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第18話:システム外への逃避(海外口座)

『You have received a payment of $300.00 USD』


裕樹は、オンラインウォレットの残高を示すその文字列を、一時間以上も見つめ続けていた。 4万数千円。 ささやかな「副業」の対価(第17話)。


喉が渇く。 彼のマウスカーソルは、無意識に「Withdraw to Bank Account(銀行口座へ出金)」のボタンの上を彷徨っていた。 クリック一つで、この「ドル」は「日本円」に換金され、彼の三菱UFJ銀行の口座に振り込まれる。 それを楽天証券に移し、NISA(第10話)の積立額を増やす。 それが、数日前の自分なら、疑いもなく実行した「合理的」な行動だったはずだ。


だが、裕樹の指は動かなかった。 カーソルは、ボタンの手前で凍りついている。


「……牧場」


健太の冷笑(第11話)が、耳の奥で蘇る。 『NISAは、国にとって一番狩りやすい家畜を集めた「牧場」ですよ』 『資産捕捉しさんほそく


(この300ドルを、日本円に換金して、日本の銀行に入れる……?)


裕樹の脳が、猛スピードでシミュレーションを開始した。


【シミュレーションA:従来の行動】


$300 → ¥45,000(日本円に両替)


¥45,000 → [三菱UFJ銀行](システム内に着金)


[三菱UFJ銀行] → [楽天証券(NISA口座)](システム内のおりに移動)


結果: 資産は「日本円」となり、円安リスクに晒される。かつ、資産は「日本国内の金融機関」に捕捉され、将来の「NISA課税」「資産税」のターゲットとなる。


「……ダメだ」


裕樹は、ブラウザのタブを閉じた。 健太(第15話)は、GAFAに転職することで「ドル建て」を手に入れた。 誠(第12話)は、シンガポールに「脱出」することで「非課税」を手に入れた。


俺は、「脱出」も「転職」もできない。 だが、この「300ドル」は、今、この瞬間、日本の「システム」の、どの台帳にも載っていない。 国税庁も、年金機構も、誰も知らない、俺だけの「システム外資産」だ。


これを、みすみす「牧場」の中に戻してたまるか。


裕樹の指が、再び検索窓を叩き始めた。 美咲の「法人化」宣言(第16話)が、彼の背中を押していた。妻が「経費」というルールで戦うなら、夫は「国境」というルールで戦う。


『海外証券口座 日本 在住』 『インタラクティブ・ブローカーズ 開設方法』 『Firstrade 日本人』


画面には、NISAの開設手続きとは比べ物にならないほど、煩雑なステップが並んでいた。 英語での申請フォーム。 マイナンバーカードの提出。 英文の残高証明書のアップロード。


(……これか)


健太が「脆弱だ」と切り捨てたNISAは、その「手続きの容易さ」こそが、国民を「牧場」に誘導するための、最大の「罠」だったのだ。 本当の「自衛」は、面倒で、複雑で、孤独だ。


裕樹は、パスポートとマイナンバーカードをスキャナーにセットした。 一時間後、彼は、米国の証券会社の口座開設フォームの最後の「Submit(提出)」ボタンをクリックした。


数日後。 『Your account has been approved(口座が開設されました)』というメールが届く。


裕樹は、あの300ドルを、1円も日本円に換金することなく、オンラインウォレットから、太平洋を越えた自分の「米国証券口座」へと送金した。


それは「脱出」ではなかった。 だが、日本という「不良債権システム」の内部に身を置きながら、自分の資産を、システムの「管轄外かんかつがい」へと逃がし始める。


裕樹の、本当の「合理的自衛」が、この送金トランスファーボタンから始まった。

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