六話のベテラン)と俺とで、やっと方針決めた、あれか」


「俺、昨日の夜、会社がテスト導入した最新のGenAIツールに、あの仕様書、丸ごと食わせてみたんすよ」


裕樹の心臓が、嫌な音を立てた。

健太がEnterキーを押す。


数秒の処理の後、AIが吐き出した「回答」を、裕樹は凝視した。


それは、新卒が書くような凡庸なコードではなかった。

そこには、


1. 『原文(仕様書)の曖昧な点:5項目(例:XXの定義が不明瞭)』

2. 『推奨アーキテクチャA案(マイクロサービス化)、B案(既存システム改修)』

3. 『A案のメリット・デメリット(将来性・コスト)、B案のメリット・デメリット(DB接続性・短期納品)』

4. 『A案採用時の推奨API設計(サンプルコード付き)』


……昨日、裕樹と、あのベテランの斉藤さんが、互いの経験と知識を総動員し、8時間かけて議論した結論と、ほぼ同じ(あるいは、それ以上に洗練された)分析結果が、完璧な日本語で出力されていた。


裕樹は、声が出なかった。

AIは、もう「単純なコーダー」の仕事など奪っていない。

それは、「高付加価値業務」と信じていた、俺たち(中堅エンジニア)の「設計・分析・提案」という仕事を、既に代替し始めていた。


健太が、冷ややかに言った。

「ここまで、30秒っすよ」


健太は、自席のディスプレイに映るAIの回答と、青ざめる裕樹の顔を、面白そうに見比べた。

そして、おもむろに自分のスマートフォンを取り出す。待受画面は、NISAの積立設定画面だった。


「裕樹さん。俺たちが今さら必死でスキルアップ(笑)しても、こいつの進化速度に勝てます?」


その言葉が、裕樹の最後の砦を粉々にした。


「スキルアップで時給(=労働単価)を上げること自体が、もうオワコンなんすよ」


「オワコン……?」


「終わったコンテンツ、ですよ」

健太は、NISAの画面をタップしながら、この国のシステムに対する諦観と、冷徹な合理性だけで満たされた目で、裕樹をまっすぐに見た。


「俺はもう、自分の『人的資本』とかいう不確実なモンに、時間リソースを割くの、やめたんです。どうせAIに陳腐化させられる『不良債権』じゃないすか」


「それより、NISAニーサで金融資本に働いてもらう方が、よっぽど合理的でしょう」


健太の「合理性」が、残酷なまでに正しいことを、裕樹は認めざるを得なかった。


システム(国)と、市場(AI)。


その両方から、自分たちの価値が毀損されていく。

稼ぐ力さえあれば、と信じていた最後の道が、目の前で音を立てて崩れ落ちていくのを、裕樹はただ呆然と見ていることしかできなかった。

この小説はハイファンタジー小説です。登場する人物・団体・名称等は全て異世界のものであり、現実に実在するのものとは、何の関係もありません。


「不良債権世代」は、続「国民基盤役務制度」です。

https://ncode.syosetu.com/n0696lb/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ