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第17話:夫の「副業」

美咲の「法人化」宣言(第16話)は、停滞していた裕樹の思考を、別の形で殴りつけた。 自分(裕樹)が「システム」の不合理性を分析し、その歴史的経緯(第9話)に絶望している間に、妻(美咲)は「税法」というシステムのルールブックを読み解き、具体的な「戦闘方法」を見つけ出していた。


「控除」される側から、「経費」をコントロールする側へ。


その夜、裕樹は自室で二つのディスプレイと向き合っていた。 片方には、健太が突きつけていった「ドル建て」のオファーレター(第15話)の記憶が。 もう片方には、美咲が宣言した「法人化」という、鮮やかな戦術が。


「俺は、どうする?」


健太のようにGAFAに転職する「人的資本」も「勇気」も、今の自分にはない。第7話で知った「AIによる陳腐化」の恐怖が、裕樹を「会社員」という安定(=牧場の中の安全地帯)に縛り付けていた。 かといって、このまま「会社員」として「控除」され続ければ、やがて「法人化」する美咲との間に、家族内での「税務リテラシー格差」が生まれてしまう。


(健太は「ドル」を手に入れた) (美咲は「経費」を手に入れる)


(……両方だ)


裕樹は、深夜、ノートパソコンを開いた。 彼がアクセスしたのは、自作の家D計簿ソフトではなかった。会社の就業規則のPDFファイルだった。


『第XX条(副業・兼業)』 『……会社の許可なく、他の業務に従事することを原則として禁止する』


「原則として、か」 裕樹は、冷たく笑った。 許可など取るものか。 「システム」のルールブックに、「許可」を求めた瞬間、それは「捕捉」される。


裕樹はブラウザを開き、検索窓に、これまでとは全く異質なキーワードを打ち込んだ。


『freelance engineer platform international』


いくつかのリンクを経て、彼は世界最大級のフリーランス・プラットフォームにたどり着いた。 自分のスキルセット(プログラミング言語、データベースの経験)を、拙い英語でプロフィール欄に登録していく。


週末。 美咲が「事業計画を練る」とリビングのテーブルに書類を広げ、沙奈がその横で絵を描いている。 裕樹は、自室のデスクでノートパソコンに向かっていた。 本業(日本円)とは別の、短期のコーディング案件。 クライアントは、地球の裏側にいる、顔も知らないスタートアップ企業。時差を利用して、日本の深夜と早朝が、彼らの「就業時間」だった。


数日後。 裕樹が設定したオンラインウォレットのアカウントに、通知が届いた。


『You have received a payment of $300.00 USD』


300ドル。 当時の為替レートで換算すれば、4万数千円。本業の給与に比べれば、微々たる金額だ。


だが、裕樹は、その「$300.00 USD」という文字列を、震える指でなぞった。


これは、健太の「ドル建て」転職とは違う。 これは、美咲の「法人化」とも違う。 会社(牧場)に所属し、日本円の給与(飼料)を受け取りながら、夜陰に紛れて、牧場の外から「ドル(=システム外の栄養)」を直接摂取する。


それは、日本円(=不良債権システム)への依存から脱却する、裕樹の、孤独で、小さな、しかし決定的な「第一歩」だった。

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