第23話:美咲の「投資」
「……『不良債権』?」
裕樹の口から放たれたその言葉(第22話)は、リビングの空気を切り裂いた。
美咲は、夫の顔を信じられないものを見る目で見つめていた。
「裕樹……。今、なんて言ったの?」
「シミュレーションの結果だ」
裕樹は、真っ赤なアラートが点滅する画面から目を離さずに答えた。
「『海外』はコスト(3,150万)で破綻する。
『国内』はリスク(AIによる陳腐化)で破綻する。
どちらの選択肢も、投資対効果(ROI)がマイナスになる可能性が極めて高い。つまり、教育は……」
「やめて!」
美咲が、叫んだ。
それは、第14話で「国内避難」を拒否した時の、感情的な反発ではなかった。
もっと深く、根源的な「侮辱」に対する、母親としての全存在をかけた抵抗だった。
「沙奈は、『資産』なの?」
「……なに?」
「私たちの『自衛』の道具なの?
裕樹が作ったその『家計簿ソフト』に打ち込む、『金融商品』の一つなの?」
美咲の目は、怒りに燃えていた。
「あなたがここ数週間やってきたこと、私は全部見てきた。
『永久債』(第2話)、『在老の財源』(第5話)、『健太くんのドル建て』(第15話)、『法人化』(第16話)、『海外口座』(第18話)、『金』(第19話)、『お父さんの相続税』(第20話)……」
彼女は、裕樹が突き止めてきた「数字」と「自衛策」を、一気にまくし立てた。
「それらは全部『カネ』の話よ。
『システム』と『カネ』の戦いだわ。それは、いい。私も戦う(第16話)と決めた。
でも、沙奈は違う!」
美咲は、プレイマットで無心に絵を描く娘を、震える手で指差した。
「あの子の未来は、『コスト』や『リスク』や『不良債権』っていう『数字』で測るものじゃない!
私たちが、あの子の可能性を『信じる』こと。
それこそが『教育』でしょ!?
それを『投資』と呼ぶなら、それでもいい。
でも、その『投資』が失敗するかどうかなんて、どうして今、あなたがAIの発展というだけで決めつけるの!」
「感情論だ」
裕樹は、冷たく言い放った。
「俺たちが戦ってる相手は、『感情』なんか一切考慮しない、『数字』だ。その相手に、こっちだけ『信じる』なんていう曖昧な変数で戦えるわけがない」
「曖昧?」
「そうだ。俺たちは『不良債権世代』なんだ。俺たち自身の『自衛』すら、綱渡りなんだぞ。
その上で、さらに1,550万もの『リスク資産』を、何の確証もなく抱え込むのか?」
裕樹は、シミュレーションシートの『国内エリート投資:15,500,000円』というセルを、強く叩いた。
「美咲。お前の言う『信じる』という名の『投資』が、もし、失敗したら?」
「しっぱい……?」
「ああ、失敗だ」
裕樹は、第7話の「AIによる陳腐化」の悪夢を、意図的に妻に突きつけた。
「沙奈が『良い大学』を出たのに、スキルが陳腐化して、まともな職に就けなかったら。
その『損失』は、誰が引き受ける?」
美咲は、言葉に詰まった。
裕樹の冷徹な「合理性」が、彼女の「思想」を追い詰めていく。
「俺たちだ」
裕樹は、自分でその問いに答えた。
「俺たちの、老後だ」




